ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.7-33

正気の気風

更新 2014.08.15(作成 2014.08.15)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第7章 新生 33.正気の気風

関係会社の制度見直しは、藤井の好リードもあって順調に進んでいるものの、時には「それでも、それでも」と議論が混乱することもある。彼らもまた思い切った改革と従来のままの保守的な考え方との間で揺れているのだ。
そんな時オブザーバーの平田が、これまで集めた情報を提示しじっとしていては浦島太郎になるのだと丁寧に説明する。それを裏付けるように藤井が外部企業の具体的事例を説明しフォローする。そんな丁寧さがメンバーを安心させ納得させる。
総務部長の福富も、キックオフの日に社長の前で迷走しかけたことなどなかったかのように自らの役割をきちっと果たした。要所要所では社長に中間報告の形で根回しをし、議論の後戻りがないように押さえていった。
一方、平田の退職金の見直しも紆余曲折を経ながらも意外とテンポよく進んだ。大変な作業のわりに大きな壁や問題が起きない。いや、正確には問題は起きるのだが何とかクリアできていくのだ。新田の難しい要求や厚生省の認可基準などクリアしなければならない課題や問題は次から次と降ってくるのだが、平田がどうするかと死に物狂いでもがき苦しんでいると、それらが誰や彼やの助けで解決の糸口が自然と開いていくのだ。平田はありがたかった。平田の一意専心がどこかで通じていくのかもしれない。
虚仮の一念岩をも通すとはこのことではなかろうか。一心不乱に打ち込んでおればいつか道が開かれる。

