更新 2015.04.15(作成 2015.04.15)
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第7章 新生 57.もっと何かできるはず
「何がしたいかというと、我社(うち)の社員たちはお宅たちのように賢くないのよ。3000万円なんて一括でもらったら人生を狂わす者が出てくるんじゃないかと思うわけですよ。だから、月々分割で彼らが受け取るようにならないかと思うわけです。どんな形でもいいので考えてみてくれませんか」
信託銀行といっても、法人相手に年金の受託業務ばかりをしているのではない。リテール部門もちゃんとあり、店舗もそのように構えてある。普通の預金なら彼らとて10億の預金は欲しいはずだ。
平田は他の金融機関にも同じ依頼を出した。だが、どこも尻込みするばかりで色よい反応はなかった。あからさまに面倒臭さを顕わにするところもある。
それでも平田は一通りの取引銀行には話を投げてみた。
“面倒がって仕事ができるものか。仕事とは須らく面倒なものだ。面倒だから価値がある”
平田は頑なにそう信じている。だから吟味に吟味を重ね、制度に磨きを掛けるからいいものができる。
そんな時、新田からまた呼び出しがかかった。
「どうだ。退職金はうまくいっているか」
「そうですね。組合のほうはなんとかOKしてくれそうです」
「何か反応はあったか」
「はい。執行委員やブロック委員に勉強会をしてくれ、ということでしたから反対はないと思います」
平田は坂本との交渉内容をかいつまんで話し、年金化のことについて坂本も同じ考えだという事を報告した。
「うん、そうだろ。これは大事なことだよ。頼むぞ」
新田は、組合の委員長が賛同してくれたことで意を強くした。それに、いくつかのハードルの一つをクリアできる見通しを得て少し安堵した。
「それからこの年金化だけど、金融機関の反応はどうだ。何かいいリアクションはあったか」
「いえ。これはさっぱりあきません。どこも初めから拒絶的です。そんな面倒なことできません、って具合です」
「なんでや。何かきっと手はあるはずや。もっと強烈にプッシュしてみろ。なんだったらシェアを落とすと脅してもいいぞ」
もちろん例えの話だが、新田は自分のアイデアが“きっと社員のためになる”と信じており、語気を強めて平田を駆り立てた。
「いやー、それはかなりしつこく捻じ込んでいるんですがね、手立てがないんだと思うんですよ」
「そうかなぁ」
新田は納得のいかぬ顔をした
「お前だったらどうする。やっぱり断るか」
平田はハッとした。これまでは出来ないとの思い込みで金融機関に委ねることばかり考えていたから、積極的に自分のアイデアを出すことを怠っていた。つまり主体がなかったのだ。
平田は慌てて頭をフル回転させたが、咄嗟に思いつくものではない。
だが、そう考えると何かありそうに思えてきた。
「そうですね。そう言われると何かありそうですね」
「そうだろ」
「なんかそんな気がしてきました。少し時間をください」
「うん。何か考えてくれ」
いつの間にか自分の宿題になってしまったが、それでいいと思った。もともと俺の領域だ。
「それからな。いいか。彼らは10億という金を何の営業努力もなしに呼び込むことができるのだ。何がしかのプレミアムを出させてもいいと思うんだが、どう思うか」
“エッ、まだ何か要求するんですか”
驚きである。平田は、年金化のことで新田の欲求は一段落付いたと思っていたが、新田はもっと貪欲だった。部下に任せるだけでなく、自らも積極的に追及していた。
「俺たちは社員のためにもっと何かができるはずだ。できることを全て出せ。これはやらなくちゃいかん」
制度の出来栄えを追求するのに自分は人後に落ちないと思っていたが、新田は更に制度の深堀をやっていた。
しかし、平田はニヤッとした。こういうのは決して嫌いじゃない。むしろ好きだ。俄然やる気が起きてきた。またしても新田に背中を押された格好だ。
「わかりました。それも考えましょう」
声に張りがあった。
F信託が次に来たのはそれから半月ほど経ってからだった。
再計算の膨大な資料をテーブルの上にドッサリと置いて説明しだした。
彼らが出してくる資料はA3の大きな用紙であったり、B4あり、A4ありで扱いにくかった。求められる答えが正確で合理的であれば使う人の扱いやすさは二の次のようだ。今は業務をこなすことに精一杯でそこまで手が回らないのであろう。
「勤続支給係数が入った分、わずかですが数値が下がっています」
「わかりました。ありがとうございました」
平田にとって、そんなことはどうでもよかった。新退職金・年金制度を提案するにあたっての財政的検証シミュレーションであり、添付資料にすぎない。しかもそれはこれまでの試算で概ね確認できているし、最後の修正だけであるからだ。
彼らはそれだけで用事は済んだと澄ました顔をした。
しかし、ここで彼らを帰してはならない。平田から催促した。
「それよりも年金化のことは何かいい手立てはありましたか」
「イヤー、それはちょっと難しいです。本社にも聞いてみたんですがいい返事が返ってきません」と、すっかり諦めている。
「そうですか。それじゃこういうのはどうですか。例えばですが、私が100万円で10年の定期を頼んだとしますと断りますか」
「いえいえ。それはありがたくお預かりします」
梶原は、何かを感じたらしく目を丸くした。