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何 ヱ萍 2004-01-13
中国には、「量体裁衣、量才使用」という諺がある。いわゆる体にあわせて服を裁断する、能力に応じて仕事をさせる、という意味だ。しかし、この中国の常識になじむ私が、思わぬ出来事に遭遇した。
日本にやってきて、やっと念願が叶って日本の会社で仕事することができた。3カ月過ぎのある日、
「何さん、この件を客先に電話して、確認してください」と突然に部長に言われた、
「えっ、私が!」、一瞬自分の耳を疑った。だって、今までは、翻訳や中国とのやりとりなどの仕事だったので、その方面についてはやりこなす自信はあったけれども、日本のお客さまに電話するには、つまり敬語を使わざるを得ない。間違ったら、恥をかくどころか、大事なお客さまを怒らせ兼ねないわけで、外国人である私には無理ではないか、と頭の中でパニック状態になった。しかも、周りは皆日本人なので、誰でも簡単にできることなのに、なぜ私に?意地悪をして人の困る顔を見て楽しむわけ?などと思いながら、しぶしぶと受話器を取った。
もちろん、うまくはできなかったが、妙にやりがいが湧いてきた。これ以来、周囲が敬語を教えてくれたり、何回もお客さまと話すチャンスを与えてくれたり、次第に怖がらずに話せるようになってきた。
考えてみれば、これは言葉の問題ではなく、本人の能力よりワンランク上の仕事をさせて、重い責務を負わせることによって成長を促すという狙いであったのだろう。人材を無駄遣いするのでなく、プレッシャーを与え過ぎるわけでもない、"量才使用"と比べて、より合理的、より科学的である。
これはすなわちB級の人にA級の仕事をさせることである、やや高めの目標を設定することによって、日々の進歩への励みにプラスとなる。
ただし、部長の口癖「できないことないさ、できないと思ったら終わりだよ」という断言にはいまだに納得いかない。きっと多くの日本人はそういう風に考えているのだろう。
かつてラーメン店で働いていた頃、分単位で仕事の目標を細かく設定され、店長は自分の過去の最高記録を皆に押し付けてやらせていた。結局1人も達成できず、皆、この店長にこっそりと「鬼」というあだなをつけて呼んでいた。
高い目標を設定するのは、本人の成長の上で確かにプラスの面はある。
しかし、何でもむやみに目標を設定し、自分を窮地に追い込んだりするのはどうだろう。あるいは達成できなかった場合、「私はできない人間だ」と言って嘆き、自己嫌悪に陥ってしまうこともあるだろう。そうしたストレスが、過労死や自殺などの日本の社会現象にもつながっているのではないか。
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