更新 2016.05.18(作成 2007.05.25)
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第3章 動く 23.デモ
「いずれ配分交渉になると思いますが、それじゃ今年はどういう昇給方式をしたらいいですか」川岸が、平田のほうを向いて尋ねた。
「これ以上、不合理な格差を拡大させるわけにはいきませんから、今年は全額定額にするべきです」
「そんなバカな。40歳の人と20歳の人と同じ昇給じゃおかしいだろう」西山が慌てて否定した。
「バカはどっちですか。何を言うとるんですか。これまで無為無策で何もやってないのによくそんなことが言えますね。会社創立以来、20年近くも高齢者有利の昇給をさせてきて、若年者はいわれのない不利益を被ってきてるんですよ。そのために頭だけが立ちすぎた中弛み現象が起きとるんでしょうが。1年や2年定額昇給したって何の不都合があるもんですか。今年に限っては確かに高齢者の人には辛抱してもらうことになりますが、それは今まで甘い思いをしてきたんですからそれくらい当然です。少なくともマスごとの個々人の問題は解消されます」
「よし。わかった。今年はそれでいきましょう」川岸の飲み込みと決断は早かった。もはや西山の意見など気にもかけていないようだった。
「私も賃金部長として日は浅いんですが、勉強すればするほどわが社の制度の遅れは目に余るものがあります」
「いやいや、よう勉強しとるよ。さすがですね」と言いながら、
「これで配分も終わりましたから、妥結しましょう」と冗談めかし、おどろおどろした空気を和らげた。
平田は今まで無我夢中で勉強してきたが、思いもよらぬところでそれが生かされた。“勉強しておいて良かった”と安堵すると同時に嬉しかった。もし、勉強していなかったら、それはそれで何の問題意識も起きず平穏に通過してしまったであろうが、このような魂の躍動は感じられなかったであろう。
この交渉の後、豊岡が吉田に向かって、
「ね、委員長。平田を入れて良かったやろ。あんなこと誰がわかるんね」と、自分が平田を推薦したことを自慢げに言った。こんなところが豊岡の可愛いとこなのである。
「本当、そうやね。だから後藤田専務が、バランスの取れたいい組み合わせだと言われたんだと思うよ。みんなそれぞれに取柄があるということやね」と、組閣のバランスの良さが吉田も嬉しかった。
このように、川岸になって交渉の雰囲気はガラリと変わった。しかし、課題が何ひとつ解決していないことに変わりはなかった。
そうこうするうち、3月も初旬が過ぎ、大手ではそろそろ第一の山場を迎えようとしていた。しかし、中国食品では会社の正常化も春闘の回答も、全く進展していなかった。
吉田ら闘争委員会メンバーは、膠着した現状をなんとかしようと連日闘争委員会を開き、討議を繰り返した。
「川岸さんはあのように言っているけど、本当に我々の主張を経営に言ってくれとるんやろか」
「それはないと思うよ。確かに、今までの言い訳ばかりの交渉と違って内容のある交渉になってきたね。交渉の方向性は少し変わってきた。だけど、経営の中枢に口出しすることはできんやろ。経営者は株主が選ぶもんやと言っとるやないね。責任取って辞めなさいとか言えるもんね」
「結局、株主に訴えなきゃどうにもならんということやね」
「そうかもしれんね。しかし、どうやってするかが難しい」
毎回、そこで行き詰まる。彼らには大株主に知り合いもツテもない。
「我々が、今の経営に危機感を持っているということをわかってもらうだけでいいんやがね」吉田はつぶやいた。
そのとき崎山志郎が言った。
「そういえば、3月15日は株主総会でしょう。マル水食品の偉いさんも来るやろ。そこでなんとかならんですかね」
みんな“ウーン”と黙り込んで、何か策がないかと考えた。
「会見を申し込んだら断られますかね」木村が、尋ねるように言った。
ところがそんなことはないのである。関係会社の組合が正規の手続きを踏んで申し込めば断る理由はない。経営はうまくいっているか、問題はないかと常に気を使っているのが親会社なのだ。
