更新 2016.05.24(作成 2009.12.25)
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第5章 苦闘 31. ミス人事
問題は任命基準であるが、これまでは合理的な物理的データの基準は何もなかった。平田は人事の持つデータの中から、職能資格制度で基本的な対応資格があるのでそれ以上でないと任命できないこと、直近の評価が「B上」以上であること、などを設定した。その評価もAかBを問うだけのもので資格に応じた評価内容とはとてもいえなかったが、今人事が持っているデータで使えるものはこの程度しかなかった。
中国食品の人事評価はS、A、B、C、Dの5段階評価が基本であったが、Bは幅が広く中でも真面目にやっている者が救われないという理由で、「B上」を設けていた。
さらに平田は、「専門知識や問題解決能力があり指導力に優れる者」といった任用基準を無理やり入れ込んだ。今はそれをアセスメントするツールは何もなかったが近い将来適性検査の導入を考えていた。それは自分が関わってきた管理職にあまりにもリーダーに相応しくない言動が目立ち、知識や経験だけでなく何か選別する手段を導入すべきだと前々から思っていたからである。監督職に入れれば必然的に管理職にも導入しなければ整合がとれないはずだ。
平田はかって後藤田が豊岡とのやり取りで、管理職の任用について、
「急激に成長してきたから仕方がなかった。若い会社に1年の経験の差は大きかった。これからは人の時代になる」と言っていたのを思い出し、年功人事が残した負債の大きさを噛みしめていた。
人にはそれぞれに性格や器量によって相応しい役割がある。似合わぬ役割を無理して演じると必ず歪みが生じる。負い被さってくる責任の大きさが手に負えなくなり、仕事が迷走し始め大きな失敗や問題に繋がっていく。そうなると「どうしましょうか」と上役の指示ばかりを頼り、自らの理想も考えも個性も消されてしまう。いずれ言いなりにコントロールされる走狗に成り下がるだけである。悩んだ挙句精神に傷を負い、部下に辛く当たったり、会社の進む方向を大きく捻じ曲げてしまったり、最後には自らをつぶしてしまう。山本がいい例であろう。人として誰も付いて来ないような者が50人もの人間を束ねなければならないようなあまりにも似つかわしくないポストに就いたばかりに人心の離反を招き、自らの命取りになるような事件が起きてしまった。それも、自らの立身出世と引き換えの偽りの企画書を捏造した邪まな心がもとで会社をおかしくし、多くの人の人生を狂わし苦しめる結果になったのだ。
今、読者自身も読者の上司もミス人事そのものかもしれない。
それでは人間背伸びしてはいけないのか。諦めてしまわなければならないのかというとけしてそうではない。少し頑張れば、ちょっと背伸びすれば届きそうなところを目指せばいい。
しかし、会社は自分が希望するようには任用してくれない。それほど世の中うまくはない。人が人を選ぶのである。好き嫌いもあれば思惑もある。ミスだらけなのが人事であるが、そのミス人事任用者が適材適所と自信をもって人事する。その錯覚の世界で凌ぎを削るから悲劇は起きる。その数たるや限りないではないか。それでも人間は栄達を望みたがる。それをうまくバネにして会社は競争社会を勝ち残っていくのだ。
そのミス人事に出会ったときどう対処するか。それを自分の適性と、実力と思い込まぬことだろう。分をわきまえ無理な背伸びをせず、人の意見を聞き助けてもらうことであろう。そのうち役割が人を育て力が付いてくることもあり、更に飛躍を期待できることもある。人事はミスだらけ。焦らず急がず分をわきまえることである。
冷機技術課と車両管理課の技術スタッフは、営業所に駐在するも基本的に地区販売部の所属とし、地区販売部ごとに係長、主任によるチーム編成をまとめた。
