更新 2005.02.22(作成 2005.02.22)
2020年を目指して!
これはちょうど10年前、会社の設立案内で使ったコピーの一部です。
2020年というには、2つの意味がありました。1つは、2020年は私自身が60歳になる年だという点です。60歳で引退するかどうかは別にして、少なくとも60歳くらいまではこれからつくる新しい会社をやっていくんだという意気込みを含めていました。
もう1つは会社のビジョンと関係していました。
当時、アメリカのゴア副大統領が提唱した「情報スーパーハイウエイ」という言葉が注目を集めていました。2020年までに全米各地に高速通信網を張り巡らせるという構想です。
日本もそれに対抗し、もう少し前倒しの計画を作っていたと思いますが、いずれにしてもこれから20年前後の間に、私たちの生活は劇的に変わっていくんだとワクワクしながら会社をスタートさせました。
そのとき、2020年時点での会社の姿として描いていたのは放送局です。もちろん一般の電波の放送局ではなく、ネットを介して教育コンテンツを配信する社会人教育専門の放送局です。明確なビジョンというほどではありませんでしたが、そういう漠然とした夢も描いて会社をスタートさせました。
あれから10年が過ぎました。
情報インフラやハードウエアの進歩は、当時の予想をはるかに越えていたように感じます。社内LANもインターネットも当たり前となり、事務系の職種であればパソコン上で仕事をし、ネットを介してコミュニケーションを取るのが通常のスタイルとなってきました。
ところが教育のデジタル化が進んだかと言えば、そうでもありません。
パソコンのディスプレイ上で学習する習慣がなかったこともありますが、それより有力な学習コンテンツが存在していなかったことが大きな要因だと思われます。特に社会人教育に関してはデジタルコンテンツ以前の問題でした。紙の教材も含めて知識体系の整備が遅れていて、コンテンツを作ろうにも素材がないという状況が続いています。
この10年、ナビゲートはどうだったか。
設立当初の中心の事業は、研修コーディネート事業と称していました。横文字を加えているものの、中身は従来型の講師派遣事業です。将来的にマルチメディア型の教育ビジネスを指向していながらも、実際に販売していたものは、講師と、紙の教材と、せめてOHPと、ときにはラベルや模造紙を使った超アナログ型のサービスでした。
教育事業で収益を上げるにはそれしかなかったからです。しかし、決して集合研修を低く見ていたわけでも、嫌々やっていたわけでもありません。社会人教育のノウハウは集合研修にしかなく、現場の知識を吸収したり教え方のノウハウを蓄積したりするには、まず既存のスタイルの集合研修を手抜きせず、しっかりやっていくことが重要だと考えて取り組んでいました。
研修事業をやりながらも、会社としては「すべてのコンテンツをデジタル化する」という方針を掲げていました。それを具体化するために、研修の傍らでDTPによる制作事業も手がけていました。
DTPは印刷物をすべてパソコン上で作り上げてしまう技術で、ナビゲートでは主に教材や企業の社内広報用のパンフレット類などを手がけていました。おそらく教育機関の中では一番熱心に取り組んだほうだったはずです。
しかし、当時はDTPをやるにはハードもソフトも高価でしたので、投資負担はかなりきついものでした。また周囲からも、小さな会社で2つのビジネスを追いかけることを警告されていたのですが、自分の頭の中では1つのビジョンに向かった活動であり、どちらかに絞るという選択はできませんでした。
会社を設立して最初の4年間は毎年150%以上で成長を続け、設立3年目には支店として広島オフィスも開設しました。資金的にはいつも綱渡りの状態だったのですが、とにかく拡大を急いでいました。
しかし、設立5年目にちょっとしたつまずきで売上を落としてしまいます。そうなると、十分な資本もないまま拡大路線を走ったことがアダとなり、それからは収益面で一進一退を続けることになります。
研修事業では新しいテーマやプログラムの開発に投資できず、顧客を広げることに苦戦していました。研修という分野は技術的に成長が乏しいため、同じ顧客企業で新鮮さを維持し、満足度が落ちないようにしようとすると、コストばかりがかさんでしまう状態でした。
一方で、コンテンツのデジタル化も思い通り進みません。DTPだと最終的に印刷物にしてしまうため、そのデータの使い回しがうまくいかなかったためです。データを使い回しするには、印刷物を仕上げたあとでデータを要素別に整理してデータベース化していく必要があったのですが、それをやるゆとりはなく、何度か試みては挫折するという繰り返しでした。
