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変な関係

更新 2016.05.30(作成 2011.09.15)

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第6章 正気堂々 21. 変な関係

平田の制度作りも、藤井の協力で少しずつだが進んでいった。
2回目の藤井との打ち合わせは、部屋の中でジッとしていても街の喧騒や煩い蝉の声もうだるような暑さに押しつぶされたようにこもって聞こえるほど暑い、8月の1日だった。
それでも藤井は約束どおり人事に来てくれた。
藤井とはまだコンサル契約をしていない。一銭も売り上げにならないのだが、熱心に対応してくれた。
「契約しましょうか」平田は気の毒でこちらから切り出した。
「いえ、その必要はありません。まだ、私が対価を頂くような提案をするところまで行っておりません」
「しかし、交通費や日当など必要経費もあるでしょう」
「いいんです。教育課や経営企画室から頂いていますから、その延長です。私の売りとするところに来たらお願いします。というよりも、今は私のほうが勉強です」
そう言って藤井は対価なしで平田と付き合ってくれた。
もっとも、その背景には経営企画室に関わる関係上、人事をはじめ他の部署にも関わっていかなければ企画室の仕事が上手くいかなかったり、ベクトルが揃わなかったりするリスクもあったからである。今や藤井は、中国食品の経営戦略パートナー的存在になっていた。そういう意味で平田からのオファーは渡りに船であったことは確かである。
唯一営業部だけは頑なに関わりを拒んでいたが、人事部や製造部とは関わりを持っていた。何か問題や課題が起きるとこぞって「藤井さんに相談してみよう」ということになる。それはそれでまた依存症という別の問題が無きにしもあらずだが、中国食品の中ではそれほど藤井神話が高まっていた。
組織としての付き合いと言えども所詮人間同士、好き嫌いもあれば相性もある。藤井の営業姿勢が中国食品の風土や考え方によほどマッチしたのだろう。中国食品と藤井との関わり合いは次第に深まっていった。
営業本部は所帯が大きすぎてまとまりがつかず、直接藤井との接触を付けづらかった。誰も「俺が……」と率先して藤井にアプローチする者はいなかった。そのため経営企画室のスタッフは、営業部の政策を経営計画の方針とベクトルを合わせるよう説得するのに苦労した。

平田と藤井は、いつも人事部内の応接間で会合した。2人だけでコソコソとやっているとの中傷を避けるためだ。
「人事部の理想像は固まりましたか」
藤井は、平田に課していた宿題を確認することから会合に取っ掛かった。
「こんなものでいいのかどうかわかりませんが、私の思いです」
平田は、温めてきた人事部業務フローのデッサンを藤井に提示した。
それを見せられた藤井は少し戸惑った。そこには「評価制度」とか「賃金制度」といった人事制度の配置が書かれているのではなく、異動(昇進、転勤、配置替え)や昇給や昇格といった業務名、あるいは役員会や組合といった手続きが列記されていたからである。わずかに、昇給や昇格のところで評価や賃金制度が付帯的に記されているだけだった。
その中で特に目を引いたのが“人材プロファイル”の項目だった。それこそが平田が目指す人事部復権の象徴のようなものだったが、藤井は敢えてここでの個別制度の論議に入るのを避けた。
「なるほど。こういうふうに人事って動くんですか」
藤井は平田の説明を受けながら初めて見る人事行政フローにゾクゾクするものを感じた。
藤井はこれまで、制度や規定といったどちらかというと鉱物のようなものばかりと向き合ってきた気がした。ここに書かれているのは、人間の生の蠢きそのもののように感じられて衝撃的だった。平田の悩みに初めて触れた気がした。
そこには、平田がこれまで近野や後藤田から受けた教示や、書物やセミナーのあるべき論、さらには川岸や自分がやりたい思いの集約図があった。
藤井は平田の説明を聞きながら、
「なるほどね」と改めて感嘆の声を漏らした。
「しかし、この形では役員会に出せませんね」
「何故ですか」
「平田さんが、門外漢ならそれでも出来すぎくらいでしょうが、今や人事の中枢そのものでしょう」
「……」
平田はイヤイヤと身振りで否定しながら、次の言葉を待った。
「組合をやっているときや工場におられるときならこれでもいいでしょうが、今や人事の中心的存在です。その思いや情熱をもっと論理的で合理的なプレゼンテーションの形にしないといけません。それと改革を進めていく手順や段取りも考えておかなければいけません」
「うん。なるほど……」
「まず、なぜ改革が必要なのか。それをいろんな角度から立証しなければなりません。というのも、今の役員や部長クラスの方はこれでいいと思ってやってこられたわけです。仮に思っていなくてもなぜ平田さんのやり方がいいのかの証明になりません」
「なるほど、そうですね」
「そこを固めておくことで制度の進むべき方向が明確になり、迷走することがなくなります。その上で、このような理想的に人事が動くような制度を作らなければいけません。ここをわかりきったように端折って前に進むと必ず挫折します。個々の制度があやふやで頼りなかったら、どんな理念も成就しませんから」
「うん。なるほど……。私は個々の制度のあるべき姿もある程度描いています。ただ、これから先をどう作っていったらいいか。どこから着手したらいいのか。あまりにもでか過ぎて整理がつかんのです」
このことは多くの人事マンが陥る「やる気」と「しり込み」が相克するジレンマのようなものだ。
平田は素直に自分の気持ちを伝えた。そうしなければ、強がってみたり、格好をつけてみても、藤井にミスリードをさせてはいけないと思ったからである。
「はい。それが私の役割です。それでなければ価値がありません。ただ、平田さんくらいの方になりますと、大まかなヒントや手順を提示するだけで制度を構築していくことは可能だと思います。むしろ私は、それを実際の人事行政にどう落とし込んでいくのかに大変興味があります。大手のコンサル会社は、そこは会社の運用の問題と言って逃げてしまいます。制度の出来栄えとかその会社にマッチしているかとか、お構いなしにお金だけもらってサヨナラします。多くの会社の人事担当者がそこではたと途方に暮れるのはよくある話なんです。その会社が本当に必要としているかどうかわからないような制度を押し売りし、しかも実際の人事行政にどう落とし込んでいくかは逃避する。そんなやり方で上手くいくわけがありません。そこのところの検証をしないで制度を構築するから、底の浅い制度になってしまいます」
藤井は、自分はそんな制度にはしたくないという強い思いを滲ませた。実際、平田が接した他のコンサルタントの営業姿勢は、藤井の言っていることを地で行くようなプレゼンをしてきている。
「私は平田さんがそこのところをどうされるのか、大変な興味を持っています。いや、むしろそちらのほうから制度のありようを考えてもらえるので大変勉強になると思っているのです。私は今回ワクワクしています。そこのところを実際に平田さんから直に教わる事ができるからです。これは人事部以外の人間にはけして肌で感じることができない貴重な体験です。これからの私のコンサルスタイルに大いなるヒントになると思っています。ですからお金のことは気にしないでください」
「あー、そうかもしれませんね。他のコンサルの関わり方ではここまで入り込まないですもんね。わかりました。会社の機密事項以外はなんでも話しましょう。参考になるものがあったら吸収してください」
「お願いします」藤井は素直にペコリと頭を下げた。
そうは言っても気の毒に思った平田は、数回に1回程度は藤井を自宅に招待し、ホテル代を節約できるように計らった。それだけでなく、もっと藤井との語らいの時間を持ちたいと思う気持ちが強かったからだ。
先生でいて先生でなく、客でいて客でない。お互いの志だけで通じ合っているような、2人の変な関係が始まった。

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