更新 2016.06.03(作成 2012.09.05)
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第6章 正気堂々 56.専門役
「いや、そうじゃなくて。この前2人の派手な論戦があったばかりで彼を課長にしたら、平田が追い出して後釜に座ったと社内で言われますよ。そんな風説が流れたら彼がやりにくいばかりじゃなくて、会社の姿勢も問われます」
「それは高瀬が悪いんじゃないですか」
「そうかもしれないが、そうは取らないのが世間ですよ。結果だけがオヒレハヒレを付けて膨らんでいくものです」
「しかし、平田の功績も認めんわけにいかんでしょう」
「それは認めますが課長でいいんですか」
「いいじゃないですか。なんなら他の課でもいいと思います」
「今彼を課長にしたら人事制度は誰がやるんですか。その代わりを探すほうが難しいでしょう。今彼を雑多な日常課業に埋没させるわけにはいかんですよ。これから先、彼にはやってもらわねばならんことが山ほどあるんです」
「それじゃ、何もしないんですか。かわいそうですよ」
「専門役ならどうですか。人事企画一筋でやってもらう。ぴったりでしょう」
「専門役ですか?……」
丸山は得心がいかない様子で、間延びした返事を返した。
「なんかもったいないような気がしますがね」
「いや、逆です。課長にするほうがもったいない。彼を最大限に活かすには人事企画担当専門役が一番です」
「そっちからですか」
「そりゃー、そうです。人材を最大限に活用するのが我々の役目です」
「なるほど。そうですか」
中国食品の役職群の中には、専門役と調査役というライン以外の役職が2系統あった。その発生のルーツや生い立ちは明確にはわからないが、1セクションの1テーマとして取り組むには課題が大きすぎたり、解決まで長い年月を要するような難しい問題などを専門の担当者を当て、巷間よく言われる研究職のように自由な裁量で取り組んでもらうために設けられた役職位だ。ラインの管理職、専門役、調査役などを総じて役職者と称されていた。
ただ、この役職位が便利に使われていることも事実で、組織改革でライン組織から外れた人の救済処置的処遇であったり、あるいは年功や功績を鑑みて管理職として処遇したいが適当なポストがない人の論功行賞であったりする。こういう場合は企業として組織からの要請は何もないのがほとんどで後付の役割が多く、あんなことが役職に値するのかっていうような役割がついている人もいる。
一度そんなふうに使われ出すと役員の人事権の隠し玉になり、派閥形成や勢力維持装置として使われ始める。専門役や調査役の中にはそうして生まれたんだろうと思われるような人も何人かいた。平田の頭の中には、こうした役職制度の整理も一つの課題として自分の使命に捉えていた。
平田の場合は、丸山が管理職として処遇したいと主張し、新田は人事企画を専任させるという2つの要請から生まれた役職で、「人事企画」というはっきりとした役割が前提にあった。
人事のいろいろな仕組みが時代の変化に対応し切れておらず、あらゆる面で遅れていたから平田ならずとも人事企画担当の誕生は時代の流れだった。
「お前を人事企画担当専門役に推挙することにした」
「エッ。本当ですか。ありがとうございます」
丸山は平田に内定を伝えた。
平田は素直に喜んだ。役員の中には、お前を推挙するから俺に忠誠を尽くせと恩着せがましくもったいぶる人もいるが、丸山にはそんな打算は微塵も感じられない。純粋に平田を買ってくれていることがわかった。そのことに平田は心から感謝した。
「俺は人事課長にって押したんやが、新田さんが人事企画専門役がいいって聞かんのよ」
「いいえ。ありがとうございます。私はそのほうがありがたいです」
「なんでや。課長のほうがいいやろ」
「いえ。部下の管理や雑多な仕事のマネジメントにエネルギーをとられるのは面倒です。今私は純粋に人事システムの改革がやりたいのです。そのためには人事企画担当専門役はピッタリです。感謝します」
「そうかぁ……」
