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「第5章 苦闘」を振り返って

更新 2016.05.26(作成 2011.02.15)

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第5章 苦闘 72. 「第5章 苦闘」を振り返って

中国食品を赤字経営から見事に立ち直らせた樋口の経営は、第2ステージに入った。
樋口はそこに、自分の夢の経営を描いていた。
自分のビジョンに邪魔な委員長の吉田を「第2ステージへの構想がないものはガバナンスから退場すべきだ」と廃し、一方でマル水が独占していたボードの一角を奪い取り、後藤田が残した4本の核(営業、製造、人事、総務)を役員に引き上げた。自分の片腕となる忠実なブレーンは経営の安定には欠かせなかった。
役員席をプロパー社員に……。それも一気に4人も引き上げるなど、並大抵の力技では出来ない。樋口の本気が現れている。一般的には、営業とか製造とか比較的に経営の中枢から遠いところか、株式取扱い部署の総務とか比較的株主に近いところで、株主の覚えめでたきを得た者が取り立てられるのが普通だ。
この4人は必ずしも年功の序列どおりではない。川岸や新田などは大先輩を差し置いての抜擢である。役員は年功やなりたいという願望だけでなれるものではない。経営理念であったり、抱負であったり、何かを成したいという志とその努力がなければ役員にはなれない。吉田の進言で社員面談をしたとき、樋口自らそのことを確認した4人である。
更には、株式投資で失敗した常務の新井を解任した。役員がこんな博打まがいの財テクに神経をすり減らし、会社の信用を傷付け、本業そっちのけでマネーゲームにのめり込んでいくことが許せなかった。まして部下までも災禍に巻き込んでしまう無神経さが歯がゆくて仕方がなかった。自分の監督不行き届きも悔しい。樋口は泣く泣く馬謖を斬った。
自分の不行き届きについては、後に見事なリカバリーショットを見せることになるがそれは次の章に委ねよう。
心を痛めた樋口は川岸の遊び上手に憩いを求め、釣りで自分を慰めている。真剣に考えればこそ心が痛む。会社も必死の経営をやっていた。
樋口の夢は経営の近代化で、ボードの在り方を問い直し、情報化へ対応することや、時代の変化に立ち向かえる人材を育成し、市場を強化することである。そのための研修センターの建設も目前であり、財務的裏付も第2回のファイナンスですでに完了している。
これが叶えば、マル水支配から脱却し自主自立の経営が樹立する。
これら4人の新ボードメンバーは、すでにそれぞれに新境地を開拓し、時にはしのぎを削り合い新たな高みを目指して粉骨砕身邁進している。とりわけ川岸の動きはわかりやすかった。
現状スタッフでは自分の夢の実現が難しいと判断するや、宿敵、製造部の浮田常務に直談判し、平田を引き抜いた。
そのとき、川岸は浮田に堂々の挑戦をしている。渋る浮田に「人材は適材適所で大事に育て活用しなくてはならない」と挑みかかり、平田の活用方法について正論で押しまくった。それでも粘る浮田を、最後は「稟議で決めていただきます」と力でねじ伏せてしまった。真摯に全体のことを思う情熱には私情や私憤ではけして通用しないことを地で行った。その体を張った主張はついていくものに安心感を与える。
人材は会社の大事な財産だ。一事業部長の思惑だけで軽々に扱ってほしくない。何と言っても対象者にとっては人生を左右する一大事なのである。これは私の思いだけでなく、山陰工場の多くの人もそう思った。だからこそ人事がしっかりしなければならない。
その山陰工場の閉鎖で傷付いた製造マンたちが、責任の所在が曖昧なことに熱意と責任感をなくし、各所でトラブルが頻発した。工場が動かなくなっていることに危機感を強めた川岸は、「山本の更迭」を決めた。一旦は、経営の責任としてトップ2人が退任したのだが、しかし、現場は感情だ。そんな建前で納得していなかった。
「ラインが動きません。このままではまた何が起きるかわかりません」
川岸と樋口の決断は早かった。
そこには、トップの決心だけでなく多くの製造マンの心がそこにあった。
それを決めた人事こそ会社の心だ。
このように、是々非々を明確にしていくところも川岸のわかりやすさだ。
しかし、最大の魑魅魍魎はまだ残ったままだ。

