更新 2011.01.06(作成 2011.01.06)
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第5章 苦闘 68. 自分で
「それで、データは今後どれくらい増えていきますか」
荻野はホスト機の残り記憶容量と人事のデータ量がどのくらい増えていくのかを天秤にかけているのだ。
「とりあえず今年は、このチェックシートのデータと、夏と冬のチェックシートのデータの保存を出来るようにしてほしい」
「全項目要りますか」
「いや、中項目でいい。そこまで細かく見てもしょうがないと思う」
「今、容量の大きい新しい電算機に入れ替える作業中なんですよ。来年からは大分余裕も出ると思いますが、今年がきついですね」
「それじゃ来年まで無理かね。データとしては最初から欲しいんやがね」
「いや。まあ頑張ってやりくりしてみます。営業用に見込んでいた容量が多分余ると思いますから」
「うん。助かるわ。それでこのデータを打ち込む仕組みも作ってほしい」
「それは、誰が、どこで、どのように打ち込みますか」
「上がってきたシートを、片っ端から手の空いた者が人事部のどこかで打ち込む、っていうのがいいと思うけど」
「結果だけですか」
「いや逆に、社員番号と計算ミスのチェックも含めて評点と総合計点を打ち込みたい。社員番号でその人の評価シートが特定できて、評点さえ入力したら総合点まで計算できるやろ。入力した総合点との突き合わせで計算ミスか入力ミスかをチェックしたい」
「うん、それがいいでしょうね。かなり大きなシステムになるけどそれがいいでしょう」荻野は既に確信していたかのように繰り返した。
「実は平田さんやけそこまで要求されるやろうと思ってました。チェックシートを打ち出したときからそういう入力になるやろうと思っていました。もし、なかったら私から提案しようかなと思っとったんですよ」
荻野はそう言いながら岩井に向かって、
「どんなかな、進み具合は」と尋ねた。もうすでにシステムのフロー設計が進んでいた。
「はい。もう少しです。やっぱりこうなっていかにゃウソですよね」
岩井も自信たっぷりに投げ返した。
荻野は、ある意味業務系の仕事のフローの理解という点では社内で一番精通しているかもしれなかった。フローを理解すればそこから考え方や精神も見えてくる。担当者との打ち合わせの中にその理由も聞くことが出来る。
荻野は電算機の性能が大きく進化する過程で、ホスト機の機種の選定からシステム更新、それに伴う各業務の再設計まで自分の考えに自信を持っていた。
ホスト機の選定は日本のF社、N社と米国のI社の3社が競合していたが、それぞれの特性や機能、端末との相性や作業性を総合的に勘案し最終的にこれまでのF社からN社に決まった。
「ホストの入れ替えは、単に機械とシステムを入れ替えるだけじゃないんですよ。これを機会に情報インフラとか業務フローのリエンジニアリングをやることに意味があるんです。ホスト機は3〜5年を1期とするリース契約が主流ですが、同じメーカーは2期までです。それ以上続いたらリエンジニアリング面でメーカーに慢心が出て厳しさが欠けてきます。この業務再構築をいかに安くやらせるかがコストパフォーマンスを高める要点なんです」
荻野は電算機入れ替えについて自分なりの流儀を持っていた。
荻野は電算業務に対する考えを熱く平田に語り、ここまでやっているんだという自負を見せた。
荻野独自の知見は、機種選定作業のあらゆる場面で他をリードし、その主張はコアポリシーとして社内の支持を得ていった。
「だけど平田さん。これを打ち込むのは平田さんがやったほうがいいですよ」荻野は、何やら含みのある言い方でまじめな顔になった。
「アッ、そうかね。なんで?」平田は今でも時間が欲しくたまらんのに、これ以上作業を抱えたくない。そんなためらいの返事を返した。
「私は人事のシステム開発に関わって長いじゃないですか。いろんなデータを眺めたり透かしたり、前から後ろからのぞいてきました。そしたら、出てきた結果の表面だけをなぞっていては見えない真実が見えてくることもあるんです。それは一つひとつのデータを自分の手でつぶさに触ってみた者にしかわからないものなんです。だからこれは平田さん自身が誰にも任せずに自分で打ち込んだほうがいいです。これからも人事をやっていこうと思うならそうしたほうがいいですよ」
荻野は、固い信念に裏打ちされた自信をのぞかせながら強く平田に迫った。
「それに一生懸命評価を付けた人への平田さんの誠意じゃないですかね」
「なるほど。わかった。ありがとう。気が付かんとこやった」
平田がその本当の意味を知るのは実際やってみて数年経った後だったがやってすぐに発見する事もあった。
例えば、チェックシートの設計上、100点満点で80点以上がA評価となっているのだが、入力した評点にウェイトを掛けて計算された合計点が足りないにも関わらずシート上の合計点は82点が記入されており、A評価が下されているものがある。
項目ごとの5段階評価点が正しいならば80点以下でA考課をしてはいけない。合計点とA考課を修正しなければならない。
A考課を付けたいために合計点を80以上に記入し、評価点の修正をミスったのか。はたまた、計算ミスであることに気が付かず80点以上となったため渋々A考課をつけてきたものか。所長たちの苦悩のあとが伺える。
所長に確認の電話を入れるとほとんどが計算通りにしてくれと返ってくるが、中にはAを生かしてくれというのがある。ならば、評点から変えなくてはならない。チェックシートの根拠を無視した人物ありきの評価に、平田は忌々しかったが現段階では評価点を修正するしか方法はなかった。