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灘の生一本

更新 2016.06.27(作成 2014.12.15)

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第7章 新生 45.灘の生一本

菊鶴酒造は神戸市東灘区にある。この辺は阪神淡路大震災の時最も被害の大きかったところで、道すがら注意深く見守りながら車を走らせると震災の爪痕はまだあちこちに多く残っていて、いたるところに倒壊した建物を取り除いた後の空き地がポッカリと口を開けており、復旧は遅々としているようだ。
菊鶴酒造は外から見る限り震災の被害後は見受けられず、静かに佇んでいて白壁の蔵がいくつも並んでいた。奥の方には赤レンガの煙突がそびえていたが、ボイラーの普及で今はどの蔵元でもそうだが使われておらず、シンボルタワーとしてのみ存在していた。煙突に書かれた菊鶴酒造の文字だけが高く目立っていた。
表玄関に塀や門扉は無かった。その代わり、低い石組みの日本風庭園がゆったりと解放され、道路と建屋の距離を取っていた。エントランスは回廊式に配置してあるため、道路から玄関は直に見えない。
3方を白壁やナマコ壁の蔵が囲み、中央に本社社屋らしい5階建てのコンクリート造りのビルが建っていた。
東側の道路に面した一角には、仕込み水に使う井戸水を一般の人も使えるように水汲み場が設けてあり、常時蛇口から水が流れて解放されている。親切に雨を凌ぐように屋根とベンチが設えてある。気を付けて見てみると、他の蔵元も同じように水汲み場を提供していた。
この辺の水は「宮水」と呼ばれる六甲山からの湧水で、酒造りに適し、端麗辛口の灘五郷の酒を育む名水だ。
川岸は規模の大きさに圧倒された。自分のところの銀嶺とは何という違いだろうか。こんな酒蔵と伍していかなければならないかと思うと銀嶺の未来に厳しいものを感じた。
しかし、この菊鶴酒造だっていきなりこんな規模になったわけではない。永い間、幾多の苦労や努力を重ね、小さな信用をコツコツ積み上げてきた結果が今日の業容を築き上げたのだ。
規模では競争にならないが品質では負けないものを造ることはできるはずだ。川岸は菊鶴酒造社長との面談を前にして、緊褌一番改めて気を引き締め直した
玄関にたどり着くと、直径7〜80cmはあろうかと思われる大きな杉玉が軒下に掛けられていた。去年の分がまだそのままかけられているのだろう、茶色く枯れている。その薄茶色がかえって柔らかさを装ってフカフカに見える。新しいのはこれからだろうか。
杉玉とは、杉の枝葉を球状に丸めたもので昔からの造り酒屋の習わしで、新酒が出来たとき今年も新酒が出来ましたと蔵元としての心意気を世間様に喧伝するために酒蔵や表玄関に掲げる縁起物だ。造った当初は青々としているが、時間とともに少しずつ枯れていき茶色に変色していく。蔵人は、杉玉が変色していくにつれ酒が熟成していくのを思うのだそうだ。
社長の宗治千輔は70才前後だろうか。豊富な人生経験を伺わせる円熟味を帯びた柔和な面立ちである。いかにも商人風に腰が低く、鷹揚な立ち居振る舞いは育ちの良さを感じさせる。反面、炯々と輝く眼差しはただ者ではないことを物語っていた。
川岸は相手が年上で良かったと思った。自分より若かったら素直に無心出来るか自信がないところだ。それは男としての意地であったりプライドのようなもので、それらが意図せぬ方向に話を捻じ曲げるかもしれない。そう思う自分を恐れた。
いかにも老舗の造り酒屋らしく、社長室は重厚だが質素だ。
壁には歴代の社長の写真が額に入れられて掛けてあった。さほど広くはない部屋の一隅には当社の製品が棚の中できれいに並べてあった。大吟醸酒から普通酒、みりん、甘酒など随分と多い。化粧品もある。
川岸は酒屋がなぜ化粧品なのだと不思議だったが、醗酵技術を応用して麹から造る化粧水にいいものが出来て人気なのだそうだ。
名刺を交換しあいさつを済ますとソファーを勧めてくれた。ほぼ同時にノックの音がしてお茶が運ばれてきた。
川岸は突然来訪した非礼を詫び、訳をつぶさに話した。
「それでもし余裕がおありでしたら少しでもいいので譲っていただけないものでしょうか……。いえ、こんな厚かましい話、顔から火が出る思いでお願いしております」
「そうでしたか。それは難儀なことでしたな」
いいとも悪いとも、宗治からはまだ何も反応はない。川岸はまだ自分が吟味されていると思った。
「広島も三大銘醸に数えられていてお酒のおいしいところですよね」
「いえ、灘のお酒には適いません」
川岸は謙遜した。
「西条の町なんか、酒都西条なんて言われて、酒造りが盛んなところだ」
今の東広島市でかっての賀茂郡西条町だ。龍王山からの伏流水が酒造水として特段に優れており、酒都西条は水で持つとさえ言われている。
西条駅前の酒蔵通りには酒造名水群と言われる仕込み水が、どの蔵からも解放されていて親しむことができる。
東広島市観光協会会報によると、「ここの酒造水は、灘の宮水に比べてミネラル分(硬度)がやや低い。その代わり有機物や鉄分、マンガンなどが少ない澄んだ水だ。この水質が西条酒特有のコク、喉ごし、後味の良さを引き出し、変質しにくい酒ができたので全国的に人気となった。
一方、灘地区の酒造水は六甲山からの湧水で、宮水と呼ばれて有名だが、硬度が高く酵母がミネラル分を養分としてグイグイ醗酵するので辛口となりやすく、芳醇で濃い酒となるようだ」とある。
こうして造られる灘地区の酒は、「灘の生一本」と謳われる。
「灘の生一本」とは特定酒のブランド名ではなく、六甲山の水を使い辛口に仕込まれた灘地区全体の酒のことを指すものだ。
西条では毎年10月上旬の土、日曜日に町を挙げての酒まつりが開催され、主な公園や広場で全国の銘柄の試飲ができたり、美酒鍋を振る舞ったり、いろいろなイベントが催される。
また、各蔵元もコンサートを開催したり、地場特産の食べ物を提供したり、酒蔵を解放したり、独自の企画を催し大賑わいを見せる。振る舞い酒を目当ての観光客で町は歩けないほどごった返し、この2日間のJRはすし詰めになるほどの人気だ。

