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吉田節

更新 2008.03.14(作成 2008.03.14)

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第3章 動く 52. 吉田節

「先ほどから申し上げている山陰工場の建設は、社長の鶴の一声で決まりました。反対する役員さんもおられたようですが、浮田常務と小田社長が強引に押し切ったそうです。そのためこういう状況になっても社長自らが言い出さない限り工場閉鎖は切り出しにくいのです。そこに役員会の硬直性があるのです」
「なるほど、そういうことでしたか。バカな連中だ。何を恐れることがある。言いたいことがあればどしどし言えばいいんだよ」金丸は悲しそうな顔をした。
「それでは、山陰工場を閉鎖すればいいのですか。組合はOKですか」樋口が急かすように尋ねてきた。
「雇用の問題や配置転換など問題は起きますが、正面から受け止めてきちんと対応するつもりです」
「なるほど、そこまで覚悟されているわけですね。しかし、そこまで考えておられるのなら労使で話し合って軌道修正すればいいじゃないですか。設備過剰が一番体力を奪います。私たちも本当に要らないのであれば反対はしません」
吉田は少し慌てた。話の趣旨が山陰工場の閉鎖だけで簡単に片付けられてしまいそうな雰囲気になってきたからだ。
「金丸社長、経営にはしなければならない施策を果断に遂行することと、してはならない戒めを自らに厳しく律していくこととどちらが大事ですか」吉田は大きく舵を切った。
あらぬほうから飛んできた突然のカウンタージャブに、金丸は“ウン”と考えさせられる格好になったが落ち着いて丁寧に答えた。
「どちらも大事です。社会状況や経済情勢によってスピード感やウェイトの置き方などに変化はあるでしょうが、どちらも経営の要諦です。ただ、攻めの施策と守りの施策という性質の違いはあります。世の中は常に進歩しますからじっとしていては取り残されていきます。変化に合わせて適切な施策を適宜打っていくことは、会社が存続し発展していくために不可欠なことです。一方、トップが公私混同したり私腹を肥やしたりしていては企業という組織を統治していくことができません。そういう意味では、経営者として自らを厳しく律し身辺をきれいにしておくことは経営の基本でしょう。そのために、トップにはしてはならない戒律のようなものが課せられているかもしれません」金丸は、経営者としてごく当たり前のことを、諄々と諭すかのように吉田に説いた。そう言って横の樋口や松本にも目をやり、“お前たちもよく心得ておくように”と実践教育をしているようだった。
樋口も松本も金丸の意が通じたらしく大きくうなずいた。
「その戒律があってなきがごとくになっているとしたら、どうされるのですか。私はここのところズッと経営とは何か、会社とは何かを考えてきました」吉田は腹を括って最後の挑戦を試みた。
「それで」金丸はその次の言葉を待った。
「釈迦に説法かもしれませんが、結論は単純でした。結局‘人’だということに行き着きました。いい会社も悪い会社も、そこにいる人が作っております。みんなが一生懸命働けばいい会社になるし、やる気がなければ良くなるはずがありません。上から下まで、組織は人次第です。その社員を方向付けるのがトップの姿勢です。そのトップが自らの掟を破り私腹を肥やすことばかりに奔走していては、社員にやる気が起きるわけがありません。私たち下々の者には、経営としてしなければならない施策などわかりませんが、してはならないことはよくわかります。社員はむしろそのことばかり見ているものです」
「ウーン、なるほど。そういうものかもしれんな」吉田の視点に、金丸は大きくうなずいた。
「人は器で上に立つと申します。先ほど任命責任があると言われましたが、任命時にその検証はなされたのでしょうか。証拠がないと言われますが、社員全員がそう思っていてもそう言い切れますか。社員全員が思っているということは、それはもう取りも直さず事実でしょう。証拠などどうでもいいのです。社員全員がそう思っていることが証拠です。これを覆す事実を経営が出せますか」後藤田を説得したときと同じような、独特の吉田節が炸裂した。