年齢と資格のポイントによる退職金のシュミレーションができた。
平均的課長で3000万円の水準だ。現行制度より1割以上引き下げているがそれでも世間水準よりはまだ少し高かった。
平田もそれには気づいていたが、これくらいは誤差の範囲で許されるかなという甘えと、家に火を着けたろかというどこか耳の奥に残るフレーズがもう一歩の踏み込みを甘くさせていた。
「ポイント単価はいくらだ」
「はい。1ポイント1万円です。千円という案も考えてみましたが、逆に3千ポイントが3万ポイントとかに膨らんで扱いにくかったので1万円にしました」
「うん。ポイントはそれでいい。世間一般も1万円が普通だろう。しかし水準はまだ高いな。もう少し下げろ。世間並みにしろ」
新田はまだ満足しなかった。
「しかし、これでも随分下げていますが」
「いや、まだ会社には無理がある。無理を残すとどこかに不満が燻る。どうせやるなら思い切ってやったほうがスッキリするだろ」
「しかし、組合なんかが納得しますかね」
「納得させるためにも、これしかないという案を提案することだろう。どこかで遠慮したり阿ったりしていてはかえって見透かされるぞ。お前が、これ以外にいい案があるなら言ってみろというくらいのものを作らなきゃだめだ」
“アッ、そうだった”
平田は制度を上手く導入することばかりに気を取られすぎて本筋のあるべき論理を忘れていた。
「正気堂々でいけ」新田は念を押した。
この指摘はありがたかった。平田は思わずぬかるみに足を取られるところを新田のこの一言が元の正論に引き戻してくれた。
「それからな。予定利率は4.5%だぞ。5.5はもう無理だ」
「はい、この案もそのようになっております。適年を取り込むのであればこの際利率は下げておかないともったいないです」
もう、平田に迷いはなかった。瞬時に正気の気風に立ち戻れた。
「それからな、保障期間も延ばせないか」
新田は次々と要求を突き付けてきた。
「過去勤務債務を減らしたい」
「以前から言っておられますね」
「うん」
「適年の取り込みで、適年の10年保障から基金の15年保障に変わりますからそれだけで大分軽減されますが」
「そうか、それがあるか」
新田は確認するように呟いた。
「しかし、債務を減らしたい。17年にしろ」
気を取り戻すように強く言い切って、さらに要求してきた。
「退職ドライブをかけよう。今セカンドライフ支援制度の利用状況はどんな具合だ」
平田は少し驚いた。
そこに踏み込まなくてはこの度の課題は解決しないだろうと予想はしていたし、そんな要求が来るかもしれないとの予感も見直し作業に入るときからあったのだが、新田がこれほどあからさまに要求してくるとは意外だった。
「はい。毎年10名前後の利用者が出ております」
「そんなもんか。なにがネックだ」
新田は利用者が少ないことに不満のようだ。
しかし、もともとこの制度は自主自立の支援制度であって、会社が積極的に仕掛ける制度ではない。ニーズがなければそれまでの制度なのだ。過去勤務債務を減らしたいという願望がなければそんな不満も湧いてこない制度だ。
「やはり金額ではないでしょうか。定年まで10年近くを残して第2の人生に踏み出すには1千万円では不安だし、何か新しいことを始めるにしても1千万円では踏ん切りがつきにくいのでしょう。家業を継ぐとか田舎に帰って農業をするとか、余程次の人生に目途が立っている人しか利用しておりません」
「しかしわが社に不満の者もいるだろう。そこいらにドライブをかけるとしたらいくらあればいい」
「はい、そうですね」
そう言って平田は、新田が自分の案をどこまで飲んでくれるかと新田の顔をそっとのぞいた。
「3千万円なら相当出ると思います」
「そんなに要るか」
「はい、そうですね。それくらいは要るでしょう」
「なぜ3千万なんだ」
「残り10年として、3千万なら1年当たり3百万円です。第2の人生で仮に2、3百万稼いだとしますと年間5百万を超えます。これだと十分普通に生活が出来ます。セカンドライフだけで食べていけるとしたら3千万円がそっくり残ります。このまま会社にいても3千万円の貯金を貯めるのは難しいでしょう。また、セカンドライフが上手くいかなかったとしても年間3百万円あればなんとか食うだけは食い繋げます。初任給より多いですから」
「なるほど。3千万か」
「実際に利用者が10名前後出ているわけですから純粋に支援制度としては1千万円で十分機能していると思います。しかし、ドライブをかけようとしたら3千万円はいると思います」
平田は自分の感性を信じて補足した。
「ウーン」
新田は腕組みをして考えた。平田も新田の思案を邪魔しないように黙った。ほんの小1分くらいのものだろうか。長いような短いような時が流れた。
「よし、いいだろう。それを抱き合わせで制度全体を整えてくれ」
整えるという言い方に平田が自分の意向を全て理解してくれているという信頼感が汲み取れた。
退職金のポイント化、年金の設計、早期退職ドライブの仕掛け、関係会社の巻き込み、これら全てを一元化して提案せよということである。
新田は、平田との僅かな会話の中でこれだけの制度全体像を構想し、実行する決断をし、役員会を通す腹を決めたのだ。
「本当にいいんですか」
「いい。不満たらたらで会社勤めするよりその者たちも幸せだろう」
クールで通っている新田が時折見せる社員への思いだ。ただリストラすることだけを考えていたのではなかった。
さらに新田は付け加えた。
「いいか平田。債務を減らすのは社員に負担を押し付けるだけじゃないぞ。高額年金受給権者を減らすことも一つのやり方だ。ここで辞めてもらうことは将来の年金負担額を減らすことになるだろう。3000万円で将来の年金債務を現金で払おうという置き換えだ。給与との置換を考えるとけして高くない。会社だって痛みを負う覚悟はある」
“そうか。そんな考え方もあるのか”
平田は新田の考えの柔軟さに感服した。
また一つ歯車が前に回った。

平田は新田の3000万の決断に救われる思いがした。
1000万や2000万で会社の圧力でリストラされたら社員と会社を繋いできた信頼の糸が切れる。結局最後は力で首かとなる。
平田はそれを一番恐れていたが、3000万なら社員の主体的申し出だけでかなりの人数の応募が見込まれる。むしろ引き止めるくらいがいい。
発表の仕方も、募集の仕方もこれなら胸を張ってやれる自信がある。
会社と社員の関係にヒビが入るのを防げる。
新田のギリギリの決断に平田は胸がしびれる思いがした。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.