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シナリオ

更新 2012.08.24(作成 2012.08.24)

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第6章 正気堂々 55.シナリオ

制度構築の藤井との打ち合わせには早速花本も参加してくれた。打ち合わせといえばいかにも些末な表現だが、真剣で狂気にも似たディベートの連続だ。時には藤井一人で平田と花本を相手に喧々囂々(けんけんごうごう)口角泡を飛ばし、時には平田が2人を相手に侃々諤々(かんかんがくがく)やるのである。
「制度というのは、いきなりこれですと突きつけてもすんなりと受け入れてもらうのは困難です。まずは、なぜ改定しなければならないかの理由、そして改定すべき制度の方向性と概要、実施に向けての展開スケジュール。それらをまとめ上げて役員会で方向承認を得ましょう。方向承認もなしに制度だけ詳細に作っても否決されれば何にもなりませんから。方向承認が得られれば詳細設計にも力が入ります」
これが藤井のシナリオだ。ベースキャンプとは方向承認のことだった。
「橋頭堡が確保されれば後は頂上を目指すだけです」
藤井が全体展望を明かすのは初めてだ。ようやく制度完成への手応えを感じてのコーディネートだ。
「大きな手順としては、今まで搾り出してきた課題を解決する制度は何がいいか、どんな仕組みが必要か、一つひとつ課題とリンクさせながら設定していきます。そうやってメインとなる制度、連携する制度、補完する制度、と押さえていきます。出てきた制度は完成した姿をある程度イメージしながら関連性や影響、効果などを考察します。最後に展開の手順やスケジュールまでが今回の仕事になります」
“なるほど。そういうことか”
平田は制度ができる工程が見えることで、納得感と安心感があった。
「それじゃ、私が課題を書きましょうか」
早速花本がホワイトボードの前に出ようとした。
「ちょっと待ってください。その前に、まずは人事制度見直しの背景からです。なぜ見直しが必要かを整理しましょう」

こうして、本格的議論が始まった。
次に主要課題を解決する制度は何かが検討されたが、ただ、そこにいくまでにもさまざまなステップとクリアしなければならない論点がいくつもあり、曲折を経なければならなかった。
例えば、課題からは人事制度の基本コンセプトを押さえている。従ってこのコンセプトに沿った方向性が出ていなければならないし、山ほどある課題の一つひとつに解決の仕組みを考えなければならないのだ。
藤井も毎日来れるわけではない。平田と花本に宿題を課し、次回その回答を皆で考察するのである。議論不足や考察漏れ、論理の矛盾点についてはさらに今回新たに出される課題と共に次回までの宿題となる。行きつ戻りつしながらの取り組みである。
宿題をもらった2人は、会議室にこもっては議論を続けた。

1994年の暮、次年度の人事異動案をまとめなければならない丸山は、次の人事課長を誰にするかで悩んでいた。
“もはや高瀬では人事部が持たない。完全に部内の信用がなくなった。人事課は部の要だ。このままじゃまとまりがつかない。順当に考えたら、経験からして平田か”
丸山は新田に進言した。
平田のアピールは功を奏したことになる。丸山が問題として取り上げた。
「人事課長を替えたいのですが」
「高瀬じゃいけませんか」
新田の頭の中に人事課長の交代はなかったようだ。
「今のままじゃいかんでしょう。高瀬じゃ人事部がもちません。それに、これ以上あの2人を一緒にしておくわけにはいかんでしょう」
「課長を替えるのですか」
「だってあれは感情で政策を考えるし、大局観がありません。この前だって大変なことを言ってたじゃないですか」
「ウン?なにか言ってましたかね」
「訳のわからん会社に転籍料ももらわずに追い出される、ってなことを。だから賃金を高くせーって」
「あーっ、そんなことを言ってましたね」
「さらっというから皆ごまかされていましたが、それだけに本音でしょうよ」
「そうですか。やっぱりだめですか」
「そもそもなんで高瀬だったんですかね」
「組合対策じゃないですかね」
「しかし、組合も昔のように人間関係だけで動いているわけじゃないでしょう。今は政策論で動いていますよ。現に組合への根回しはほとんど平田がやっていますしね」
「根回しだけじゃなくて守役みたいなところもあるんですよ」
「それも古いでしょう。そのために課長を1人つけなければならないなんてナンセンスです。ただの飲み友達でしょう。止めましょうよ」
「しかし、私たちがいちいち相手するわけにはいかんでしょう」
「なあに、経費さえみてやればいいわけで、組合のほうで適当な相手を見つけて遊びますよ」
本来組合の守役なんてあるわけがない。いかにも組合がそんな相手を求めているように取られがちだが、実態は組合の力に擦り寄ることで自分の地位を守ろうとする会社側の人間の阿りがほとんどだ。
「そうですか……」
新田はなにか考えるふうに言葉に含みを持たせた。
「替えましょう」
丸山は人事部長として現状のままではやりきれない。強く押した。
「しかし、次の課長候補が難しい」
「平田でいいじゃないですか」
「ウーン……。一番にその案が浮かびますが、丸さん、それはできんでしょう」
新田は丸山のことを丸さんと呼んでいる。社員に人望の厚い丸山に一目置いてのことだ。
「どうしてですか。今は人事の政策決定はほとんど平田がやっているじゃないですか」
「ですから。それでうまく回っているのだったら彼を課長にすることもないわけですよね」
「それは間尺に合いませんよ」

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