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マネジメント能力とは

課長として異動してきた先輩

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生産財卸 T.K  2005-03-22

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課長として異動してきた先輩

OJTというよりはマネジメントの話になるのかもしれない。
かつて、尊敬する先輩がいた。仮にAさんとしておこう。既成の枠組みにとらわれることを何より嫌い、発想が自由かつ大胆でいつも夢にあふれているような人だった。また、とても仲間思いの人で、私のこともずいぶんとかわいがってくれた。

長野に新設された営業所が当時の私たちの職場だった。所長が1名、営業が4名、営業事務が1名という小さな所帯で、私はそこで現地採用された。新設ということもあって、私たちは比較的自由に行動できていたと思う。Aさんは営業としてすでに実績のある人だった。所長はもともと営業畑の人ではなく、何かとAさんを頼りにしていた。そういうわけで、自然とAさんを中心にメンバーがまとまっていた感じがする。
私たちは、新しいルートの発掘と拡大にやっきになっていた。うまくいかないことも多かったが、それでも自分たちの仕掛けたことが実現していく過程は面白かった。
Aさんのアイデアはいつも斬新だ。「昨日風呂に入ってたときにこんなことを考えたんだけど、どうかな」。Aさんはよく風呂場で思いつく。当時新人だった私も怖いもの知らずだった。「面白いですね。やりましょう!」そうして風呂場で生まれたアイデアは即実行に移されるのだった。長野営業所は着実に売上を伸ばしていった。Aさんはやがてその実力を見込まれて大阪支社に転勤となり、営業のグループリーダーとなった。

私自身は、その後ローテーションで東京の本社勤務となり、国際事業部のアジア渉外課に配属された。私たちの部署の役割は海外での販路拡大で、特にインドネシアにおける提携先の獲得が主な仕事だった。
文化や価値観の異なる人たちとの交渉は一筋縄ではいかなかったが、それより何より頭を悩ましたのは、煩雑な(しかも英文での)事務処理だった。
思うように交渉が進まないわりに事務処理ばかりがどんどん増えて、常に人が足りない状態だった。事務に追われて交渉が進まないのは本末転倒である。提携先の焦点を絞り、この煩雑な業務の進め方を再整理する必要があることは、誰もが感じるところだった。

そんなとき、Aさんが課長として赴任してくるらしいといううわさが耳に入った。以前よりAさんに一目おいている事業部長が引っ張ったらしい。これは私にとっては希望の光だった。Aさんが来たら状況はきっとよくなるだろう。何よりまたAさんと一緒に仕事ができる、それがうれしかった。
しかしAさんはこれまで本社勤務をしたことがないので、メンバーはAさんのことをほとんど知らない。さすがに自分たちの上司がどういう人物なのかが気になるようで、みんな私に話を聞きたがった。「Aさんってどういう人?」尋ねられるごとに私は、Aさんがいかに素晴らしい人であるかを伝えた。

春、期待のまなざしを一身に集めて、Aさんは着任した。
Aさんも、事前に事業部長から課の問題状況をよく聞いているようで、改善意欲満々だった。
最初は非常によかったのだ。みんなAさんに対して好意的で協力的だし、Aさんもよくメンバーの話を聞いているようだった。私の目にはAさんは以前とは少しも変わっていなかったが、意外なことが1つだけあった。実はAさんは1人で赴任したのではなかったのだ。ここでの大仕事を行うために、大阪支社時代の腹心の部下であるBさんを連れて来たのだった。私はAさんがそんな人事権を持っていることに驚いたが、もしかしたら事前に事業部長との間でそういう約束があったのかもしれない。
Aさんが着任してから2週間後にBさんがやってきた。Bさんは確かに有能な人ではある。が、その頃から課内の雰囲気が少しずつ変わっていった。そして、みんなの期待が失望へと変わるのに、それから2カ月もかからなかったと思う。

Aさんは課内に業務検討プロジェクトをつくり、頻繁に企画会議を開いたのだが、企画会議のメンバーは、いつもAさんとBさんと私の3人だけだった。あとのメンバーは実行部隊という位置付けだった。結局もともとの営業時代の"身内"がヘッドになったのである。このやり方は私には飲み込めなかった。「まずいんじゃないか......」そんな不安を感じた。なぜなら課のメンバーがだんだんとしらけていくのがわかったからだ。
Aさんの斬新さ、大胆さ、身内思いなところは、これまでAさんの良さだと信じていたのだが、ここではまったく逆に受け止められていた。独断、身勝手、排他的......、職場内の不満がAさんへの批判を増幅させていった。

ある日、私はたまらずにAさんに進言した。「Aさん、現場を一番知っているのは彼らですから、いろいろ意見もあるはずです。全員を入れるのは非効率かもしれませんが、せめてグループリーダーのCさんとDさんには入ってもらったらどうでしょう」
「CさんとDさんとも一通り話したよ。でも新しいことを始めるには現場を知りすぎていないほうがいいんだ」「それはそうかもしれませんが、でも彼らはしらけてきているように感じます。このままでうまくいくでしょうか?」
人の話を聞かないAさんではない。「そうか、そこまで言うならもう一度よく話してみよう」と言う。CさんとDさんを含めた数人を呼んで、Aさんは数時間話し合っていた。
しかしその後も状況が改善されたとは思えなかった。「Aさん、いったいどんな話をされたんですか?」気になって聞いてみると、彼はこんなことを言った。「餅は餅屋って言うだろう。人間は適材適所にあってこそ実力が発揮できるんだよ。企画も大事、実行もそれと同じように大事。そして今は何よりスピードが大事だ。そのために最適な布陣にしているんだということを伝えたよ。彼らだって今にわかってくれるだろう」。それから顔を近づけて声のトーンを下げた。「だってさぁ、話をしていてもあんまりピンとこないんだよね。英語ができたって事業がわかってないんだよなぁ。正直彼らには無理だと思うよ。そう思わない?」と話を結んだ。
「......そうなんですか」私は何か釈然としないものを感じた。でも頭の中でそれをちゃんと整理することができないでいた。『全方位において満点を取ることはできないんだから、ひょっとするとAさんの言うとおりなのかもしれない。今は早く結果を出すことが大切で、結果さえ出たら自然と全体が変わるのかもしれない』そんなふうにも考えてみた。

その後1年経って、結局目立った成果をあげることもなく、そのプロジェクトは解散された。そしてAさんはまた地方の営業所へと異動になった。1年という短い期間で判断されるのもどうかと思ったが、あれ以上時間をかけても事態が進展していたかどうかは疑問であった。
なんとなくモヤモヤしたままのAさんの異動劇であった。

プロジェクトがうまくいかなかったのはなぜだろう。
もちろんAさんのせいだけでなく、私を含めたメンバーの力不足はあっただろう。
そもそもAさんが赴任してくる前に、みんなの期待を膨らませてしまった私にも責任があったのかもしれない。
しかしそれはそうと、Aさんが無理矢理にでも成果を出してさえいれば、状況は変わったのだろうか?いや、Aさんのやり方が間違っていたから成果の出ようがなかったのか、どうするのが一番よかったのか、その答はいまだにわからない。

ただ、能力があるだけではうまくいかないのだ、そんなことを考えさせられた一件だった。


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