「役員がガードするよね。忙しいとか、スケジュールに空きがないとか」豊岡が事情通らしく言った。
「チョットいい。もう最後の手段やけど、デモをやったらどうやろか」
「デモ?」一同驚いてオウム返しに復唱した。
「総会の会場の周りをデモ行進して回るんよ。プラカードなんかを持って。そうすれば否が応にも株主の目に留まるやろ。それくらいせんと効き目はないよ」策士の長瀬がとんでもないことを提案した。
「しかし、我々だけでやったって、滑稽なだけで訴求力はないんと違うかね」
「支部長、副支部長、ブロック委員を全員集めましょう。70名くらいになるやろ。そうすればデモ行進として格好もつくし、迫力も出るよ。これだけ集めれば組合の総意としての大義も立つやろう」
“ウーン、なるほど”と、思いつつ“しかし、本当にそんなことやるの”と、また全員が黙り込んだ。“しかし、これくらいのことをやらなきゃ経営は変わらんやろ”とも思っている。
一向に改善の兆しが見えない経営状態、賞与は減る一方、しかも越年支給、昇給も世間の半分程度、会社の赤字はかさむばかり。彼らの危機意識は頂点に達し、なんとか経営を変えたいという思いは募るばかりだった。彼らはそこまで思いつめていた。
「よし、やろう」吉田は決断した。
「エッ、本当にやるの」一同声をそろえた。
「このままじゃ、いつまで経っても経営は変わらんわ。経営を変える一つの手段として、新聞や週刊誌で見かけるように『○○会社の労使紛争』と、世間が注目するまで争議を打ちまくるという方法も考えられるが、これは組合の痛みが大きすぎる。それに会社がますます疲弊する。やっぱり株主に訴えるしかないと思う。これだったら業務に支障もきたさないし、株主にも通じる。やりましょう。具体的方法論を検討してください」
吉田の決断でみんなも腹をくくった。しかし、時間はもうあまりない。急いで企画を練った。70名もの人間をどこに何時に集めるか、どんな服装で、食事はどうするか、誰が先導するかなど、思いつくものをまとめあげ、『緊急集会』と銘打って下部に連絡した。
幸い株主総会は毎年市内のグランドホテルと決まっている。広島城のすぐ近くである。お城の広場に9時半に集まって、隊列を組んでホテルの周りを行進することとした。
「会社には内緒にしとかんと、ばれたら反対されるやろ」
「ばれたっていいさ。組合の自主活動や。なあに、これだけの人数を集めるんやもん、どうせすぐわかるよ」
こうして、デモ決行が決まり、準備は着々と進められた。
期日も迫って、プラカードの準備もだいぶできた。首にかけるものもある。内容も「社長は辞めろ」や「会社は誠意を示せ」など過激なものばかりである。
「しかし、川岸さんも来たばっかりでこんな組合を相手にせないけんのやから大変やね」作田は、川岸の顔を思い浮かべながら他人事のようにつぶやいた。
「大丈夫。あの人は信念があるから強いよ。タフだと思うよ」吉田は、川岸はつぶれないと信じた。
デモ実施日が迫ってきた。いよいよ明日は株主総会、そしてデモという日、筆頭株主であるマル水食品から代表として金丸聡一郎社長、樋口祐輔専務が関連企業課長の松本茂を伴って来広していた。3人とも、大株主であるとともに中国食品の非常勤取締役でもある。中国食品の役員は、3人のもてなしと明日の打ち合わせを兼ねて会場のホテルで会食をしていた。
一方組合事務所では、明日のデモを前に緊迫したムードが漂っていた。
「うまくいくやろか」心配するものもいる。
「やったあと、どんな結末になるんかね」
「恐らく、金丸さんに小田社長は怒られるやろね。そして松本さんあたりに何が原因か調査させるんと違うかね。松本さんは組合に会見を申し込んでくると思うよ。そこが肝心なんよ」吉田は、彼なりに筋を読んでいた。
「なるほどねー。さすが委員長、よう読んどるね」豊岡が感心した。
そんなとき、ひょっこりと河村が組合事務所に現れた。いつもの豪放磊落な様子と打って変わって顔は強張っている。