更新 2014.11.25(作成 2014.11.25)
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第7章 新生 43.心意気
「そうは言ってもどこもギリギリというわけではありませんから、それらをかき集めれば量にもよりますが少しは可能性があります」
無茶を言われては困るが、少しなら何とかなるかもしれないというのだ。
何だか川岸は弄ばれているような気がした。先ほどまではできないことをこれでもかと聞かされていたのに、今度は一変可能性があるという。
川岸は戸惑いを感じながらも、それでもありがたいことに変わりはなかった。ここまで来て今年の分はおろか来年の分まで目途が立たないとなれば、それこそ会社はとんでもなくのっぴきならない事態に陥ってしまう
米というのは苗を植えればすぐ出来るものではない。田植えや稲刈りに代表されるように八十八手の手間がいるから米という字が生まれたように88の手間と暇をかけなければ米はできない。
まず、秋に黄金の波打つ頃稲は刈り取られる。刈られた稲は脱穀され実である籾の部分と、葉や茎の藁の部分とに分離される。
籾はまだ殻を被っていてそのままではまだ食べられない。また、そのまま保管したのではカビが生えたり腐ったりするので乾燥させ、翌春まで貯蔵しておく。これが種籾で、農家にとっては命のリレーになる。
春になるとこの種籾を三日三晩水に浸漬し、苗床に直播する。
稲は南方の植物で日本の春の気温ではなかなか発芽しない。ビニールを被せたり、ハウス内で育てたり、保温に気を配りながら育苗される。芽を出し20cm位に育ったものが苗だ。これを早苗と言う。
この苗を4、5本ずつまとめて田に植えていくのだが、一時期に何反もの田植えをするには一人二人の手ではとても間に合わない。そこで村人同士で助け合ったり、アルバイトを頼んだりしているうちに田植えだけを手伝う若い女性の技能集団が生まれた。
彼女たちはほとんどが嫁入り前の農家の娘たちで、手早く自分のところの田植えを済ますと4、5人単位のグループでその地方の農家さんを渡り歩き高額の給金をもらって田植えをやり遂げるのだ。今ではそんな風習もなくなったが、広島県山県郡北広島町の壬生というところではその名残が「花田植え」という風物詩としてこの地に残っている。
だが、そうした風習も田植え機の登場で様相が一変した。育苗の仕方もプラスチック製の育苗ケースが開発され、これに専用の土を敷き種を撒く方法で田植え機に合った均質な苗が育てられるようになった。人の手の場合は多少苗が不揃いでも指先の調整で4、5本にまとめて植え付けることができるが機械ではそうはいかない。だから機械に合う苗を育てる工夫を考えた。丁寧に仕事をする日本人ならではのアイデアだろう。
この苗は暑くなるころ分けつし、15〜20本の株に育つ。株が育つ頃には水を切り、株をいじめて根張りを促す。
水稲といわれるように水の管理が稲作の要点であり、農家にとって水利権は命の次に大事なものだ。
しっかり根を張った株は夏の暑い頃花を咲かせ結実する。
こうして育った稲は秋に黄金に実り収穫される。昔は、はで干しといって刈り取られた稲は「はで」と呼ばれる木組みの鞍にまたぐようにぶら下げ天日干しされていたが、近年は稲刈機やコンバインの登場で稲刈りから脱穀まで一気にやってしまうので天日干しの景色はあまり見かけなくなった。籾の乾燥は乾燥機で強制的に乾燥する。これで88手も77手くらいになったかもしれない。
だが、本当はこの天日干しの米が実に旨い。太陽の光が米の成分を旨みに変えるようだ。魚沼産コシヒカリの天日干ししか使わないと言う高級料亭もあると聞く。
籾のままでは食されないし酒造にも利用できない。乾燥させた籾は種籾分を残し、残りを食用として使用するため籾摺りという作業に入る。籾同士をすり合わせ、殻である籾殻と中身の米とに分離するのだ。
