更新 2011.09.22(作成 2011.09.22)
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第6章 正気堂々 22. 後任人事部長
「経営企画室では次期中期経営計画の策定が進んでいます。これと連動しなければ人事の改革は成功しません。企画室では経済環境や競争環境、消費の動向などいろいろな方向から分析が進み、“魅力ある会社”のあるべき姿を目指しています。人事は人事で、それを独自の立場で分析して経営企画とベクトルを揃えましょう。中期経営計画に則った人事改革。そのポイントは外せません」
「なるほど。会社全体が一つの方向に動くわけですね。でもそれは企画室が決めて全社に落とさなければいけないことじゃないんですか」
「そのとおりです。いずれそうなるでしょうが、それからじゃ遅れます。同時並行でいきましょう。どうせ、環境分析や経済状況、将来見通しなんかはそんなに違いません。問題はその中から何を課題として抽出するかです。経営企画室とは違う人事独自の問題点や課題が浮かび上がってくるはずです」
「なるほど」
「その結果に、平田さんが思い描いているような理想的人事があるはずです……。それから、人事部の中でこの改革をどのように進めるのか、体制を確認してください。プロジェクトを作るとか、委員会を作るとかです」
「わかりました。それで、そのプロジェクトですが一般的にはどんな按配ですか」
「そうですね、大体各部署や現場から代表を1、2名ずつ選んで議論や分析作業に参加してもらうんでしょうかね。部長にプロジェクトの了解をもらうためには、あの人が参加したのなら仕方がないと現場に思わしめるようなメンバーを選ぶことが大事でしょう。平田さんが決めたらいいと思いますよ」
「わかりました。今まで経験してきたようなプロジェクトの運営でいいですよね」
「はい。いいと思います。プロジェクトの主な役割や目的はこういうものが一般的です。どこまで求めるかも平田さんが決めたらいいと思います」
藤井はカバンの中から新しい資料を出した。
そこには、一般的なプロジェクトチームの位置付けや役割などの例が載っていた。
「分析は外部環境。これは海外や国内の経済状況、政治状況、市場の動向などです。同様に社会環境、労働環境や意識、それに社内の労働に関する分析です。ここからわが社に及ぼすであろう影響とわが社が対応しなければならない課題を設定します」
こうした藤井のコーディネートで新しく「人事制度見直しプロジェクト」の立ち上げに向けて平田は動き出した。
樋口は新井の残した負の遺産を清算する算段を整える一方で、次年度からの新しい重要人事を断行した。それは、次の総会で営業の河村と製造の浮田を退任させることになっている後任人事の布石だ。
その最たるものが堀越だ。一営業部長だった堀越を営業本部副本部長に昇格させた。同時に青野を製造副本部長に、新田を管理本部長に、川岸を総合企画本部長にそれぞれ昇格させた。河村と浮田が退任した暁には(副)が取れるのであろうことが明白な人事だった。
ここには樋口のある重大な思惑が秘められていた。それは自分の後任人事だ。いつの時代もトップが抱き続ける永遠の課題である。
なんと言っても自分に忠実であること。忠誠を誓い、自分が退任した後も面倒見がいいこと。しかし、ただそればかりではだめで、やはりなんと言ってもトップとしての見識や力量、経営センスが求められる。それでなければ取り巻きにいいように操られ経営を危うくしてしまう。更には専門バカではいけない。一分野に偏った技量では会社全体のバランスある経営の舵取りは難しい。不得手の分野から綻びが生じる。それをクリアするには主な部門を一通り経験してくるのがいい。樋口は、会社の収益の源泉である営業は無論だが、管理部門の中ではとりわけ人事と企画、あるいは経理あたりを必須条件と考えていた。
今、樋口の中では川岸が大きくクローズアップしてきているのだが、そういうことでは川岸は営業と人事は経験した。自分への忠誠も申し分ない。社員を統治するカリスマ性もそこそこありそうだ。後は企画か経理を経験し、会社全体の佇まいを俯瞰し具体的経営政策を打ち出せるだけの経営センスを身に付けてくれれば資格は整う。樋口のそんな思いがこもった人事だった。後は川岸の精進次第である。
そして人事部長の後任には丸山章雄が選ばれた。
丸山は現在46才で、これまで営業部門を渡り歩いてきた苦労人である。北は鳥取営業所から、西は下関まで主な営業所の所長を歴任し、直近は広島の地区統括部長をしていたが、樋口が見初めて抜擢した。
川岸と似ているのは、どちらも遊び上手であることと部下の信頼が厚い点だ。あえて違いを言うならば、川岸のそれは君臨するというスタイルで部下と自分の役割を明確に区分していたのに対し、丸山のそれは部下の目線に降り、部下と一緒に悩むという仲間意識的結合が強い点だろうか。自ら身体を張って率先垂範した。
スタイルは違うが、2人とも部下を怖い存在と考えている点では共通している。やり方は違うがどちらも部下に対して人間味ある気遣いがあった。かって樋口も役員会で他の役員を「俺を首に出来るのはお前たちだけだ」と牽制球を投げている。長という者、常にそんなケアを忘れては組織を運営できないし、トップにはなれない。
平田は丸山がどんな人間なのか、大いに興味を持った。その考えや性格次第では、今自分が目指していることが頓挫したり挫折したりするかもしれない。その人間のスケール次第では自分が入る余地がないかもしれない。平田は、期待と不安を交錯させながら落ち着かない気持ちで平成5年1993年の正月を迎えた。