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イシワタマリ 2004-11-19
尊敬する人がいます。大学のゼミの先生です。
先生は人に自分を良く見せるということに関しては不器用で、たいていの場合、第一印象はとても悪い。ふてぶてしくて愛想のかけらも無く、機嫌の良し悪しで自分本位な物言いをします。そのほか、とにかく何かと厳しくて怖い。ちょっと遅刻すると怒鳴られるし、歩くのがのろのろしていると怒鳴られるし、プレゼンテーションのやり方が悪かったり、聞く態度が悪かったり、用意してきたレジュメに自分の考察が無かったりすると即座に叱られます。私たち学生は、叱られないようにヒヤヒヤしながらも、先生のあまりの怒りっぽさに、ぶつくさと文句を言っていました。
初めはただ単純に、短気で自己中心的な人に見えました。けれども、先生が叱るのは、他人と関わる中での最低限のマナーがなっていないときと、私たちが私たちなりの努力を怠っているとき。能力の優劣や知識の有無で怒ることはないし、ささいなことにとやかく口出ししたりはしません。それに、一度しっかり叱ったらそれでおしまいで、決してそれを引きずりません。
そのことに気付いてから私は、先生を尊敬し信頼するようになり、同時に先生という人への興味がわきました。なにしろ、初めの悪印象とのギャップ。もともとの印象が悪いと、いいところが見えたときにやたらと興味をひきます。先生は、教わる相手も教える自分も人間であるということを誰よりもわきまえている。教育というものが人と人とのコミュニケーションであるということを、しっかりと意識しています。楽天的な自信家だけれど、自分の悪いところをすぐに認める柔軟な謙虚さを持っています。
きっと先生のやり方は、一貫して相手への信頼の上に成り立っている。私たちを信頼して私たち自身のやり方に任せ、それでも最低限のルールに反していたらそれを叱る。そうして生徒たちとの意見のズレに出会ったら、叱り続けるのではなく自分の意見を組み立て直す潔さも持っている。そうやって先生は、常に進化しながらたくさんの人間関係を真摯に築いてきたのだと思います。
そんな素敵な先生に比べて、私のなんと柔軟じゃないこと!叱られるのを恐れてなんとなくやり過ごす。叱られたらとりあえず謝っても、けっきょくは自分の非を反省しようなんて気持ちが無いのです。私は恥ずかしくなりました。先生は自分が悪役になっても構わず叱るけれど、そんなふうに教えてくれる人なんてそうそういない。そんなことに気付いて、先生が教えてくれることの1つひとつを、もっと真摯に受け止めなければと気持ちを改めました。
いつだって大切なことは、相手に興味を持ち、1人の人間として信頼・尊敬すること。自分に自信と責任を持つこと。自分自身が常に変化していくこと。
先生と出会ってそんなことを感じました。
だけどやっぱり、先生は大人げない。わがまま、短気。けち。うっかり買いかぶり過ぎてしまいましたが、先生はかなり、どうしようもない人でもあります。
だけれども、そんな人だからこそ、先生への興味が尽きないとも言えます。いずれにせよ、先生があんな興味深い人物でなかったら、今みたいに勉強していませんでしたし、大学に行ってよかったなあとも思っていませんでした。興味を持てる相手からだと、いろいろなことを学ぶ気になります。先生からいろいろなものを教われるのは、先生が生徒に興味を持つことができるから、なのかも。
そうして私は、先生を尊敬しているのに、先生の「どうしようもなさ」が露呈するたびに、プリプリ怒ってグチってしまいます。褒めるにしてもけなすにしても、なんだか知らないが私たち生徒はしょっちゅう、先生がいない場所で先生のことを話題にしてしまう。先生という人自身のことを。「まったく困った人だ」などと言いながらあまりにもみんなが先生についてしゃべっていることに気付いて、なんだか私は楽しくなります。みんな本当は先生に興味を持っているのね。先生が好むと好まざるとにかかわらず、先生という人の存在感はとても大きい。そして、楽しい。
相手に興味を持つ。そうするとその人はいろいろなことを教えてくれます。そして、教わることは、楽しい。
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