更新 2016.05.26(作成 2010.08.05)
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第5章 苦闘 53. 第2回社債発行
「山ほととぎす初鰹」平田は一年のうちでこの時期が一番好きだ。山に入れば鮮やかな新緑が心を洗い、山菜が楽しめ、小鳥のさえずりは頭の中で鳴くように響く。渓流ではヤマメやアマゴが釣れ、6月の本流は鮎の季節だ。
そんな新緑の5月20日。社債発行の契約調印をするため、樋口を筆頭とするタスクフォースの一団がスイスへと飛び立った。
社内からは財務部門のトップである新井常務と野木、総務から役員になったばかりの新田、それに秘書課長の森、計5人である。
外部からは、メインバンクであるF銀行の本社営業常務と広島支店長。幹事証券会社であるY証券からは、本社営業常務と営業課長、広島支店長並びに法人営業課長。総勢11名の大部隊となった。
現地ではF銀行のスイス支社やY証券が斡旋人となって現地法人との仲介をしてくれた。
スイス銀行(総称)には3種類の金が集まるといわれている。
1つは合法的取引の正規のクリーンな金である。
2つは資産家や政治家、第3世界の指導者たちの資産隠しのための不正蓄財(グレーマネーとよばれる)の金だ。
そして、これらをはるかに上回る国際的麻薬組織や武器商人、国際的陰謀などによって集まる第3の「汚れた金」(ブラックマネー)である。人類の悲劇や血によって作られたこの資金は、スイス銀行の口座を通過し浄化(ロンダリング)され再び市場で投資されていくのであろう。それはスイス銀行の堅固な守秘性があるからこそ可能であり、だからこそ世界の金が集まってくる。
これは筆者の勝手な推測にすぎないが、さしずめアメリカへ亡命したマルコス大統領が横領したであろうとされる多額の国家資産などもその一部か。この金がいずれ自国のマーケットに流れ出ることを思えば、アメリカも民族やイデオロギーを超えて喜んで亡命を受け入れる。
こうした金を扱う銀行も金の性格に応じて大まかに3種類の銀行があるそうだ。
カントン銀行(チューリッヒ公立)、スイスユニオン銀行(現UBS)、クレディースイス等の大銀行があり、地方銀行や外国銀行の支店もある。
歴史が最も古いのが「個人銀行」(プライベートバンク)である。顧客単位の財産管理、運用のみを扱い、その手数料で利益を得ている銀行だ。最大の特徴は口座の秘匿性であり、秘密保持の堅固さである。それによって厚い信託関係が築かれており、顧客の公開はおろか蓄財能力・運用方法など全てが謎に包まれているのだ。
元々スイスは銀行法により、顧客情報の厳格な秘匿・守秘性(高度なプライバシー保護)と番号口座(ナンバーズアカウント)により口座所有者の名前や住所を含む情報が守られており、法的に犯罪が立証されない限り情報が開示されることはないそうだ。
むろん、樋口たちがそんな色のついた資金に手を出すわけがない。現地法人の引き受け先はスイスパリバ銀行他12社だった。
パリバ銀行はパリを本拠地とする世界有数の銀行グループで、傘下に証券会社や投資会社などを持ち、デリバティブや仕組み商品などに強みを持つ専門性の高い一大金融グループである。
今回発行する転換社債の概要は次のようなものだった。
1) 発行する証券 平成8年満期のスイス・フラン建私募転換社債
2) 発行額 7800万スイス・フラン
3) 発行日 平成3年7月22日(スイス時間)
4) 利率 1%
5) 転換価格 693円
6) 転換請求期間 平成3年8月19日から平成8年12月19日(同)
7) 償還日 平成8年12月31日(同)
日本の金融市場は昭和50年ごろから国際化が急速に進展し、各企業の資金調達方法もそれまでの銀行借入による間接金融から直接金融へのウェートをシフトし始めた。それだけに企業の収益や信用、それに伴う株価は実体経済の中で重要な意味と役割を持つのだが、日本の政治家はそのことに鈍感であり、経済対策とりわけ株価対策を怠り失われた10年が始まったのである。
中国食品の社債発行もこうした時代の流れの中で第1回、第2回と実施されてきた。特にスイス市場が選ばれたのは、金利が極めて低かったことと発行コストが安かったからである。このファイナンスによって中国食品は70億円の資金を会社に呼び込み、1回目と合わせて都合115億円の資金を調達したことになる。
樋口は独特の嗅覚でこうした企業金融の変化の兆しを鋭く嗅ぎ分け、機敏に財務戦略を打ち出した。これが新聞やテレビから入ってくる情報への感度だ。その金をどう使うかのビジョンや心積もりが常に描かれているからその情報に反応できる。これが樋口の会社を思う心なのだろう。
バブル崩壊で混迷の度合いを強める株式市場を尻目に、好調な業績を背景に中国食品の株価は比較的順調に推移していた。社債発行で株主価値の希薄化を織り込む形で一時的に下げたが、期を待たずして600円台を回復している。それにしても転換価格の693円はかなりの強気価格である。これからの業績の見通しと妥当株価から幹事証券の専門家がはじき出した株価であろうが、社員の大半が大丈夫かなと懸念したものである。もしかしたら、結果を出すためにまたぞろ賞与がカットされるのではないか、しわ寄せが従業員に来るのではないかと勘ぐる向きもないわけではない。
それとも、今現在の600円そのものが中国食品の実力を織り込みきれていないのか。バブル崩壊で自信をなくした市場が、全てに弱気になっているのかもしれない。方程式を解くように答えがないのが株式市場だ。
しかし、スイス市場はそんなこととは無関係に順調に債券を消化し、資金を振り込んできた。
樋口ら一行は調印式が済むと、休養と日ごろの激務の報償、世界市場を学ぶための研修、そんな理由を付け「市場調査兼研修」と銘打って月末の31日までドイツ、フランスを周遊し、晴れがましい気持ちで帰国した。
これを機に樋口の政策は俄然積極的になり、攻めの経営が開始された。
そんな中、夏商戦を前にしてとんでもない事件が起きた。
中国食品の営業車が山陽本線の踏み切り内で貨物列車と接触事故を起こしたのだ。