川岸は、人事行きを渋る平田を熱意で説き伏せた。
「貧乏くじかもしれんが試練は力のある者にしか与えられない。力のない者は誰も期待しないから試練も与えられない。俺もお前も人事なんて初めてだが、天が試練を与えたもうたんや。応えるしかなかろう」
そんな覚悟が平田を人事に呼んだ。
「会社が儲かったらそれでいいのか。金さえもらえば社員は幸せか。やりがい、生きがい、何よりも会社との信頼がなければ寂しいじゃないか」
川岸は平田をその気にさせ、自分の夢を預けた。
そのヤル気と夢が人事のハードワークに平田を耐えさせた。
天は試練だけを与えたのではない。命を燃やす新たな夢がそこにあった。
恐らく、平田の本当の頑張りを知っているのは川岸だけだろう。仕組みを変え、制度を変えていくことの本当の大切さと難しさを他の者はそれほど真剣に受け止めていない。「上役が本気にならないから出来ないのだ。出来なければまた、来年でも……」そんな安易さと気楽さでやり過ごし、どこか無責任な日常を繰り返している。
「自分の才覚だけを頼むな。俺を動かせばいい」と川岸が言った、上役を動かすだけの本気をみんなは忘れている。

平田が人事に来て1年半が過ぎ、この間やけにいろんなことが起きた。
本社の営みは人間の蠢きそのままであり、悲喜こもごもに密度の濃い時を刻んでいる。
中でも最もトップに近いところにある人事は、樋口の哲学やポリシーが直接投げかけられるところであり、川岸、高瀬、平田と人事の政策に関わる者全ての脳天を大きく揺さぶった。
人事の政策全てが会社の意思(心)として社員に関わっていくからには、平田もトップの意思を真剣に理解しなければならない。機会あるごとに、必死で食らいついていった。人事はまさに会社の心であり経営そのものだからだ。
この間、平田自身も幾つかの実績を上げている。予算、賞与、昇給の原資計算、資料作りは、仕組みとして一つのスタイルを完成させ、係長主任制度をリニューアルし、異動、昇進の裏付資料の拡充と適性検査の導入を果たしている。職能資格制度も曲がりなりにもスタートさせた。
電算に関する理解やパソコン技能は、今や中高年の中でトップの技能を身に付け、その後の人事システムの設計に大きく寄与するまでになっている。
ただ、頑張れば全てが順風に進むわけではない。紆余曲折は当然ある。皮肉なことに、正しい人事、公平な人事を目指して導入した新しい制度に、保守的管理層の一部から反発が起きた。年功という泰平の時に甘んじてきた管理職層にはまさに黒船だったに違いない。
概念として公平や能力主義は理解できるが、いざその場に自分が立たされたとき、人間一人ひとりの能力を赤裸々に洗い出し問い直す制度に、戸惑いや怖気が付いてしまったのだ。そんな管理職の目を覚ますための制度改革ではあるのだが……。
それは、どんな主義主張の制度でも同じことだ。年功からの決別は、ただ漠然とした「いい人」から、その人の能力、特技、性格、適性などつぶさに観察し、具体的な特技、実力などを評価することへの大転換なのだ。
そう考えると年功制度は実に優しい。年さえ取れば黙って賃金、資格、ポストが自然に上がっていくのだから、ただ年さえ勘定していればよかった。だから人は頑なに保守的な殻に閉じこもってしまい、改革や変化への対応などおぼつかないことになる。
「この案は、これからの人事は賃金だけでなくポスト任用も、実力や能力主義に移っていくということを意味しているのじゃな」
ある役員が指摘するように、それは社員と会社(役員)との新しい関係をも暗示するものだ。管理職の不安は、心理の深層でここに由来しているかもしれなかった。ただ、上役に媚び諂っておればよかった者にとって、能力や適性といった本当の力を洗い出されることは、まさに化けの皮を剥がされるようなもので気味の悪さといったらこの上ない。上役との信頼関係にもひびが入らないとも限らない。
しかし、今の平田にはそんな逆風に怯んでいるわけにはいかない。なんとしても人事を変える制度を作り上げねばならない。
平田の仕事はそれだけではなかった。組合との交渉の実務担当として資料や制度の説明をしなければならなかった。時には会社の意思(その中には自分の考えも含まれていた)を噛み砕いて説明し、闘争委員の納得を引き出す役割もこなさなければならなかった。それは、会社側の一員としての存在感を大きくする一方、組合と会社の結節点としての役割を強め、組合との信頼も次第に厚くしていった。
家を買い替え、姪の結婚式も断わるなど、家庭を犠牲にし、パソコンや制度の履修をしながら実務をこなすという、ほぼ毎晩徹夜のようなハードワークに歯を食いしばって耐え、管理職からの逆風にも遮二無二に突き進ませたものは、ただ理想の人事を実現するという夢のためだった。
樋口も理想の経営のために必死で取り組み、苦しみ、そして少しずつだが会社は変わってきた。
人は何かをなそうとしたとき死に物狂いの本気がいる。

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