更新 2008.02.15(作成 2008.02.15)
| 正気堂々Top |
第3章 動く 49.悲壮の決意
「私も会うのですか」樋口は驚いた。
「そうだ。君が言うように信頼するに足り得ない組合か、しっかり見届けてほしいのだよ。少しでも内ゲバの匂いがあったら両方をつぶす。それと組合が何を言いたいのか、聞き漏らさないようにしてほしいと思ってな」
樋口は、金丸が会うのは止めたほうがいいと思っていたが、自分も会うのだということになれば話は別だ。俄然興味がわいてきた。話としてはよくあることだが実際に見るのは初めてだ。二つ返事で承諾した。
「なるほど、そういうことでしたらわかりました。ご一緒しましょう。それで、どういう手はずにしますか」
“これから先は部下の俺がしなけりゃいかんだろう”と、樋口は金丸から話を引き取るように段取った。
「その辺は君に任せるよ。関連企業の松本も連れていくようにしてくれ」
「これはもちろん極秘のことですよね」
「当然だ。こちらから伝えるのは場所と時間だけにして、あとは一切指示しない。彼らがどんな出方をするかも見てみたいからな」
樋口は、用心深さか意地の悪さか、金丸の性格の一端を垣間見る思いがした。
「わかりました。大体、時期としてはいつごろを目処にしましょうか」
「こんなものは早く片付けなくちゃいかん。ズルズル先延ばしにすると膿がたまるばかりだし、いつ噴き出すかわからない。スケジュールの都合が付き次第、やったらいい」
一旦飲み込むと経営トップの決断は早かった。対応の早さも金丸らしかった。
3人の都合はすぐに付いた。昼間は何かと多忙であるが、夜ならばということで、翌週末11月22日の夕方6時に決定された。松本には、その場からの電話で「事情は後で話す。それじゃ空けといてくれ」で片付いた。
場所は、田舎者の吉田にもわかりやすいようにということで、東京大手町のパレスホテルが選ばれた。皇居大手門の正面である。
関連企業課長の松本は、後藤田に日時と場所を伝え「チェックインして待つように」とだけ伝達した。
このことは週が変わるとすぐに吉田に伝えられた。
11月18日、回答指定日を来週に控えた週初め、交渉材料の整理に余念のなかった吉田は、思いがけなく後藤田に呼び出された。
後藤田は、秘書が吉田を案内してくると、
「私がいいと言うまで誰も近づけないように」と、厳しい顔で秘書に厳命した。
そんな物々しい雰囲気に吉田も緊張した。
「吉田さん、いつだったか私に金丸社長に会わせてくれって言ってましたよね。その気持ちは今でも変わりませんか」
「そりゃあ、会えればそれに越したことはありませんが、でももういいんです」
「もう諦めたのですか」後藤田は拍子抜けがした。あれほど懇願していた者がなんという変わりようかと思った。
「諦めたわけじゃありませんが、人を当てにしたのがいけなかったのです。自分たちの力で何とかしなければいけないと思っています」
「何とかなるのですか」
「わかりません。しかし、人を当てにしたり迷惑掛けたりしたら、結局上手くいかないと思って、自分たちだけでやろうと決めたんです」
「そんなことはありませんよ。利用できるものは何でも利用したらいい。自分のためではない。会社のためみんなのためなんですから、決して悪いことではない」
「……」今度は、吉田が狐にでも摘まれたような変な気分になった。あれほど頑なに拒んでいた後藤田が真反対のことを言っている。
「あなたがそんな弱気でどうするんですか。間に入る人の立つ瀬がないじゃないですか」
「エッ、それじゃ誰かいい人がいるんですか」
後藤田はそれには答えず、
「どうなんですか。本気で会う気はあるのですか」と確認した。
「もちろんです。会うという目的は変えておりません。自分たちでなんとかしようと思っているだけです」
「吉田さんは金丸社長に会って何を話しますか」
「そんなことわかりません。会社の現状をつぶさにお話しするしかないのと違いますか」
「そりゃそうですね。これはつまらないことを聞きました。それじゃ、東京に行きますか。22日の都合はどうですか」
「それは、どなたかを紹介していただけるんですか」吉田は、後藤田が金丸に会うためのキーパーソンを紹介してくるのだと思い込んだ。
「金丸社長ご本人では不服ですか」後藤田の顔が優しく笑っていた。
「エッ、本当ですか」吉田の体が反射的に反り返った。
“なんということだ。もう他人は当てにしない。自分たちでなんとかしようとみんなで誓ったばかりではないか。交渉も思いっきりやろうと言ったばかりなのに。世の中皮肉なものだ。でもまだなんとか取り返しはつく。交渉に入る前で助かった。まだ付いている”吉田は神に感謝した。
「ありがとうございます。これはどんな経緯があったのですか」
「そんなことはいいんですよ。11月22日、夕方6時、東京大手町のパレスホテルにチェックインして待つように、との金丸社長からの言付けです」後藤田は、自分が首を掛けて繋がりを持ったことなどおくびにも出さなかった。
「ありがとうございます」吉田は、立ち上がって改めて最敬礼した。
後藤田は、そんな吉田を慈愛に満ちた眼差しで見つめていた。
専務室を出た吉田は、目頭が熱くなった。なんだかんだ言って、後藤田が陰で骨を折ってくれたのであろう事は容易に想像できる。そう思うと、感謝で胸がいっぱいになった。
“せっかく、専務が苦労してセッティングしてくれたチャンスだ。大事に活かさなくては申し訳がない。これを逃すと今までの苦労が水の泡だ。二度と立ち直れないだろう”吉田は、そう思うとこの件は自分一人で進めることを決めた。
“例え三役でも言うべきではない。これまで、どんなことも苦楽を共にしてきた仲間だが、これは違う。『敵を欺くには、まず味方から』という諺もあるではないか。少しでも外部に漏れたら後藤田を巻き込んだ内紛劇と見なされるし、金丸社長にも類が及ぶかもしれない。何としても秘密裏に運ばなくてはならない。みんなを信用しないわけではないが、チョットした気の緩みから漏れないとも限らない。みんなもきっとわかってくれるだろう”吉田は悲壮の決意をした。
22日といえば後4日しかない。早速準備に掛かった。夕方6時ならば当日の出発でも十分間に合うが、もしなにかあったら大変だ。用心して前日の新幹線を手配した。パレスホテルに2日も泊まる余裕はない。その日の宿は近くの安いビジネスにした。誰にも言えないこととなれば、公務扱いにはできない。自費だ。パレスホテルも一番安い部屋を頼んだ。キップの手配を済ますと散髪にも行った。
“さて、会って何を話すか。会社正常化への筋道とはなにか”
吉田の脳裏はそのことだけでいっぱいになった。残された4日間、そのことだけに全思考を注いだ。
そして、昭和60年11月22日、ついにそのときがやってきた。吉田ら有志が願って止まなかった親会社トップとの会談が実現した。