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シー・エフ・ツー 日高 之隆 2004-01-26
少し昔の話になるが、このことは是非皆さんにお話ししておきたい。
およそ35年前、私が会社に入社して3年目のことです。
私は専門が化学で、技術屋として生産部門に配属されていました。
組織的には、配下に5つの工場を抱える生産管理部が本社機構の中にあり、私は1年ほど生産現場にいましたが、2年目からこの生産管理部で仕事をしていました。
まだまだ駈出し、何もわからないころで、ただ夢中でした。
そんな折、「ニクソンショック」という世界的な大事件がおきました。
簡略に説明しますと、
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1971年8月15日、景気低迷・インフレ・国際収支の赤字と三重苦に悩む米国のニクソン大統領が(1)金ドル交換の停止(2)物価・賃金の一時凍結(3)10%の輸入課徴金 (4)対外援助のカット(5)連邦予算の削減
といった新経済政策を発表。
同年12月18日、スミソニアン合意によりIMF主要加盟国はドルの大幅な切り下げを決定。円レートは1ドル=308円に切り上げられる。
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といった一連の国際的経済政策のことで、それまでの国際通貨秩序のあり方が大きく転換することとなりました。
「H君、ニクソンショックについてレポートしてくれ」
当時、私が所属していた生産管理部のトップは、T常務取締役でした。
T常務は、親会社で海外支社長などを歴任された国際的経済通の方でした。 その常務が私に、このニクソンショックについてレポートしろと言うのです。
「国際通貨秩序の背景と仕組み、ニクソンショックの意味するところ、 世界と日本に与える影響、これからのビジネスにおける留意点等をまとめて報告せよ」
私は大学を出て3年目の技術屋であり、製造のことはわかりますが、こうした経済的知識は皆無でした。
それまで私たちは、新技術や製造に関する法律や許認可事項、危険物や公害などの特殊技能を勉強すればいいものとばかり思っていました。
会社には財務部や企画部など専門の部署もあり、経験豊富なベテラン先輩もいるのに、なんで私なのだろうといぶかったものです。
それから2カ月間、手に入るあらゆる情報を集めて猛勉強です。
今のようにパソコンもインターネットも無く、もっぱら本や新聞、経済誌などの特集記事が頼りでした。 技術バカが経済を勉強するのですから大変です。
まず、今までの仕組みが作られてきた背景、それが果たしてきた役割、それがなぜ壊れたのかその原因、ニクソンショックの意味、与える影響、世界経済の進む方向、日本への影響と対応などを必死で勉強しました。
それだけではなく、そこに登場してくるいろいろな言葉や用語とも戦わなければなりませんでした。
「国際通貨や為替、IMFやOECD、ブレトン・ウッズ体制、ケインズの経済論」といった初めて聞くもの、新聞かなにかで見たことはあるといった程度のものばかりでした。
提出レポートのやり直しは3、4回に及んだと思います。
T常務は技術バカの若造のレポートを丁寧に読んでくださり、そこには原型をとどめないほどの赤い字がビッシリと埋まっていました。
解釈の間違っているところ、質問、研究不足のところ、展開のまずさなど、あらゆることをご指導くださいました。
訂正もいよいよ最後のとき、
「国際的にせよ、国内にせよ、こうした法律や取り決めは何のためにあると思うかね」
「......」
「すべからく世の中の法律や決め事は経済のためにあるんだよ」
「法律にのっとって活動するのじゃないのですか」
「法律だから結果として人間の活動を律することにはなるのだが、法律は経済のために作るんだよ。世の中を構成していく基本的仕組みとして、このことを忘れてはだめだ」
「はい......」
「それから、経済とは『経世済民』であることを胆に銘じておくように」
「はい」
『経世済民』
これもまた初めて聞く言葉でした。
それから、しばらくの間『経世済民』との戦いが続きました。
もはやこれは帝王学の分野でありますが、その後の私のビジネスマンとしての基本的ポリシーの形成に、決定的に大きな影響を与える体験でした。
私のビジネスに対する基本的考え方の基礎が、このとき植え付けられました。
それから4、5年して私は人事部に配属になりましたが、このとき培われた基本的考え方のおかげで、最も経営に近いとされる人事行政をなんとかこなすことができました。
私の人事政策に対する考え方に一貫したポリシーがあり、いろいろな場面でも揺るぎなかったことから、会社の中で一目置いていただける存在となることができたと思います。
一技術屋がビジネスマンとして生まれ変わり、豹変した瞬間かもしれません。
レポートが完成したとき 「このレポートを工場の全管理職にコピーして配布し、読ませなさい」
私はあっと驚きました。
ただ私に勉強させ、鍛えるだけでなく、全国区に行政マンとしてデビューさせる意味が隠されていたのです。
自分の書いたものが世の中に出まわる。
ワクワクするような興奮と感動を覚えました。
同時に、これからも技術だけでなく、経済問題全般についても、常にリードできるように勉強しておかなければならなくなりました。
これだけのことを発表しておいて、他のことはわかりませんと言うことはできませんから。
ただ経済の仕組みを勉強させ、鍛えようというだけではなかったのです。 「自らを鍛える」ということを鍛えられていたわけです。
初めての苦手なことばかりで大変苦しい時間でしたが、このとき鍛えられているという確かな愛情を実感することができました。
人間、一生のうちに人生や生き方を変えるほど感銘を受ける人はそう多くはありませんが、私の人生に大きく影響を与えてくれた1人でした。
何というすごい人でしょうか。
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