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労働債務

更新 2014.08.05(作成 2014.08.05)

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第7章 新生 32.労働債務

今回の退職金の見直しは、ただカーブを寝かせ水準を引き下げれば済むという話ではない。ポイントをどのようなコンセプトの基に積み上げるか。どのような形で年金に繋げるか。年金の支給の仕方はどうするか。そんなことをイメージしながら一方でそれを可能にする具体策を検討しつつ全体像をデッサンしていかなければならない。
これはどんな仕事にも言えることだが、この全体像をできるだけ具体的に構想できたら仕事はほぼ達成したも同然だ。
今回の退職金、年金改定で新田から言われているテーマの一つに過去勤務債務の削減がある。
退職金、年金の水準が高く、利息も高い。運用収益もマイナス状態が続き掛け金が追い付かない。債務は増える一方である。
これは企業が従業員に約束した確かな労働債務(退職給付債務)である。
退職給付債務とは、将来の退職金や年金のために会社が準備しなければならないお金の現在までに発生していると認められる金額のことである。
この退職給付債務に向けて会社は掛け金等で積み立てていくわけであるが、厚生年金基金や適格年金制度が発足する前の勤務分についての未積み立て部分(これが主たる部分であるが)や昇給率の差や退職者の見込み差、運用益の見込み差(経済環境や運用の巧拙によって常に発生する可能性がある)などで不足金が発生する。
これらをひっくるめて過去勤務債務という。
基金は5年に1度の財政再計算で基金の財政運営が健全な状態にあるかどうかを検証することになっている。その結果、積み立て不足がある一定の許容範囲を超えると健全性を回復するための特別掛け金を、通常掛け金の他に母体企業は別途拠出しなければならないことになっている。これは企業年金法で定められた厳正なものだ。
不足分を何年で償却するかで特別掛け金率が設定されるのだが債務の膨張に追い付かないのが常態であり、財政再計算の度に制度は新たな負担を企業に要求してくる。
バブル崩壊後、企業の財務状況の健全性を検証する試みとして企業が保有する株式や債券などの金融資産の評価方法が、取得方式から時価評価方式への変更が本年度(1997年)決定され、2001年3月期から導入されることになった。これにより企業の隠れ債務(評価損)が一気に炙り出されることになり、企業会計に大きな影響を与えることになった。
退職金、年金の資産も時価評価になり、場合によっては評価損が発生する。この評価損はすなわち年金の積み立て不足として見なされ、企業が埋めなければならない債務として企業会計の貸借対照表の中に織り込まなければならなくなった。
ところが、株式や投信、債券など金融商品の価格下落が続く環境下、年金や退職金のファンドは毎年のように評価損を出し続け、本来なら運用益を出すように設計されている年金制度はダブルの痛手を被り、もはや制度を維持することすら困難になってきた企業も出始めた。
折しもこの年、7月に発生したアジア通貨危機で新興国の通貨が軒並み下落し、信用収縮と対外債務の増加で世界の景気は急激に後退した。
また、11月になると三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けに金融機関が破綻していき、日本経済はいよいよ厳しい状況になってきた。
買収や合併などのように、有形無形のあらゆる資産と債務を洗い出し企業価値を厳密に判定しなければならない時には、この退職給付債務も企業価値を左右する大きな要素だ。
過去勤務債務を減らすという事はすなわち退職給付債務を減らすことに他ならない。そうとすれば当然のように退職金や年金の水準を下げざるを得ない。更に据え置き乗率(利息)も5.5%は高すぎる。もっとリーズナブルな水準に下げたい。そうなれば当然年金額は下がり会社が負う債務は減る。

平田は退職金水準を平均3000万円、据え置き乗率を4.5%にしたポイント制をF信託銀行の担当者に打診した。
しかし、答えはNOだった。
「平田さん。これは認可がおりません」
「どうしてですか」
「基金の年金給付額が下がりますよね。今回はポイント制への見直しですよね。その時基金の制度改悪ととられるような改定は厚生省が認可してくれません」
「しかし、会社がやっていけない状況になれば給付の引き下げも止むを得ないでしょう」
「その時は別途申請して会社の経営状況などから判断されますが、赤字決算が続くとか倒産の危機に瀕しているとかの場合しか認められません。ほとんどは基金の解散となるケースが多いです。ただ、その場合も今までの掛け金不足を一括で拠出しなければなりませんから現実には厳しいものです。それほどこの制度維持への拘りは執念に似たものがあります」
今はまだ、年金制度を維持できないほどわが社の経営が逼迫しているとは思えないから、たちまち解散するとか一括拠出とかの話に平田は興味がわかなかった。
今平田の脳裏にあるのは、会社の実力以上に約束した退職金や年金の制度をまず世間並みの水準にし、賃金とのリンクを切り離し、実力主義を織り込んだポイント制にすることだけだった。それにより、このままではいずれ来るであろう会社の力によるリストラを避けたかった。
力によるリストラ、つまり解雇は会社と社員の信頼を一気に壊してしまう。何としても避けたい。雇用の維持こそが信頼の最後の拠りどころだ。このポリシーは初代社長の竹山の時代から受け継がれているもので、樋口の時代に最も顕著に発信され、厳しいが大事にするという政策が貫かれた。
「なにかいい方法はないんですか」
「一つだけあります」
「それはなんですか」
「御社には適格年金がありますよね」
「うん」
「それを基金に取り込みましょう。適年を廃止して基金一本にまとめますと理論的には倍になりますから基金としては給付改善になります。それだと厚生省もOKのようです」
「逆に、適年の廃止は大丈夫なんですか」
基金の改悪に難色を示すのだから適年だって難しいだろうと平田は訝った。
「はい。適格年金制度は会計制度上の税制優遇制度で大蔵省の管轄です。優遇するということは税収が減ることを意味しますから企業が制度をやめることには何ら抵抗はありません。むしろウェルカムでしょう。制度を維持しようとの拘りはありません」
「うん。なるほどね。それじゃ厚生年金基金はなぜそんなに抵抗があるんですか」
「基金は厚生省の管轄です。そもそも法の主旨が労働者を守ることに意を置いていますから改悪や廃止など、企業経営の怠慢とか我儘には厳しい姿勢を示してきます。それに大手基金には厚生省OBの受け皿となっているところも多いですから、それがなくなるのにも抵抗があるのでしょう」
「なるほどそうですか。しかし、適年の優遇がなくなるということは税負担が増えるのですか」
「いえ。制度の形を変えずにただ取り込んで基金に上乗せするだけなら変わりません。基金の掛け金も経費で落ちますから税負担は同じです。管轄が大蔵省から厚生省に変わるだけです。それに適年は近い将来廃止する方向で動いていますから基金へ統合するということならOKのようです」
やっと一つの出口が見つかった。
この案には事務管理の簡素化もでき、新田も積極的に賛成した。

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