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鬼の微笑:伝説のレジマスター

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ナビゲート[み]  2010-08-27

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鬼の微笑:伝説のレジマスター

私が初めてしたバイトは、地元のスーパーのレジでした。
そこで、初めての上司になったのが、清水さんという女性社員でした。
今でもたびたび思い返すほど、彼女は強烈な印象を残しています。

バイトはどこでもそんなものだろうと思いますが、無責任でわがままな女子高生たちにとって、清水さんはまさに「鬼」。篠原涼子みたいなストレートロングを束ねて、黒くとがったアイラインが目の端から突き出ています。
レジ係の教育担当だった彼女は、バイトを容赦なく叱りました。
「笑顔が足りない!もっと元気よく声を出して!」というのはまだ優しいほうで、電話に向かって「また遅刻?ふざけんな......いいから早く来い!!」と低い声で喋っているのも何度か目にしました。
バイトが終わると、ロッカーでは女の子たちが「鬼がさー」「マジむかつく鬼」「鬼化粧濃すぎ」と悪口で盛り上がっています。
しかし私自身は、清水さんのことは嫌いではありませんでした。たまには「鬼もそんなに悪くなくない?」と言ってみるのですが、ほかの子には「なんで?」「おかしくない?」と返されて、理解されないのでした。

今思うと、恐いのは、しっかり指導していることの裏返しです。
バイトに入ってすぐ、スーパー裏の駐車場に連れて行かれ、蚊に食われるのも構わずに発声練習させられたことを思いだします。帰り道、同期の子たちと「マジありえない」と不平不満を述べていましたが、そう言いながらも「なかなかいいじゃない」と言ってニコッと笑った清水さんのことは憎めないと思っていました。こちらがきちんとやればそのことは認めてくれるという感じがしましたし、蚊に食われたのは清水さんも同じです。
また、清水さんは人に注意することを必ず実践していました。例えば、笑顔とあいさつ。ゴミは率先して拾う。休憩からは五分前に戻ってくる。おばあさんと話すときは膝をかがめて目線を合わせる。などなど......。濃い目の化粧とバイトへのきつい口調を除けば、非難できるところがありません。

しかも、清水さんは他の追随を決して許さない、スーパーレジマスターなのです。
レジ前が混雑してくるとお客さまカウンターから颯爽と現れ、閉まっていたレジを開けると、まるで魔法です。普通のレジの3倍速かと思われる商品さばきは、さながら元のカゴをひっくり返して新しいカゴへ商品をざざざーっと注ぎ込んでいるように見えます。......と書いて、想像できるでしょうか?
彼女が出てくると、他のレジに並んでいたお客もあわてて列を変えます。その方が待っているよりずっと早いからです。
一体何が起きているのだと思って観察していると、レジのスピードを速めるコツがいくつかわかってきました。
普通のアルバイトは[(1)右手で商品をカゴから取る→(2)バーコードを読ませる向きに持ち替える→(3)バーコードを読ませる→(4)商品を持ち替える→(5)カゴのどこに入れるか決める・整理する→(6)左手でカゴに入れる]という手順を踏みます。(もちろん途中で、タッチキーでの入力や袋がけなどの作業もありますが割愛します)
清水さんの場合は、[(1)右手で商品をカゴから取る→(2)左手でカゴに入れる]の2段階しかありません。
まず、バーコードが読みやすいように商品を取り上げるため、持ち替える手間がありません。つまりいちいち確認しなくても、商品のどこにバーコードがあるか熟知しているのです。そしてそのままバーコードリーダーの前を通すため、わざわざバーコードを読ませようとする動作(何度もリーダーの前を通すなど)がありません。そして左手が商品を受け取って新しいカゴに入れます。これも置き場所の定石があるため、整理をする手間がありません。そして左手が商品に触れた瞬間にはすでに、右手が元のカゴの商品を掴んでいるのです。
誰がどんな悪口を言おうとも、その力量は否定できない。
私はひそかに清水さんに憧れつつ、レジの速度と接客の感じよさをストイックに追求していきました(それが功を奏したのか、その後お客さんから恋文までもらってしまいました)。

その後しばらくして、清水さんが異動になりました。
そのときは「そういうこともあるだろう」と軽く考えていたのですが、いざ清水さんがいなくなってみると、仕事の張り合いがなくなってしまったのです。
別の女性社員が指導係になったものの、仲のいいバイトとつるんだり休憩時間がルーズになったり、また長年いるパートさんに強く言えなかったりと、全体的にだらしなくなっていきました。また、清水さんが「1人1つずつ」と言って売れ残りのケーキをアルバイトの子たちに配ってくれることがありましたが、異動してからはなくなりました。おそらくケーキ売場の人たちが自分たちの間でこっそり分配するようになったのでしょう。
もちろん、レジマスターの神業を見ることはもうできません。
清水さんがどれだけフェアに仕事していたか、ということが私には衝撃だったのですが、バイトの子たちは彼女の異動を歓迎していました。

鬼とよばれる上司を慕う部下もいる、ということなのかもしれません。
異動の直前、早上がりの清水さんが毛皮のロングコートに髪をほどいて、ストッキングの足を組み、細い煙草を吸っていることがありました。あのとき「今までありがとうございました。これからも頑張ってください」と言えていたらよかったな、とあとになって後悔しました。もちろんそんな言葉がなくても、バイトの悪口しか聞こえてこなくても、ご自身の道を邁進されていることと思いますが。
今でもスーパーに買い物に行くと、我知らずレジ係の手際をチェックしてしまいます。たいがいの人はプロ意識を持たず、いらいらするほど緩慢な動作で作業しています。私がもし指導係だったら、「なっとらん!」と厳しく指導して、やはり鬼とよばれていることでしょう。


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