更新 2016.05.19(作成 2008.09.12)
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第4章 道程 14. 株主価値
「つまりこういうことよ。株価というのはその会社の資産価値とか収益性とか成長性とかを一株当たりに換算して決まるのが普通だ。言い換えれば一株当たりの会社の価値とでも言うかな。さっき資本金に組み入れられると言ったろ。つまりその分新たに株式が発行されるわけだから、株数が増える分だけ一株当たりの会社価値が減ることになる。そうすると既存の株主には株主価値が希薄化して不利になる。だからCBを発行すると大方において株は下落する。そのことを申し訳ないと言われたんだと思うよ」野木はそう言ってコーヒーを一口啜った。
「なるほどね。そういうことですか。難しいですね」
「ヒーさんにはそんなことないやろ。掛算割算の世界よ。スカトール、メルカプタンの化学式より簡単さ」と自分で言っておいて大笑いした。
「スカトール、メルカプタン」とは屁を構成する成分の一種で、生化学専攻の平田がその昔座興で体内で屁ができる分解サイクルを野木に講義したことがあって、そのことを引き合いに出してきたのだった。
日ごろおとなしい野木が大きな声で笑ったものだから、昼休みをのんびりとくつろいでいた若い社員がニヤニヤしながらこちらに注目した。
「しかし、株主価値の希薄化はマル水にとっても同じでしょ。よくOKが出ましたね」
「そこが実力なんじゃないか。今の社長は樋口さんの後輩だし、金丸会長さえ説得すればそう反対する者もいないやろ。その金丸さんも樋口社長を出した手前、面と向かってそう反対もできんのとちがうか」
マル水のほうでは6月の総会で、金丸が会長に退き樋口が中国食品に出たことで、藤野成人という若い新社長が誕生していた。
「もう1つあるんですよ。社長はこうも仰ったんです。『大丈夫、安心しろ』と。そしてその意味もよく聞いておけって」
「それは俺にもわからんよ」
そんなことを言う樋口が本当におかしいらしく、野木は本気で笑った。
「そんなこと言わないで教えてくださいよ」
「そうは言ってもわからんものはわからんよ」野木も財務のことならともかく、樋口の考えや心の内までも推測することは憚られた。
「わざわざ社長が『大丈夫、安心しろ』の意味も野木に聞いておけと言われたということは、課長ならわかっていると思われたからですよ。なんでもいいから教えてくださいよ」平田はこれを聞かなければ先が見えない。中途半端で消化不良を起こすと思って必死で食い下がった。
「本当に俺に聞けって言われたんか」と聞き返しながら、野木はまんざらでもない顔をしていた。
「まあ、そこまで言うなら俺の推測でよかったら言おうか。間違っているかもしれんぜ」野木はそう前置きして、考え考えゆっくり話し始めた。
「恐らくこうだと思う。社長がこの金をなんに使われるつもりかわからんが、綱渡り的な資金繰りに余裕をもたせて、その上でなにか新しい使い方を考えておられるんだと思う。その投資から株主価値の希薄化以上に新たな利益を生み出す。それで株価を押し上げる。そういう確信があるんだと思う。そのことを言われたのと違うかな。社長の心意気よ」
「銀行の借入金を返すんじゃないんですか」
「それはないやろ」野木は即座に否定した。それには自信があるという顔をしている。
「そういう手がないこともないが、それは消極的すぎる。会社の売れ行きが構造的に落ち込んでいくときには、縮小均衡で資産や借金を減らして身軽になるのは正しい選択だ。だが、今のわが社は確かに売り上げは落ちているが宿命的要因ではなく営業のやり方一つで立ち直るやろ。だからそういう金の使い方はされないと思うよ。むしろ積極策に賭けてだろうと俺は思う」
「なるほどね。それはわかるような気がします。借金減らすだけじゃチョット寂しいですよね。金利差だけですもんね」平田は相づちを打ちながら野木の考えに同調した。
“さすがに野木だ。財務戦略や金の使い方について樋口の意を理解しているようだ。わざわざ『野木に聞け』と言うことは、社長もすでに野木のそうした実力を見抜いておられるのかもしれない。すばらしいことや”
平田はそこまで信頼されている野木がチョッピリ羨ましかった。
山陰工場閉鎖にともなう人事異動は波乱なく納まった。閉鎖直前51人いた社員のうち、工場長を含め40名が他の工場へ、3名の男性社員と4名の女性事務職員が近隣の営業所へ、閉鎖後の保守管理と事後処理のため2名がそのまま残り、後の若い2名がどうしてもこんな会社は御免だと辞めていった。最後の確認面談に行った平田は心が痛んだ。更に、他の工場でも営業をやりたいという者が3名いた。
山陽側の工場では、山陰工場に振り向けていた本来自分たちが持つべき生産枠が戻ってくるし、閉鎖する山陰工場分も増産しなければならない。2交代制や3交代制を強化して対応することになった。そのための増員需要が起きる。そこに山陰工場の40名をうまく振り分け、若干のダブつき感はあるものの許容範囲で納まった。
みんなが固唾を呑んで見守っていた工場長の山本は福山工場の工場長に決まった。山陰工場の連中の舌打ちが聞こえるようだった。
福山工場は福山市の芦田川河口付近にある工場で、山陰工場が建設される5年前に造られたもので比較的新しい工場だ。そこの工場長をしていた青野善伸が本社組織改革で新設された輸送部の部長に就任したため、代わりに山本が後任に決まった。
輸送部は、製造部に製造や資材調達、製品輸送など業務が集中しすぎていたことから、分離独立させて効率的な最適輸送を目指す目的で作られた部署である。製造部と輸送業者との癒着も何かと噂されていただけに切り離されたものだった。青野は数理に明るく合理的考えの持ち主だったから適任だった。
こうして山陰工場の閉鎖は誰一人責任を問われず、波風立たずに終わった。
しかし、各工場に散っていった人々の心には、
“責任を取らない製造部への不信感。部下のことを全く気に留めず自分だけ最新工場の工場長に納まる山本への反感。自分たちだけが背負わされる苦労”そんな行き場のない恨み辛みが澱(おり)のように静かに堆積していった。
それは、山陰工場の者ならずとも正は正、否は否としてちゃんと見ている他の工場の者たちの心の中にもわだかまっていった。同情心なのか、それとも明日はわが身と考えているのか。製造部や山本に向けられた鬱憤は、工場の者たちの心の中で地下茎のごとく複雑に絡まりながら静かに蔓延っていった。
山陰工場閉鎖の責任問題は、一旦は落着したかに見えるがその帰趨はまだ予断を許さない状況が続いた。
樋口は1年を掛けて全事業所を回った。さすがとしか言いようがない。なにかの折りに樋口がポロリともらしたことがあった。
「自分が経営する会社や。どこにどんな問題があってどんな状態か、隅々まで知らずして治められるわけがない」
平田は入社して10数年経つが行ったことのない事業所が大半だ。出張やオルグで大分行かせてもらったがそれでもまだ半分にも満たない。役員の中でも全事業所を知っている者はそう多くないはずだ。思い入れの違いだろうか。
年明け早々のころ、その樋口の金の使い方に平田は驚いた。てっきり新規事業か何かの投資に当てるものと思っていたのに、樋口が最初に打ち出した策は老朽化した事業所を建て直させることだった。
“そんな贅沢していいのか。社員は我慢できる”貧乏性の平田はとっさにそう思った。