「親会社はどちらさんですか」
「はい。中国食品です」
「あー、そうですか」
さすがに大阪2部上場会社の名前は知っているようで、宗治社長の目が大きく開いた。
「震災のときには随分とお世話になりました」
「うちの会社が何かお手伝いするようなことがあったのでしょうか」
「うん。わが社に直接というわけではありませんが、神戸という街が随分と助けてもらったようです。御社の若い社員の人たちがきびきびと救援活動しているのを何度も見かけました。他にも日本中から多くの人が駆けつけてくれました」
確かにあの時はタスクフォースを組んで、2、30人の救援隊を2、3週間派遣したし、救援物資も営業トラックに積んで運び込んだ。
「まだ、完全復旧とはいきませんが、お蔭様でよっぽど酷い状況は抜け出たと思います」
宗治は神戸の街をみんなが助けてくれたことが余程嬉しかったとみえて、何度も頭を下げながら当時を振り返った。
「それはようございました。御社には被害はなかったのですか」
「お蔭様で設備や建屋の被害は大したことありませんでした。ただ、製品は全部倒れてしまってそこら中、破瓶と酒でグチャグチャでした」
「そうでしょう。私もあの時、復旧の手伝いに来まして惨状を目の当たりにしましたので、想像に難くありません」
川岸は恩着せがましい話をするつもりはなかったのだが、意図せぬうちにそのような方向に行ってしまって、少し後悔した。
川岸は慚愧の念を引きずって黙ってしまった。
そんな川岸を見て、宗治は感慨深げに心の内を漏らした。
「しかし、寄りも寄って一番難しいところへ来られましたなぁ」
「はぁ……」
それは一番難しい蔵元という意味なのか、土地柄という意味なのかわからなかった川岸は不気味さにゾクッとした。

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