根っからマネージャータイプの丸山は、自分の予想と違った平田の反応が不思議だった。社内の多くの認識も、専門役や調査役より部長、次長、課長といったライン管理職のほうが権威があると見られている。部下を持ち、より広い守備範囲の業務権限を持っているからだ。事実手当もわずかだが多い。しかし、その実態は日常雑多な実務のジャッジメントに終始しているのが現実だ。上がってくる案件は伝票類や書類であることがほとんどで、それらの不正や正誤をチェックし規定や会社方針に沿っているかを判定し、確認と了承の印鑑を押して部長に上げる。さらに、部下の勤怠を管理し評価を付けることが管理職の仕事であると思いこんでいる。それは管理職に与えられた役割の極一部分にしか過ぎないのだが、それの労力と時間は勤務の大半を占めそれが全てであるかのように思っている管理職が大半である。特に課長クラスでは自分自身も一定の実務を持っていることが通例だが、一心に打ち込むことが難しい。だから、ライン管理職でなにか後世にいい仕事を残したという話はあまり聞いたことがない。ほとんどの管理職が前例や慣習に倣って枠からはみ出すことをしなくなり、マニュアル人間化してしまう。初めて経験するフィールドで責任だけが負い被さり、失敗するのを恐れるあまり前例だけが頼りになる。自分の力量を思い切り発揮するだけの識見と自信を事前に準備できている人は滅多にいない。フレキシブルに、クリエイティブに、は部下に言ってみるだけでひたすらミスを嫌い、挑戦を避ける。
平田はそんな社内評価は気にもならず、今やりたい仕事に専念できる専門役を心から喜んだ。
“人事企画担当専門役を命ず” 1995年1月1日の人事異動が発表された。
やっと役職者の末席に並んだ。転籍人事の発表と同時のため、投げかけられる祝辞にもあまり浮かれた気分にはなれなかった。
高瀬は地区の総務課長に転出し、新しい人事課長に地区の総務課長をしていた柴田豊彦が任命された。平田とは同じ年の44才である。同時に厚生課の課長も権藤恭(48才)に代わった。権藤も地区の総務課長をしていたのだが、本来の役割である地域住民やディーラーとのネットワーク作りとかコミュニケーションを図るといった機能的役割ができないでいたことで堀越が嫌い、人事部に交替を申し入れていた。新田らが請うて呼ばれた柴田とは対象的だった。
平田は、役員会へ付議する異動資料を作成しているとき、原案資料の中に電算の荻野幹夫が企画室に替わるようになっているのを認めた。
「これは本当ですか」
驚きのあまり丸山に確認した。
「そうなんだ。川岸さんがどうしてもっていうことでな」
「驚きですね。どうしてですか」
「うん。企画室にいい人材がおらんやないか。これからの企画は、データに裏打ちされた近代的経営を目指すべきだと。電算業務を通じて会社のあらゆる業務に精通する荻野は、川岸さんの目指す経営スタイルに最もマッチする人材だというんだ」
「確かにそれはそうですが、あれほど電算に拘っていた荻野がよく納得しましたね」
「川岸さんが、いずれ電算に帰すからって口説き落としたらしい」
企画室は会社の重要セクションであるにもかかわらず、現業重視の社内風潮の中でこれはといった人材が配置されてこなかった。総合企画本部長に就任した川岸は、自分の意を汲んで具体的に調査分析してくれる片腕となる人材がいないことを嘆き、荻野を一本釣の形で口説き落とした。
もともと、総合企画本部は経営企画室と電算室を統括しており、本部内の異動であるが、片やプログラマーという特殊技術の世界であり、片や企業運営の企画や開発が主生業の形のない世界である。いわばハードとソフトという真反対の違いがあった。
他に、経理の北尾がマル水本体へ帰り野木が経理部長に昇進した。3月の株主総会での役員含みだ。
樋口の去就は、まだわからないが、役員たちの動きにさざ波が立ってきた。もし樋口が一段高いところに登ったとしたら、ポストが1つ空く。自動的にエスカレーターが作用する可能性もある。あるいは、樋口が一段高みに上るのに他の役員は置きっぱなしというわけにもいかず全員に肩書きベースアップがあるかもしれない。あざとい役員たちが乗り遅れまいと蠢きたった。
今まで以上に樋口に擦り寄り、身分の安定と「あわよくば……」の余勢に預かろうとする者がいるかと思えば、中には、トップが代われば自分の居場所がなくなるかもしれないと落ち着かない者もいる。
プロパー役員トップを走る堀越は、年令、実力、人気ともにトップの自信とあまりそういうことに右往左往することを潔しとせず、一人ドーンと落ち着いていた。
こうしたざわめきは、日ごろ権威の衣をまとった役員たちを最も無防備な凡人に見させてしまう。
高瀬一人の異動で、人事部の雰囲気は一新した。高瀬の訳のわからぬ論理に振り回される恐怖の呪縛から解放されたように伸び伸びとしたムードが広がった。
丸山はこういう雰囲気を求めていたが、古参の高瀬の呪いにかかった職場空気は思うように変えられなかった。一人の澱みが職場ムードを支配していた。