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赤心の証し

更新 2016.05.18(作成 2007.06.05)

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第3章 動く 24.赤心の証し

「こんにちは。チョットお邪魔してもいいかな」
「どうされたんですか。今日は株主さんと飲みでしょう」みんな驚いた様子で河村に視線を注いだ。
「明日のことだけど、デモをやるんだって。やめたがいいよ。そのことを伝えたくてやってきました」
「どういうことでしょうか。ここまできてもう止められませんよ」
「危険が多すぎる。それに逆効果ということもある」
「……」
何かわからないが事の重大さを悟った吉田が、「まあお座りください」と河村のために席を用意した。
「マル水食品は組合を大事にする会社だけど、それは真面目に真摯に話し合えて、信頼できる組合だからこそなんだよ。こんな暴力的手段に訴えたら、過激な組合と取られて突き放されると思うよ」
「しかし、逆にそこまで追い詰められているのかと関心を持ってくれる可能性もあるんじゃないですか」
「私の知るかぎりでは逆効果になる可能性が大きい」
「常務はそのことでわざわざ来られたんですか」
「そうだ。後藤田専務と相談してやめさせたがいいということになった。金丸社長らと会食もあったが、抜けさせてもらってきたんだよ」
「そこまで心配していただいて、それはすみません」吉田が謝意を表した。
「しかし、それくらいせんと私たちの気持ちが通じんやないですか」長瀬が、多少怒気を含むような口調で強く訴えた。
「君たちは警察に届けを出しているのかね」
「いえ、何もしていません。政治的デモではないし、ただ行進するだけですからいいと思うんですが」みんなもそうだと言わんばかりにうなずいた。
「やっぱりな。そうじゃないかと思っていたんだよ。それじゃ絶対だめだよ。道交法に引っかかる。逮捕者が出るぞ。下手をすると示威業務妨害とか騒乱罪なども適用されるかもしれん。警察はいくらでも罪状を作り上げていくからな。警察とはそんなところだ」
「ただ、行進するだけですよ」
「シュプレヒコールなんかもやるんだろ」
「……」みんなの気持ちの中では確かにあった。そのことを見透かされて伏し目がちになった。
「やめたがいい。逮捕者が出たらどうするんだ。組合は救えるのか。君たちはそこまでの使命感に燃えてやることだから覚悟もあるかもしれないが、一般の組合員は恨むぞ。会社は首になるだろうし、一生面倒見きれるのかい。ひょっとしたらどんな可能性があるかもわからないその人の人生に責任を持てるのか。うちの組合にそれほどの力があるとは思えないぞ。NTTや電通のように何万人も組合員がいるところなら、1人や2人専従員として組合が雇うこともできるが、1,300人の組合で一生雇いきれるのかい。財力のない組合でそんな犠牲者を出したら組合は崩壊するよ。絶対やめたほうがいい。委員長も先導者として捕まるだろう」
「しかし、いつまでも会社は変わらないじゃないですか」
「君たちがデモをやって会社が変わったとしても、そのときに君たちがいなかったら意味がないじゃないか。俺も専務も君たちを貴重な存在と思っているんだ。君たちを傷つけたくないんだよ。頼むからやめてくれ」
「親会社はわが社の実情を何も知らないのと違いますか。我々の思いを株主に伝えたいんですよ」長瀬は悔しくて薄っすらと涙を浮かべている。
「時期を待つんだ。慌てたら負けだ。きっと何かいい手がある。捲土重来を期すんだ」
「……」
みんな押し黙ったまま、机の上をにらんで動かない。凍りついた沈黙の時間は、みんなの赤心の証しだ。
事務局員の中原里美が、自席から目を丸くして事の成り行きを食い入るように見つめている。
「な、頼むからやめてくれ」しばらくして河村が念を押した。
「常務、お気持ちはよくわかりました。そこまで考えてくださって感謝しています。しかし、はいそうですかとはいきません。しばらく考えさせていただけませんか」
「そりゃ、そうだろう。しかし私も金丸社長らとの会食を辞退してここまで来たんだ。君たちにわかってもらうまで帰らない覚悟だ。それにもう時間がない」河村は腕の時計をのぞき込んだ。
「わかってます。ちょっとみんなで相談させてください」
「うん、そうだな。それじゃ私は電算室の会議室で待っているから、結論が出たら知らせてくれ」そう言って河村は出ていった。みんな席を立ち、感謝の気持ちをお辞儀で表した。
「中原さん、すまんが常務にコーヒーを届けてやってください」吉田は河村の真心に気を使った。
中原は、我に返ったような顔をして素直に厨房に立っていった。

「さて、こういうことになりました。どうしますか」吉田が尋ねた。
「やはり、届け出を出しておいたほうが良かったんだ。大失敗や」作田は、顔を歪めた。
「もう少し調べて、慎重にやるべきだったんよ」
「もう、そのことは言うまいや。今更言ってもしょうがないよ」
「それよりも、どうするかや」
「まず、やるかやらないかだけ決めよう。それから次の手を考えよう」
「しかし、明日のことやからね。止められるかどうかを考えんと、やるかどうかも決められんやろ」
「いや、やると決めたらやるし、やめると決めたら何が何でも止めなければならんのです。さっきの常務の話を聞いて、それでもやるのか、やめるのかです。我々にその力があるかどうか、その一点で十分です」吉田の目は据わっていた。
「力があるかどうかだったら、ないに決まっとるよ」豊岡は、力なくポツリとつぶやいた。みんなも悔しそうにうつむいた。
「それじゃ、中止ということでいいですか」作田が確認した。
「しょうがないよ」渋々賛同する声が漏れた。
「それじゃ、どうやって止めるかです。明日の9時半には70名の支部長たちが広島城に集まってきます。今更連絡しても事情がわからないからみんな納得してもらえないと思います」作田も真剣な形相になっている。
「どこか一室に集めて説明するんが一番いいんやけどね」長瀬が提案した。
「こうしたらどうかね」崎山が長瀬の提案を受けて思いついた。
「バスをチャーターするんです。来た人を片っ端から押し込めて、そこで説明するんです。ある種の会議室みたいなもんになるんやないかね」
「なるほど、それはいいかもしれんな。しかし、今から手配できるやろか」作田は心配した。
「俺に任せんさい」豊岡だ。豊岡は顔が広い。なんとかする手立てがあるのであろう。自信たっぷりだ。
「大型バス1台を9時に広島城でいいんやね」そう言った。
「しかし、なんて説明するんですか。届け出を忘れましたから中止しますなんて言えないでしょう。そんな頼りない組合かって、いっぺんで不信感を買いますよ」それまで、黙って状況を見つめていた坂本が珍しく異議を挟んだ。

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