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調整

更新 2011.01.14(作成 2011.01.14)

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第5章 苦闘 69. 調整

岩井のプログラムは良く出来ていた。各項目の一次評価者が付した評価点と最後の総合点を入力していくのだが、社員番号を入力するとその社員の資格や職種に符合するチェックシートの入力枠が出てきてカーソルは最初の項目枠の中でフラッシュしている。評点は5段階だから1〜5の整数しかない。その5までのいずれかの整数を入力するとエンターキーを押さなくてもカーソルは次の項目へ飛んだ。平田は5、3、4と評点だけを順次入力すればよく、キーボードを見なくても入力できるから作業が早かった。最後に総合点を入力するとコンピューターが計算した総合点と突き合わされ、整合しないと合計点がフラッシュした。入力ミスか計算ミスかそこで確認できた。
そんな確認や修正、そして提出の遅れ、漏れなどを督促しながら打ち込んでいくのだが、1部署分の入力をし終えると画面にはその部署の未入力者リストが表示され、入力するたびに次々とリストから消えていく。最後に消えなかった者は、その人の分だけもう一度チェックシートをめくって飛ばしていないかを確かめればいい。全社分を打ち込んだ後に、最後まで残ったリスト者は現場に確認することで、漏れとか、つい最近辞めたとか、病気で休んでいるとか事情が把握できた。
未入力リストに1部署全員分が残っているときはその部署全体が未提出なのだ。もちろん、システムだけに頼っていては対応が遅れる。社内メールが届くたびに事業所リストと突き合わせた。
平田にとって期限までに提出されないことが一番悩ましかった。
人事評価は甘辛調整をした後、二次評価、三次評価と承認がいる。最終考課が確定すると原資を弾き出し定昇や手当改定原資などと一緒に昇給原資から差し引かれてベ・アを算出し、賃金改定交渉に反映される。人事の仕事は常に時間制限の中にあり、作業スケジュールはタイトだ。しかし、世間様はそんな事情などわかってくれない。
「すいません。チェックシートがまだ届かないんですが。期限が過ぎていますので早急に出してもらえないでしょうか」平田は電話で必死に督促をかけた。
「わかっちょるよ。今やっているところだからもうちょっと待ってくれ」
「どれくらいかかりますか」
「まだ、部下から上がってこんのよ。もう2、3日待ってくれんかの」
「とんでもないです。とてもそれじゃ間に合いませんよ。今日中になんとかなりませんか」
「無茶言うたらいかんよ。できるわけないじゃんか。いい加減に付けていいんならいいぜ」
「そんな……。スケジュールはちゃんと案内書に書いているじゃないですか」
「どうせ、他の部署も打ち込まにゃいかんのやろ。そっちを先にやっちょってくれ」
現場の言い訳はいつもこんな具合だ。しかし、どこの部署もそんな思惑で動くから半分近い部署が遅れた。
平田は必死で各部署からの提出を催促した。険悪なムードになることもしばしばだったが平田には遅れることが許されなかった。なんとしても、この制度を成功させなければならない。
「評価を確定させるだけにそんなに手間隙がかかるような重い仕組みは、わが社には似合わんよ。やめたほうがいいんじゃないか」
どこから槍が飛んでくるかわからない。役員間、部長間、部署間、担当者間、ありとあらゆる関係にライバル心や嫉みは存在し、少しの隙も弛みも許されない。平田自身の問題だけで収まるのならそれでもいいが、川岸の足を引っ張ることにもなりかねないから必死でやりぬくしかない。
昼間のうちは所長や課長たちへの電話催促や直接その部署へ行って取ってくるのだ。入力は夜になって、今日届いている分を一人で打ち込んだ。
翌日はまた未入力リスト部署への催促だ。1週間の間、ほとんど眠れない日が続いた。
一次評価を打ち終わってからがまた次の難関である。
評価の甘辛調整だ。案の定、事業所長の運用のレベル差は大きかった。不慣れなことと評価者研修の不足も祟っている。
評価調整用に作ってもらった資料は図のような事業所ごとの出現表だ。これを職位や資格ごとに打ち出してもらった。
他にも得点ランクごとにその層に何人いるかがわかる分布図や平均得点表など調整しやすい資料を数種類打ち出してもらった。
甘辛や分散化、集中化など、評価者の特性が見事に現れた。
極端な所長は所員の半数以上がA評価以上というひどい状態のところもある。

イメージ図

平田はこれの修正に必死で動いた。このままでは二次評価者の不評を買うのは火を見るより明らかだし、こんな状態で調整なんかできるわけがないとお叱りを受けるのが目に見えている。制度の信憑性すら疑われかねない。いずれ見直さなければならない職能資格制度ではあったが、今はこれが1300名社員の処遇を決める唯一の制度である以上、公平で納得感のある運用にしなければならない。いいかげんなことで結果を適用するわけにはいかなかった。
一次評価の調整。これは平田の仕事か……。おそらく課長の仕事であろうことは明らかだったが、高瀬には日々雑多な課業があり制度だけに入れ込んでいるわけにはいかない。それが総合職課長だ。反面、平田はほぼ専任的に制度構築に取り組んでいる。そんな役割の違いから、もうすでに2人の間には制度運用に対する認識や思い入れの温度差は相当なものがあり、今更高瀬には任されなかった。
新田が「係長にも専任職があってもいい」と言ったその意味を今更ながら親身に感じた。

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