更新 2016.05.30(作成 2011.10.05)
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第6章 正気堂々 23. 人事部変化
新しく人事部に赴任してきた丸山はやや緊張の面持ちだったが、そこは長年営業で培ってきた人間力がある。気負うことも衒うこともなく自分の気持ちであいさつをした。
平田が“うん?この人は”と思ったのは、人事に関して自分の方針や考えを一切言わなかったことだ。
人事に関してはここにいる誰よりも自分がシロウトであることはわかっている。現場にいたときの感覚はあるが理念も持ち合わせていないし、問題点も課題もまだ把握できていない。そんな自分が人事についていきなり利いたふうな講釈云々しても、薄っぺらな白々しいものになってしまう。それよりも「皆さん一人ひとりと面談をしたい。その中から自分の課題と役割を見つけていきたい」と行動指針を示すことのほうが部下への訴えとしてはよほど適切だ。
そんなあいさつを人事部メンバーの多くが好感をもって受け入れたのだが、ただ一人平田だけはそれでは済まなかった。そんな丸山のあいさつを聞きながら、平田はどんなことを聞かれるのか、自分と考えのベクトルが揃うのか、そんなことが物凄く大事なことのように思え、期待の裏で心が揺れるのを抑えられなかった。特に今の自分は、会社全体の文化や哲学を発信する人たちと密接に関わって仕事をしている。人事トップの見解は自分の在りようを根本から揺るがす重大問題だ。丸山の考え次第では、またもや堅忍不抜の境遇を覚悟しなければならないかもしれない。
ただ平田は、これまで長い年月の間多くの人の矜持や薫陶を受け、それが建物の基礎のように自分の中で不動のものとなっていること。そして、今更それを捨てようがないことをハッキリと認識しており、それ故にここにきての人事トップの交代は平田の命脈を左右する重大事だった。
生き延びるだけなら簡単だ。迎合すればいい。サラリーマン化し、ロボット化し、事務屋に徹すれば生きるだけなら生きられる。しかし、それでいいのか。自分の存在意義はどうなる。川岸と人事を変えると交わした覚悟はどこにやればいい。やり場のないやり切れなさが募るだけだろう。しかし、上司は自分で選ぶことができない。多くのサラリーマンがそうであるように、隠忍自重するしかないのであろうか。
平田は落ち着かぬ数日を過ごした。
サラリーマンは上司を選ぶことは出来ない。もし、上司を替えようと思えば、会社に人事不満(こんな上司を選んだ会社が悪いと思っていること)を持っていることが知れるのを覚悟で転勤願いを出すか、あるいは自分が会社を辞めるしかない。ただしこの場合その部署の上司や人事部だけでなく、恐らく転勤した先の職場はもとより全社にも人事不満分子であることが知れることを覚悟しなければならない。家業を継がなければならなくなったとか、あの仕事にチャレンジしたいとか、もっともらしい理由を探すのも生きる知恵だろう。それが見つけられればそれが一番当たり障りがない。
上司批判はそれを選んだ役員、人事、会社への批判だ。そんな部下を抱えた上司は、次は俺かもと警戒し、誰も抱えようとせず居場所はなくなる。
転勤をしようが会社を替わろうが人間関係はどこにもついてくる。せいぜい酒の肴で不満を吐き出す程度に納めておくか、それ以上の実力をつけて見返すしかない。
上司を替える究極の手段はクーデターを起こすしかないが、ただ、クーデターは人知れず起こすことが大前提だ。その性格からして一段上の組織にインパクトを与えなければならないため、必ず人の知るところとなり、そこの責任者は自己防衛の観点から絶対容認できない。ゆえに、小さなクーデターは必ずつぶされる。
面談が始まったのは、1月も半ばに差し掛かったころだった。各方面へのあいさつも大方片付いたのであろう。丸山は人事部メンバー一人ひとりを9階の会議室に呼んで丁寧に話し合いを始めた。
様式はフリートーク形式でお互いが聞きたいこと言いたいことを思いつくままに話そうということだった。
担当業務、その業務の課題、本人の考え、人事部の課題、問題点、人事部長に望むことなどなど、本人が思っていることを語るのである。語るといっても部長はしゃべるものがない。聞き役に徹し一方的に部下がしゃべった。
仕事に前向きに取り組み、常に考えている人間はよくしゃべる。自分がやりたいこと、担当業務の課題やはたまた会社の課題など、日ごろ胸に抱いている思いをこの時とばかりほとばしらせる。
短い者は5〜10分で帰ってくるが、長い者は小一時間も掛かる者がいた。
人事部長の異動とともに、もう一つ人事部の構成に大きな変化があった。
それは……。
この4月から研修センターが開設される。つまり今年が人材開発元年というわけである。今、人材開発は中期経営計画にも大きく取り上げられている会社の一大テーマで、樋口の念頭訓示色紙にも「日新」と書かれてその意欲が示されている。
“会社も人材育成には力を入れる。君たちも日々新たに精進せよ”
そんな願いが伝わってくるが、それだけでなく“会社も日々新たに生まれ変わっていく”そんな決意も平田には伝わってきた。
そうした思いが人事部の組織構成にも反映され、教育課は人材開発課に、その人材開発課長は“人事部次長兼人材開発課長”に格上げされた。
その心は、“それほど人材開発は大事であり、課長を次長にすることで課全体を格上げしその仕事がやりやすいように権限を持たせた”ことにある。
会社の戦略課題に対応した組織の編制、与える役割と権限、相応しい人選。これらを一体とした組織運営が経営の真髄だ。
“人材開発課” 次長兼課長
実にわかりやすい組織の狙いと権限である。