更新 2011.03.25(作成 2011.03.25)
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第6章 正気堂々 4. やはり組合
「なるほど。そういうことですか」
平田はやっと伊勢の気持ちを理解した。
「わたしのところには単に手段の確認だけでしたが、いずれ財務の担当者を抱きこもうとするんじゃないですかね。仮にそれがうまくいかなかったとしても、何らかの方法で裏金を掴もうとすると思うんですよ。やっと会社が立ち直ってきたというのに、そんなことを考えることが許せません。なんとかならんですか」
伊勢は、余程許せなかったに違いない。それは痛いほど伝わってきた。平田とて同じ気持ちだ。
「わかりました。少し考えさせてください」
「だめですか」
平田の返事を否定的に取ったのか伊勢は落胆の色を見せながらも、かすかな希望を求めてすがりつくような表情を見せた。
「いや。天網恢恢疎にして漏らさず、ってやつですよ。今度こそ逃れられんようにしたいじゃないですか。慎重に行きたいんです。考えさせてください」
委員長がただ社長に掛け合うだけではつまらん。組織を巻き込んだ公のテーブルに載せなければまたすり抜けられる恐れがある。
「それで、伊勢さんの保証人問題はどうするんですか」
「僕のことはいいんです。個人の問題ですから」
「しかし、会社の上司に付け回された債務でしょう。そんな問題が残っているから付け入られることになるんですよ」
一社員が、上司にこんな理不尽な債務を押し付けられることが平田には許しがたく、こんな明け透けな言い方になった。
「しょうがないです」伊勢は申し訳なさそうに顔を伏せた。
「とにかく……」
今日のところは、“何とかしよう”ということだけを確認し合って2人は分かれた。
平田は、浮田らの計略と伊勢の債務残とどちらを先に俎上に載せるか。
川岸を直接動かして樋口に御注進に及ぶのか、組合を介して川岸を動かすのか。平田は2つの選択を考えた。
最後は「債務の傷があるから奸賊に付け入る隙を与えることになる」と、揺さぶりたい。
債務が先に片づいてしまってリベート問題に心の弛みが出てもいけない。やはり事の軽重からしてもリベート問題が先だ。伊勢には気の毒だがもう少し我慢してもらうしかない。
次に誰を動かすかだ。川岸が直接動くと樋口に対して、「浮田たちがまた何やら画策しているらしい」となってしまう。
組合を巻き込むと「組合がこう言って、怒っております」と、断定的に言わせることができる。当然後者のほうが効果的だ。そんな筋書きの答えを出して平田は動いた。今度こそ最後のチャンスだ。
5月半ば、夏季賞与交渉直前の5月15日週末。平田は、委員長の坂本を飲みに誘った。
「委員長。実は相談したいことがあるんやが、久し振りに飲みに行かんかね」
「いいですよ。ヒーさんからの誘いなんて珍しいね。週末やし、俺も誰かおらんかなーと探しよったんよ」坂本は一も二もなく乗ってきた。
2人は組合事務所の近くで落ち合い、タクシーを拾った。
「どこ行くん」
「‘よしだ’を取っとるんよ」
「おー、嬉しいね。あそこ、いいやろ」坂本は嬉しそうだった。
‘よしだ’は、流川の中心から少し南側にはずれたビルの1階で、カウンター席を10席と畳席2マスほどをこじんまりと構えており、人のいい44〜45才の夫婦がやっていた。独特の工夫を凝らした手料理を出してくれる小料理屋で、馴染み客がほとんどだ。坂本は、大将とのカウンター越しの会話が気に入っているらしく、一人でよく来ていた。平田はここの納豆揚げが好みだ。納豆に下味をつけ、大葉や海苔で包んだものを油で揚げてあるだけだが、納豆のふくよかな味と大葉や海苔の香ばしい香りが口の中で混ざり合い、何とも言えぬ味わい深いものになる。
坂本はいつも、気に入った店が見つかると必ず一度は平田を連れて行く。
2人は畳の部屋でビールのグラスを合わせると、ほぼ毎日顔を合わせており、元気に決まっているのだが“元気?”と笑いながら尋ねあう。
好みの料理を注文しながら四方山話を一頻りするとちょっと間を入れ、どちらからともなく本題を求めた。
「実はね。こんな話があるんよ……」
平田は、伊勢から聞かされたことを要領よくまとめて説明した。
「なるほどね。まーだ、そんなことやっちょるんかね。バカやねー」
坂本は軽蔑するように口を歪めた。
「それでどうするかなんよ」
「樋口さんに言えばいいんじゃない」
「それだけじゃまた、なんだかんだですり抜けられる恐れがあるやろう。それに、社長が承知でやりよるのかもしれんしね」
「それはないやろう」
「俺もそう思う。しかし、ちゃんと会社に入れるんならありうるやろ。リベートなんてどこにでもある話やからね。万が一、社長が一枚噛んでたら自分で自分の首を絞めることにもなりかねんから、個人では難しいよ」
「うん。やぶ蛇ってこともあるね。なんなら俺が話そうか」坂本は軽く引き受けようとした。
「社長が絡んでないという確証がない以上、組合で取り上げてくれるんが一番いいと思う」
「ああ、いいよ。明日にでも言うてくるよ」
「いやいや。そうじゃなくて団交で俎上に載せ、密室じゃなくて公の問題として扱ってほしい」
「それはどうかね。団交で言うと漏れるやろう。相手に知られると亀みたいに手も首も引っ込めて、知らん顔ということもあるよ」
「それもあるが逆に社長が絡んでないという確証がない以上、委員長が直接掛け合うのはリスクが大きすぎる。今度は絶対逃げられんように組織を絡めたいね」
「うん。なるほどね。わかった。任せてくれませんか。なんかその辺は考えるよ。経営不信というかたちで揺さぶるのが一番いいと思う」
「うん。頼むよ。今度こそ逃がしたくないんよ。こんなことやっとったらまた会社がおかしくなる」
「しかし、河村さんもかね」坂本は呆れるように吐き捨てた。
「株でだいぶやられたからやろう。取り戻したかったんやないかね」
「博打は人の心を歪めるねー」
平田は、伊勢の債務問題はまだ懐に残した。