この米は玄米といってまだ肩に胚芽を付けている。籾のままでいるときの胚芽は翌年芽を出すときの大事な役割を担っている。そのため養分豊富で、健康志向家が玄米を好んで食する所以となる。しかし、食味にはかなり落ちるため精米して白米で食するのが一般的だ。だが保存には玄米のままがいい。白米にして保存すると変質が早いので、食べる直前に少しずつ精米して食すのがいい。
蔵元が購入するのもこの玄米だ。玄米をどこまで精米し、削り、磨き上げるかが杜氏の技量であり、心意気だ。杜氏は、究極の心白が出現するその一瞬を求め、全神経を研ぎ澄まして磨き上げていく。
川岸が今求めているのも山田錦のこの玄米だ。
「それでどれくらいお入用ですか」
「来年の分ですかね」
「そうですよ。正確には今年の秋の収穫分です」
「あー、そうでした。そうですね。0.5トンくらいといえば厚かましいでしょうか」
全部が全部大吟醸を造るわけではない。勝負酒はそれくらいあれば後は広島の米を手当すればいい。しかし、それも早く手を打たなければと思い始めている。農家と蔵元の関係がこういうことで、酒米の貯蔵がないということであれば早く手を打たなければ大変だ。恐らく広島でも同じようなことだろう。
広島にもいい酒米はある。山田錦も作っているし、雄町米、八反錦、千本錦など酒造に適した米が作られている。それでも、吉川町の山田錦にはやはり勝てない。
広島の蔵元も努力を惜しんでいるわけではない。農家と協力して減農薬、減肥料で特別に栽培する山田錦の育成に力を注いでいるところもある。
米の収量は1反から30キロ詰めで大体15〜17俵であるから、0.5トンといえば凡そ1反分の作付けになる。
「そうですか。そのくらいなら何とかなるかもしれません」
「ぜひお願いします」
川岸は必死で頼み込んだ。
「いや、まだはっきりとはお約束できません。問題は増産をしてくれる農家さんがいるかどうか……、それに種籾の調整がきくかどうかです」
杉山は、難しい顔をしながらそれでも打つべき手を読んでいた。そう言い終わると、口元をきりりと引き結んだ。
川岸もその緊迫感を十分受け止め、「はい。よろしくお願いします」と頭を下げた。
「ただし、種籾の調整次第で、それに田圃単位作りますので収量が若干増威しますが、それはよろしいですか」
つまり、多かろうが少なかろうが出来たものは全量買い取れといっているのだ。
「はい。もちろんそれは承知しております」
ここの村米制度がそういうしきたりなのだから、いきなりやって来た新参者がそれに異を唱えることはできない。
「わかりました。それさえ承知していただければやってみましょう。後日電話します」
「あのー。こんな無理なことを頼んでおいて言いにくいのですが、大体何時頃になりますでしょうか。いえ、けして急かすわけじゃありませんが」
川岸にしてみれば、もし話がつかなかったら次を当たらねばならない。杉山には言いにくいが大事な確認だ。
しかし、杉山もそこは心得たもので、
「そりゃそうでしょう。それくらい承知しております。いや、そんなにかかりませんよ、1〜2週間待ってください。それくらいには調整してみせます」と言い切った。
このとき杉山は既にその気になっていた。JAにとっても事業拡大に繋がる悪い話ではない。
杉山はやる気も行動力も備えたいわゆる仕事の出来る男らしく「見せます」ときっぱりと言い切った。それに問題に対して前向きなのがいい。どんな些細な仕事でも労を惜しんではけしていい仕事はできない。
「面倒くさい」は、仕事の出来ない人間の常套句だ。どんな偉業も意匠や名画も名器も、その面倒くささを積み重ねた丹精からしか生まれてこない。この丹精こそが熱意や心意気の発露だ。
「ありがとうございます」
やっと一息つけた。思い出したように出されていたコーヒーを一口啜ったがとっくに冷めていた。額にはうっすらと汗をかいていた。