係長・主任制度を見直すということは、末端の事とはいえ会社の組織編成の見直しなのだ。「部や課が会社の事業戦略から来る組織編成なら、係長・主任は現場の実践配備のフォーメーションである」企画書にはそんな解説も挿入した。
平田は、本社をどうするか悩んだ。いや、どうするかではなくどうしたらいいかわからないと言ったほうが正しい悩みだ。本社の男性社員の7割以上が何らかの肩書き(係長、主任)がついており、今更解任もできない。1課の人数は多いところでも10人程度だが、平均4、5名程度が普通である。ならば指揮命令系統としての係長・主任は不要である。課長の朝の朝礼で十分行き渡るし、スパン・コントロールを超えることもない。なのになぜこれほど多くの監督職が必要なのか。チームやグループといった組織運営論だけからでは説明がつかない。そんな悩みがしばらく続いた。
たまたま総務部に顔を出していた平田を部長の新田泰雄が認めて手招きした。もう既に年は改まり平成3年になっていた。
「まあ、お茶でも飲んでいけ」と言ってコーヒーを用意してくれた。
おかしな現象だが中国食品はどの部長の横にも必ず雑談相手用のパイプ椅子が置かれている。また各課にも一つや二つの椅子が壁際に置いてあり、何かあるときはそれを引っ張り出して目的の相手の横に座るのである。しかも例え相手が部長や役員といえども立ったままではない。大体座って話すのが通例だ。中国食品ではそれほど上役に形式ばった儀礼を尽くさない風土がある。それに、立っては目立つし落ち着いて話せない。立っているときは話が簡単なときか、座って話すことがゆるされない不都合、例えばミスをしたとか、怒られるようなときである。
新田は、川岸や堀越らと同じように後藤田の申し子で、その才覚を買われて早くから部長職に任用されている平成の四天皇の一人だ。いずれ役員をという野心は見え見えであるがぎらぎらとひけらかすわけではなく、さりげなく語るところに愛嬌があった。東京の某私大出で、企業人としてのセンスの良さは田舎出の多い社内では定評があった。
話好きではあるが誰でもいいというふうでもないようだ。むしろ相手の取捨選択は有用かそうでないかでシビアに選り分けられているようだった。読書家で勉強家であらゆることに博識があったが特に経済や経営に関しては卓越した見識を持っていた。果ては世故にいたるまで雑学にも長けている。
平田はこれまであまり接触がなく、弁が立ち才走ったところなど自分と同じ臭いも感じて、どこか他人行儀な対応を強いられる窮屈な相手である。だが本人は極めて気さくで、仕事や会社のこと以外では自分の心の内をさらりと言ってのける開けっ広げなところなど憎めなかった。それでいてここぞというところではきちんとしたケジメを持っていて立場や状況をわきまえた言動は厳しく要求された。その辺の見極めが平田には掴めなくてできれば避けて通りたかった。
「どうや、係長・主任制度の進み具合は」話し方はまるで友達とでも話すような庶民感覚だ。
「はあ、何とか進んでいるんですが本社がわかりません」
「フーン、本社か。まず、そもそも係長・主任って何なんだ」
平田は「指揮命令や責任所在を明確にする組織系統の一環である」という自分の考えをぶつけてみた。
「ただ、それでいくと本社が整理できなくて、それで悩んでいます」
「なるほどな。いい整理の仕方だと思うぞ。それで本社は管理職と同じように考えられんのか」
「どういうことですか」
「管理職は大まかに2系統になっておるやないか。部長、次長、課長、あるいは代理とか副とかのライン職と、専門役とか調査役のような特別職の2通りの任用形態があるやないか。それと同じように考えられんかということや」
新田の頭の回転は早い。平田の基本的考えやちょっとした話し振りを元に他の何かと結び付けて次の新しい展開を導き出す。
ここでもそのアイデアが大きな閃きを平田にもたらした。
「そうですね。そうですよね。現場と同じ理屈で考えていました。ラインだけじゃないですよね」平田は思わず膝を打った。