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 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.7-44

禁じ手

更新 2016.06.27(作成 2014.12.05)

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第7章 新生 44.禁じ手

「ところで話は元に戻りますが、今年の分ですが……」
川岸がそこまで言うと、途中で杉山が話をとった。
「あーっ、そうでした。それがありました」
「何か手に入れる方策はないものでしょうか」
「うーん。私たちは農家さんと蔵元さんを結び付けるだけのものでして、全量買い取って全量納め切るだけですので、私たちが横流しするようなことはできません」
何時ごろからどのようにこの村米制度に農協が絡むようになってきたかはわからないが、米を右から左へ流すことでそこにマージンが発生していることは確かであろう。その代わりとして農家の立場を守り、蔵元の需要を満たす役割を果たすことでその存在価値を維持しているものと思われる。
「一つだけ望みがないこともありません。これはもう最後の最後の禁じ手ではあるのですが」
「はい」川岸は身を乗り出した。
「大分前に聞いた話なんですが、ある蔵元さんが水害だか火災だか忘れましたが天災で自分ところの米が使い物にならなくなったことがありました」
川岸はゴクッと生唾を呑み込んで話の続きを待った。そこにはとてつもなく重大な情報が秘められていて、今にも目の前に飛び出してきそうな気がした。
「そこにある大手の蔵元さんが気の毒がって自分ところの米を融通してあげたというのです。そりゃ、千載一遇のチャンスとシェアを取りに行くところもあったようですが、その蔵元さんは人の不幸で儲けるような商売をしてはいずれ自分に降りかかる、と助けられたそうです」
「そうですか。そんな方ばかりなら助かるのですがね」
「それでどうでしょう。どこか蔵元さんを直接訪ねられてみては。今、酒は人気が下降気味で米も多少余るようです。それで甘酒やみりん、化粧品などを開発しておるわけです」
「なんの縁もゆかりもないのに相手にしてもらえるでしょうか」
川岸は、これはかなり至難の業だなと思いながら、それでも一分の可能性でもあれば当たって砕けたかった。ただ、当てもなにもない。杉山だけが頼りだ。
「もし、杉山課長さんのほうでどなたかいい方をご存知でしたらご紹介願えれば一番ありがたいのですが」
恐らくこんな話は社長以外に製造や仕入れの部課長では裁断できない。となればアポなしで会えるわけがない。
もう、時間はすでに4時を回っている。もし会ってもらえるものなら明日でも明後日でも構わない。どうせ今日は泊りだ。
「そうですね。私が我儘を言えるところと言えば、やっぱり菊鶴酒造さんですかね」
川岸のすがるような眼差しに杉山も負けた。
「わかりました。ちょっと電話してみましょう」
そう言って杉山は奥に引っ込んだ。
川岸は祈るような気持ちで杉山の後ろ姿を見送った。
「あっ、社長。JAみのりの杉山です。ご無沙汰しております」
杉山の大きな声のあいさつが遠くに聞こえた。
しかし、その後はトーンが落ちて何を話しているか聞こえなくなり、成り行きをうかがい知ることはできなくなった。川岸は気が気ではなかったがはやる気持ちを押さえてジッと待った。
杉山の電話は5分近くかかった。事情を説明し、川岸の話を聞いてもらう承諾を得て、アポを取るまでの中身の濃い電話だ。エネルギーが要ったであろう。
菊鶴酒造にしてみればライバルであり、そのライバルに塩を送る話を前提に川岸に会ってくれと頼むのである。
村米制度を取り持つ立場の杉山に、菊鶴酒造の社長に米を融通してくれとはとても言いにくかろう。せめて会うだけの約束でもいい。そこまでしてくれたらあとは自分の責任だ。銀嶺に掛ける自分の夢と情熱をどれだけ信じてもらえるかだ、と川岸は思った。
杉山が元気な足取りで帰ってきた。いつもこんなエネルギッシュな動きをするのだろう。部屋の空気が陽光が差したように一気に熱くなる。
首尾はどうだったのだろうか。川岸は胸の高鳴りを押さえて杉山の顔を凝視した。
その顔は明るかった。
「明日でもいいですか」
ソファーに座るなりそう聞いた。
“やった”
瞬間、川岸は胸の内でそう叫んだ。
「もちろんです」
川岸にはそのほうがありがたかった。もう夕暮れも差し迫ってきており、不慣れな土地で約束の時間にたどり着く自信がなかったからだ。
「先ほどのお話は菊鶴酒造さんのことですか」
「いえ。あれは別の会社です。菊鶴酒造さんは私が個人的に懇意にさせてもらっていまして、社長にはよく可愛がってもらっているんですよ」
なるほど。この男の陽気さとバイタリティは誰からも愛されるだろう、と川岸は思った。
「すみません。私のために無理をさせてしまいまして。社長が気を悪くなさらなければいいですがね」
川岸は2人の関係を慮った。
「大丈夫ですよ。きちっとわかってくれました」
「ありがとうございます」
「それじゃ、明日の11時にお時間をいただいておりますので……」
川岸は厚く礼を言うとその日のうちに神戸まで行き、菊鶴酒造のすぐ近くに宿をとった。何が起きても歩いていけるようにだ。

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