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工夫して

更新 2015.04.03(作成 2015.04.03)

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第7章 新生 56.工夫して

「とにかく、来年の1月1日に移行したいんですよ。それまでに役員会と厚生省の認可をクリアして制度を発足したい」
「日程が早まりましたね。3月末だと仰っていませんでしたか」
「うん。最初はそれくらいになるだろうと思っていたんですがね、皆さんのご協力のお蔭で思ったより早くできましたので早めようと思うのです。セカンドライフ支援制度が今回は大幅にUPしましたから応募者が大量に出るでしょう。組織整備を異動の1月1日で行うのがやはり一番いいだろうと思うわけですよ」
平田の当初の目算では、来年の3月末に制度移行と考えていた。制度の整備や手続きにどれくらいの期間がいるのか見当がつかなかったし、関係会社の制度整備や巻き込みにどれくらいかかるのかわからなかったからである。年度変わりの3月という建前上の理屈を引っ張り出したのだ。本音のところでは1月1日の人事異動に合わせて制度移行とセカンドライフ支援制度を実施したい。1〜3月はセカンドライフのフォローやアフターケア、引継ぎの期間などに充てたいと思っていた。その意味では3月末の移行のほうが、面倒だし混乱が多いと思っていた。
それが思ったより全てが上手くいき、1月1日の実施に目途がたったのである。平田は胸の内で「よしっ!」とこぶしを握った。
今のところ問題は厚生省の認可がスムースにいくかどうかだけである。社内は新田がついている。社内ナンバーツーの提案に異議を唱えられる実力者はいない。以前は四天王とよばれる実力役員が4人いたが、それぞれ関係会社のトップに就任し残ったのは新田だけである。ナンバーツーとは言え、社長は来たばかりであり内政的には新田が仕切っている。
厚生省の認可は全く見当がつかないものの、以前なら中々許可が下りなかったが最近はどこの基金も運営に苦しんでおり、厚生省も柔軟な対応を見せ始めている。それに厚生年金基金としては適格年金を取り込んでの充実の方向である。問題はないはずだ。1月1日、いける。
「そうなんですか」
梶原は、退職や昇進昇格を加味し、組織編制に合わせて公正な人事異動をすることがどれほど大変なことかにわかに理解できない様子で、間の抜けた返事をした。彼らは、これ程人事部門に関わりながらも実際に人事業務に携わったことはなく、人事マンとしては素人であり、人事行政の大変さを理解していない。
それよりも「散々人を急がせておいて、スケジュールを早めるのかよ」と忌々しい思いを抱いた。
「これが最終の制度案です。これで計算をお願いします。これまでと変わったのは、ここに勤続年数別支給係数を入れたことです」
平田は、新田の考えで入れた勤続5年未満の者の支給額を制限する措置について説明をした。
「退職金の規程の新しいのはありますか」
梶原が要求した。
当然の要求だった。これに基づいてシステム設計が行われる。再計算には不可欠なものだ。
「はい。制度案に添付してあります」
平田は資料の後ろをめくって確かめさせた。
梶原はうなずきながら納得したあと、顔を上げて、
「他には何かありますか」と尋ねた。
「いや、この件に関しては今のところそれだけです」と平田も応じた。
「わかりました」
梶原はそう言いながらも、「今のところ」という言い方が引っかかったのか、まだ何か言われそうで一瞬顔を曇らせた。
「それじゃ、よろしくお願いします」
平田は退職金制度の話に一区切りつけた。
「わかりました」
梶原はそう言うと腰を浮かしかけた。
「ちょっと待ってください。もう一つ話があります」
平田は両手で押さえた。
「これはコンサルじゃないけど、お願いがあります」
「はぁ、なんでしょうか」
梶原は、平田の引き留めで浮かしかけた腰をもう一度落ち着かせ、怪訝な顔を見せた。まーだ何かあるのかよ、という面倒さがその表情に表れていた。
「実は今回セカンドライフ支援制度を充実させます。1人3000万円です。恐らく30人強出るでしょう」
梶原は無言でうなずきながら聞いていた。
「それで、会社はこれを経費処理のため一括で拠出するんですが、本人に一括で振り込むのではなく、年金のように月々一定額が入るようにはなりませんか」
「エーッ。私たちが運用、管理をするんですか」
「うん。まあ、運用というか管理というか、そんな仕組みが出来ればありがたいのですがね」
「全部でいくらくらいの資金になりますか」
「大体、3000万円の30人で9億円くらいでしょうか。私はもう少し人数が増えて10億円くらいになると思っています」
「それを一括でお預かりして、運用管理して月々個人に振り込むわけですか」
梶原は信託会社の性格が身に沁みているのか、運用というところに拘りをみせた。信託銀行にしてみれば10億円という金額は驚くような金額ではない。ちょっとどこかを押したり引いたりしたらいつでも出てくるような金額だ。
「うん。まあ、そこらへんを工夫してなんとかなりませんか。会社で検討してみてくれませんか」
「しかし、御社からは個々人さんへ一括で振り込まれるんですよね。それをこちらで管理するって……」
梶原は呆れたように後の言葉をつぐんだ。額も10億にすぎないし、その程度の金に面倒な手間暇を掛けるのは煩わしかった。
「まあ、検討はしてみますが、そんな一任勘定のような預かり方は出来ません。金融監督庁の監視が厳しくなっていますし」
「だから順法の中での工夫です」
バブル崩壊以降、デフレスパイラルは日本経済を委縮させ続け、株価は下がり続けていた。それでも株価への感度の鈍い日銀や政府は、思い切った有効な対策を打てないでいた。
株価は経済の体温だ。日本の政治家はそのことを認識していないようだ。バブルが弾けて10年近くなるのに、未だ浮上の切っ掛けすらつかめないでいる。決断の早い欧米とは比べ物にならない鈍さである。
この後も日本経済は浮上することなく、失われた20年と言われるように2009年に7000円の大底を打つまで紆余曲折はあるものの日本の株価は下がり続けた。
これは後日談だが、アメリカはリーマンショックから5年で立ち直っている。一概に比較もできまいが、もう少し株価に対してシリアスな見方ができておれば日本経済の立ち直りはもう少し早かったのではないだろうか。
銀行の不良債権の償却もまだ完全に終わったわけではない。山一証券や北海道拓殖銀行が倒産したのは半年前であり、銀行の倒産もまだ続いている。そんな中でルール破りの預かりは銀行として許されない。彼らは平田の話に中々乗ってこようとしなかった。

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