吉田はそこまで言ってじっと金丸を見つめた。両手のこぶしをテーブルの上で握り締めていた。
金丸もまた、腕組みをしたままじっと吉田を見返していた。
2人の間を、息が詰まるような緊迫感が支配した。他の2人も凍りついたように身じろぎもせず、吉田に見入っていた。
「証拠などどうでもいい。社員全員がそう思っていることが証拠だ」という吉田の言い方に、金丸は唸らされた。
“言霊だ。なるほど。そのとおりかもしれない。社員が信じなきゃどうしようもないことだ。それにしてもこの男は大したもんだ。山全体を動かそうとしている”
それに、金丸にとって任命時に検証したかと言われるとチョット辛いものがあった。確かに小田を任命するとき、諸般の事情から拙速すぎたきらいは否めなかったからだ。2人の前社長に比べても小田の力量不足は明らかだったし、次の候補となるマル水食品の若手現職役員ですらまだマシと思われた。しかし、たまたま体勢を組んだばかりだったため、もう少しマル水食品の役員として経験を積ませてやりたいという親心が新たな役員の送り込みを躊躇させ、小田の任命になったのだ。
“やはり情に流されたら、後でどこかに付けが来るもんだな”金丸は胸の中で舌打ちし、自らの蹉跌を味わった。
「吉田さん。それで私たちに何をせよというのですか」
「社員とお話ししてください。社内の主だった者に会って話を聞いてください。社員が何を思い何を考えているか。何が事実で何が起きているか。真実を見てください。社員の魂の叫びを聞いてください。それだけです」
金丸は、吉田の「真実を見てくれ」という姿勢に心が動いた。
しかし、そのことには直接答えず、大きくうなずいただけで、
「吉田さん、このことは今すぐどうこうすることはできませんが、お話としては確かに伺いました。トップマターとして預からせてください」
「わかりました。しかし私たちには1300名の社員とその家族の生活が掛かっております。年が越せるかどうかの瀬戸際の年末を何年も繰り返しています。会社を建て直すためには、がむしゃらに進むしかありません。そのことをわかってください」吉田はまた涙ぐんだ。
そのとき、ホテルの係の者が水差しを持って現れた。
金丸は腕時計に目をやりながら、
「おう、もうこんな時間か。お腹が空いたでしょう。食事にしましょう」と課長の松本に目配せした。
松本はいつものことのように心得た様子で、ビール3本と人数分の野菜サラダ、スープ、エビフライ、ライスなどを係の者に頼んだ。
吉田はその様子を伺いながら、“意外と質素なんだな。こんなところに人間の偉さが出てくるんだな”と感心した。
「吉田さんは、出身はどちらですか」金丸は、後藤田から‘長門出身’と聞かされていたが話題としてわざと聞いた。
「萩です」
「エッ」と驚いて間が空いたが、「革命の志士ですか。長州魂が宿っているのですね」と笑いながら続けて茶化した。
“後藤田の勘違いか、それとも長門でゴルフの帰りだから方便でそう言ってしまったのか”自分の期待した答えと違ったことにぼんやりとそんなことを考えた。
「いえいえ、そんないいもんじゃありません」2時間あまりの緊張がほぐれ、吉田もやっと笑うことができた。
「いやいや、戦略の組み立てや話の展開、交渉の駆け引きなど、見事なものがあります。」金丸は真顔で賞賛した。
「同じ名字ですが、もしかして吉田松陰と関係があるとか」樋口も話を盛り上げた。
「いえいえ、とんでもありません。吉田なんて一番多い名前ですから」
食事をしながら、維新の話題で盛り上がった。金丸の人を包み込む懐の広さと吉田本来の人懐っこさが、2人をすっかり打ち解けさせ、新しい絆を育んだ。
食事が終わっての別れ際、吉田は今日のことを「ありがとうございました」と何度も何度もお礼を言った。
金丸らは、車まで送ろうとする吉田を制し、先に部屋に帰らせた。ケジメのところでは徹底していた。

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