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バズガイド(女性) 2018-12-20
私がバスガイドになったのは、中学の修学旅行のときにお世話になったバスガイドさんにあこがれてのことでした。歌がうまくてお話し上手で優しくて、ああこんな人になりたいな、と思ったのです。
高校卒業後、ある観光バス会社に就職。あこがれのバスガイドになれたものの、理想と現実のギャップは大きく、研修を終えた頃は、同期入社の人はもう半分くらい辞めていました。
勉強することがとても多く、定期観光ルートについての教本だけで数百ページ。それを丸暗記します。研修期間は3カ月間でしたが、バスに乗車しての車上研修は特にプレッシャーでした。
OJT担当の先輩も厳しい人でしたが、運転士がもっと厳しい。
ガイドのタイミングがずれたり、間違っていたりすると、運転士が無言で急ブレーキを踏んでバスをとめるのです。これはこたえました。
先輩の指導は、たとえば「まだ自分の言葉になっていない」とか「天気によっても言うことを変えていかないと」など、厳しいながらも納得のできる忠告が多かったと思います。
しかし、運転士の無言の急ブレーキは、厳しいというより恐怖でした。
一度、肝心なスポットでせりふが飛んだとき、運転士にテキストを取り上げられ、バスの窓から捨てられたこともありました。そのときは本当にショックでした。
バスを降りて拾いにいくと、大事なテキストは泥まみれ。さらに、あろうことかバスが発進!ぼろぼろのテキストを持って、泣きながらバスを追いかけたときの屈辱感は今でも忘れられません。まだ19歳の頃です。
今だとパワハラということになるのかもしれません。でも当時は、皆同じような目に遭っていました。
研修を終えて、市内の定期観光ルートがデビューです。いきなり1人でガイドするので、最初はすごく緊張しました。失敗すると後から運転士に叱られるのでプレッシャーもあります。
それでも日帰りツアーはいいのです。慣れてくると泊まりがけのツアーにも行くことになりますが、これがしんどい。日中の様子を運転士が先輩の指導員に逐一報告するのです。先輩とは同室なため、夜も延々と説教されたりしました。24時間、気が休まることがありません。脱走したくなることもありました。もういやだ、やめたい、そんなことばかり考えていたのです。
観光バスは、同業他社のバスも同じルートをたどることがあり、宿泊施設も同じになることがあります。
あるとき、他社のカリスマバスガイドAさんとばったり遭遇しました。Aさんは、この業界の人間なら誰でも知っている有名人で、セミナー講師もやっており、バスガイドたちのあこがれの的です。
「Aさんですよね、お疲れさまです!」思わずそう挨拶しました。Aさんは、私のことなど知っているわけもありません。
「○社の人?」「はい」「何年目?」「入社して半年です」「そう、大変でしょ。よくがんばってるわね」「はい、ありがとうございます!」
交わした会話はたったそれだけでしたが、ああ、この人はみんなわかってくれてる、そんな感覚がこみあげてきて全身が温かくなりました。
Aさんだって大変だったんだ。それを乗り越えて今があるんだ。そう思うと、もう少しがんばろうというファイトがわいてきました。そして、幼いときにあこがれたあのバスガイドさんの記憶がよみがえってきました。
辛い現実の中で、自分が好きでこの仕事についたことをすっかり忘れてしまっていたのです。
それからAさんと言葉を交わす機会はありませんでしたが、そのときの一言とAさんの笑顔が、ずっと心に残っています。たぶんAさんは忘れているでしょう。なんの気なしに言った何気ない一言だったのだと思います。
でも、その時の折れかかっていた私の心に、その何気ない一言がしみたのでした。
OJTにはあまり関係ない話だったかもしれません。でも、その人の存在そのものや、ほんのちょっとした一言が、心の支えになることもあるのだということを伝えたいと思いました。
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