そのころ、世の中はインターネットが急激に普及している時期でした。しかし、DTPへの投資が十分収益を上げきれていない状態でしたので、ネット系へシフトしていくことには二の足を踏んでいました。ネットにも多少のノウハウは有りながら、急成長したネットビジネスには完全に乗り遅れてしまいました。
当分は新しいことに手を出すのを我慢し足もとを固めなければ……。だけど目先のことばかりやっていると時代から遅れてしまう……。
夢を追いかけようとすると利益が上がらず、利益を確保できる仕事に専念すると技術の進歩から遅れてしまうということの繰り返しです。
2000年以降は、試行錯誤しながらビジネスの再構築に取り組みます。
研修事業自体は、プログラム設計のノウハウと講座を実施するしくみを既につくっていたので、あとは講師のネットワークを広げればどんなテーマでも対応できていました。
しかし、分野を無秩序に拡げていくのでは、コンテンツを開発するための知識が会社に蓄積できません。そこでテーマ領域を整理し、注力分野をOJT、5S、目標管理、CSとしました。この4つは組織の基盤となる領域で、これらを経営計画と人事制度に連動させていくことが、組織効率を上げていくポイントだと考えたからです。
もちろんその4つでも領域が広すぎますので、その中で特にOJTに関しては社内でコンテンツの開発に取り組むことにしました。
制作系のビジネスはDTPからWebへ大きくシフトさせました。Webと言っても企業内のイントラネットにターゲットを当てたもので、顧客企業の社内にある規程やマニュアル類をホームページの形態で制作していくサービスです。
こうすることで、これまでバラバラになりがちだった活動が、次第につながるようになってきました。
研修を通じてつくったノウハウをマニュアル制作に転用し、マニュアルの受託開発で提供いただいた顧客企業のノウハウを、その会社の研修に反映していきます。こうしてナビゲートの社内では、Webを媒介としてコンテンツを蓄積し、再利用しやすくなってきました。
顧客企業においても、やりっぱなしの研修や一過性の印刷物とは違い、ナビゲートを活用してやったことが会社の中に残るようになり、成果が蓄積されていくのを感じていただけるようになってきています。
もちろん、まだ技術も実績も会社としての対応力も全く不十分ですが、モデル的なケースが少しずつできているように感じます。
この10年、会社として十分な成長が遂げられたかというと、物足りなさでいっぱいです。むしろ、試行錯誤の連続で思いどおりにならないことばかりでした。しかし、ビジネスのスタイルがぼんやり固まってきて、成長の方向性も少しずつ見えてきたように感じます。
10年間で蓄積できた財産は2つです。1つは、弊社の力不足に目をつむり支持していただけたお客さまです。設立当初から、実績も知名度もなかった会社を採用していただけたことは、ただただ感謝するばかりです。
もう1つは社内のスタッフです。小さな会社ですので高給を出してスタッフを募ることはできませんが、会社のビジネスへの理解度と、お客さま指向と、パソコンのスキルレベルは、他の教育コンサル機関の中でトップクラスのはずだと自負しています。
私自身も10年前は経営者としてはド素人でした。
この10年間で、利益を出していくことの重要性、人を育てていくことの重要性、投資を決断することの難しさ、1つのことを形にしていくことの難しさなど、身にしみて感じました。
本当に勉強させられることばかりの10年でした。
さて、将来に向けての話も少し触れておきたいと思います。
社会人教育の放送局というビジョンはまだ捨てたわけではありません。今取り組んでいる研修事業やマニュアル制作事業も、その過程にある活動だと位置づけています。
ただ、行き着く先へのこだわりはそれほどありません。放送局ではなく、何か違った別の姿になっても構わないと思っています。
とにかく今しばらくは、ノウハウの整理を進め、質の高いコンテンツをたくさんつくっていくこと。それを机上でやるのではなく、お客さまの現場に入っていき、お客さまとともに進めていくこと。
そして、もっともっと人材を育て、しっかりと利益を確保していけば、きっと将来はいろいろな選択肢が広がってくるはずだと信じています。
このたび、10周年を迎えることができたことを、ご支援ご協力いただいたすべてのみなさまに感謝いたします。
そして今後も、他には無い、特徴ある会社として挑戦し続けたいと思います。
2005年2月20日 代表取締役 伊藤 弘二朗