ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.3-51

悪意

更新 2008.03.05(作成 2008.03.05)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第3章 動く 51. 悪意

「硬直しているとは大変興味深い言い方ですが、どういうことですか」
金丸は“ここからだぞっ”と樋口のほうにチラッと目をやった。
樋口も微かに目を伏せて応じた。
「まず、その前提として、あれほど大きな山陰工場が必要でしょうか」
吉田は落ち着いて話ができた。金丸らに会うまでは喉から飛び出しそうなくらい心臓が高鳴っていたが、金丸の上手い運びに乗せられているうち平静さを取り戻すことができていた。
「今、山陰工場は巨大な減価償却費や金利、そして人件費をはじめとする維持管理のための固定費に苦しんでおります。稼働率は実質0に近い状態です。しかし、それでは工場を造った意味を問われかねないので、カモフラージュのために本来広島で作るべき製品をわざわざ山陰工場で作らせて広島に逆送するという、大変な無駄をやっております」
「それは、本来広島で作っても十分足りるということですか」金丸らは、山陽側の工場だけでは能力不足だと聞かされていたからだ。
「先ほど、隠された悪意と言われましたが、それがそうですか」樋口も横から問いかけてきた。
「ハイそうです。しかしこれらはほんの一現象にすぎません。私が申し上げたい悪意の本質が社員のやる気をなくさせています。それが中国食品を苦しめております」
「なるほど、隠された本質的悪意が存在し、中国食品が困窮する原因がそこにあるというわけですね」金丸はここで一口水を含んだ。
「吉田さん。今日はあなたのためにたっぷり時間を取りました。慌てなくて大丈夫です。ゆっくり話してください」
「ありがとうございます。それでは状況をご理解いただくためにもう少しこの話を続けさせてください」
金丸も樋口も大きくうなずいた。
「山陰工場の状態ですが、……」吉田は山陰工場の状態をつぶさに説明した。
「週のうち稼動は3日くらいです。それも午前中で終わりという状態です。集中して作れば1日でも間に合う数量ですが、それでは製造予定表に空白ばかりが目立ちますからわざわざ3日に分けて作っております。その度に、ボイラーや冷凍機、水処理など工場立ち上げのアイドリングと製造終了後のサニテーションに無駄な費用がかかります。作った製品は運賃を掛けてわざわざ広島に運んでいるわけです」
食品会社を経営する金丸らも、吉田の言わんとすることは容易に理解できた。
「それでも、工場の人は週の半分はすることがありませんから、メンテナンスと称して毎日、ペンキ塗りとか草むしりばかりさせられております。自分たちはこの会社に要らないのだろうか、お荷物社員なのだろうかと悩み苦しんでおります。これからどうなるのかと涙を浮かべて訴えてくるのです。私たちは営業支援に出なさいと言っておりますが、部門の壁がそれを阻みます。製造のために雇った人間をなぜ営業に出さなければならないのかと、つまらない理屈を持ち出して邪魔をします。しかし、その本心は製造はそんなに暇なのかと言われるのを恐れてのことなんです。私たちは仕事の辛さならいくらでも耐えてみせます。しかし、自らの存在を否定するこんな仕打ちは、まるで真綿で首を締め付けるような地獄の苦しみではありませんか。こんな惨いことを経営が社員に強いていいのでしょうか。情けなくて涙が出ます」実際、吉田は感極まって目がうるんでいた。
金丸らも声が出なくなった。吉田の話に大きくうなずくばかりだ。
「ある本で読みました。昔西洋の国で、囚人に罰として穴を掘らせ、掘ったら埋め戻すという無意味な作業を何日も続けさせたら、ほとんどの囚人が音を上げたそうです。私は、山陰工場の人たちを思うときこの話を思い出します」
この話は社内教育などでたまに使われる逸話で、金丸らも当然知っていて大きくうなずいた。
「社員が活き活きとして、働く喜び、社会に役立つ充実感、そしてその活躍の場を与えるのが経営ではないのですか。私たちは物貰いと違います。給料さえもらえば何の役に立たなくても構わないというようなさもしい心の持ち主は一人もおりません。会社のため世のために少しでも役に立ちたいと願っております。その志を経営が否定しているのです」
吉田はここで大きく息をした。自分のしゃべり方が熱を帯びていると感じたからだ。気がつくと両手をテーブルの上に置き、身を乗り出していた。吉田も必死なのだ。
「なぜ、わざわざそんなことをしてまで山陰工場にこだわるのですか」
「これから先は、私が知り得た情報に基づく状況判断と推測の域を出ませんが、社員が全員思っていることです」
「伺いましょう」
「業者との癒着です。毎晩のようにサプライヤーさんと飲み歩いておられます。土日はゴルフです。そんな暇があったらわが社のディーラーさんを大事にしてほしいというのが社員の願いです。原材料の購入単価にしても、係の者が『少し高いんじゃない』と指摘すると、『いや、これはもう常務と話が付いています。それとも常務のお決めになったことに何か不服でも』と業者のほうから逆にやられるそうです。情けないと憤っています。癒着の極めつけが山陰工場の建設だったと思います。キックバックが目的だろうというのが全社員の一致した見方です。その工場が1年や2年で不要となったらなぜ造ったかと詮索され、それがばれるのが恐いからなんとか体裁を維持しようとして無理やり稼動を上げるようにしております。これは運送会社の人に聞いた話ですが、本来、山陰工場を造ることで広島からの運賃が不要になるはずでした。ところが逆送で結局運賃は減っていないそうです。運送業者は潤っています。つまり、リベートのために工場を造り、それを隠すために逆送運賃を払ってまでも無理やり山陰工場を稼動させているのです。諸悪の根源がここに集約されています。中国食品を建て直すためには山陰工場の閉鎖は不可避です。にもかかわらず毎年十数億の赤字を出してもそれを隠そうとしているのです。自らの利得のために会社を犠牲にする。これは悪意以外のなにものでもありません。私たちは1円2円の売り上げに日々命を削って頑張っているのに、一方で大金がこんなことでザルのようにこぼれています。情けなくてやる気もなくなります。販売が不振なのもそうしたことを社員が知っているからです。わたしたちが、デモやストライキに走らざるを得ないのも、貴重な社員の命をこれ以上こんな経営に注ぎたくないからであります」
「ウーン、なるほど」金丸は大きく唸った。
「癒着だのリベートだのと生々しい話ですが、それが事実なら由々しき問題です。しかし、なにか確証はありますか」金丸は、突っ込みにくい人の懐に手を入れるように遠慮がちに探りを入れた。
「証拠はありません。しかし、社員は皆そう思っております」
「吉田さん、それでは話に少し無理があります。私たちにも任命責任というものがあります。それは社員や他の株主さんに対してと同時に本人に対してのものです。仮にも経営のトップを証拠もなしに首にするというのじゃ、いかにも乱暴すぎます。それこそ先に言った者勝ちになってしまうじゃないですか。経営不信を言うということは首にしてくれと言っているのと同じことです。あなたは証拠もなしにそれを言いますか」
金丸にも筋道がある。話の無理や矛盾はつぶしておかなくてはならない。内紛劇の疑いも完全に払拭されたわけではない。
横で樋口が、そのとおりだと言いたげに大きくうなずいた。
「河村を送っているのはそんなこともあろうかと思ってのことですが、そんな話はついぞ聞いたことがありませんけどね」
「河村常務が来られたのは工場建設の後です。それと、役員会が硬直しているから動きが取れないのだと思います」
「その役員が硬直しているとはどういうことですか」金丸が思い出したように聞き直した。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.