更新 2016.04.26(作成 2007.02.23)
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第3章 動く 14.仕切り直し
「そうですね。もうここまで来たら三六拒否は避けられません」
「避けられませんか」
「ダメですよ。もう皆市場から帰ってきていますよ。連絡が間に合いません。それにまだ争議回避の回答の準備ができてないじゃないですか」
「それもそうだな。だけど、河村さんのところは大丈夫かな。ちょっと呼んでみましょうか」後藤田は、そう言ってデスクの受話器に向かったが気分は嬉しかった。
「後藤田ですが、今吉田委員長が見えているんですよ。争議の影響について話したいと思って、ちょっと来ませんか」
河村は、後藤田からの電話だったので、さっき組合に漏らした0.5カ月のことで叱られるのかもしれないと、ドキッとして飛んでいった。
「いやね、争議突入はどうしても避けられないと委員長が言うもんだからね、河村さんのとこは大丈夫かなと思ってチョット呼んでみたんですよ」
「0.5出してもダメなんですか」河村は、ここで初めて明かしますよという振りでわざと0.5を出した。
「そうなんですよ。それが組合には通じてなかったんですよ。参っちゃいました」
「そうなんですか。それはいけませんね」河村は相づちを打って、ホッとしながら、「それでこれからどうするんですか」と尋ねた。
後藤田も、ここまできたら委員長に任せるしかないと吉田の顔を見た。
「そうですね、今日はもう時間切れで回避不可能です。まあ、1日や2日は入らんとしょうがないでしょう」と吉田は簡単に言ってのけた。
後藤田と河村も、“まあ、しょうがないかな”とうなずいた。さっきまで回避することが最重要命題のように切実に考えていたのが、吉田に言われるとそれほど重要でもないかと思えるから不思議だった。
「それでですね。明日会社からもう一度回答してください。そこから仕切り直ししましょう」
「それで回避できますかね」河村は、やはり気になるようである。
「朝一番でやったら明日からの分は間に合うでしょう」と急(せ)かしてきた。
「それじゃ何もなりませんよ。会社はしっかり検討したことにならんやないですか。昼からの団交にしてください。それで皆が何と言うかです。そこで考えます」吉田は、急ぎすぎる河村をなだめた。
「それもそうですね。そうなると明日もダメですね」後藤田も納得した。
「そうですね。明日は会社の提案を、結論が出るまで皆で議論することになると思います。その結果次第ですね」
「河村さんのとこは大丈夫ですか」
「いやー、大丈夫じゃありませんよ。しかし、ここは我慢せなしょうがありません。私が一番心配するのは市場が荒れることなんですよ。販売の瞬間的落ち込みはしょうがありませんけど、ディーラーとの信頼が壊れるのを一番恐れています」
「常務、それはしょうがないですよ。我々がまた頑張りますよ」
「頼みますよ」河村も穏やかな顔に戻った。
吉田がトップ会談をしている間、残った三役は闘争委員会の間つなぎに忙しかった。トップ会談のことは伏せておかなくてはならない。このトップ会談は闘争委員会の意思ではなく、三役だけで決定したことだからである。
平田ら残りの三役が戻ると、
「河村常務の話はどうだった?」と長瀬が聞いてきたので、皆も三役の周りに寄ってきた。
「ウン。市場のことを心配しよってんよね。販売が落ちるのはしょうがないが、これ以上市場を荒らしたくないと言っておられたよ」と作田が説明した。
「そら、しょうがないでしょう。会社がいい数字を出さんからですよ」と誰かが言った。
「ウンそうなんだけど、常務としては何とか避けられるものなら避けたいから、なんとかならないかと言うようなことでした」
「それで、会社の回答は変わらんの?」崎山が聞いた。
「そりゃ、常務ではどうにもならんよ、担当じゃないんだから。役員会が開かれるか、労務担当重役と社長で専権事項で決定せんと動かんやろね」
「それじゃ、今日はもうどうにもならんね。三六は入ってもしょうがないですね」坂本は、速報のことを頭にイメージしながら尋ねた。
「そうなるね。現場も、もう止まらんやろ」書記長がそう答えると、皆も覚悟したようである。
委員長の吉田は、昼休みに河村から三役が呼ばれて以来、一度も事務所に顔を出していない。どこからともなく、「委員長はどうしたの」という声が上がった。
「ウン。何か病院に行くとか言って出ていったね。風邪でも引いたかね」と作田が言い訳した。
「心身ともにしんどいやろうからね」と木村義雄がフォローしてくれたので、それ以上広がらなかった。
木村義雄は、岡山営業部所属で33才の営業マンである。豊岡が優男の二枚目なら、こちらはちょっと苦みばしった渋い感じである。あまり背は高くないが中国食品の中でも1、2を争う二枚目である。執行部の中では中堅的存在感を出している。
夕方近くになって吉田はフラッと帰ってきた。
「大丈夫ですか」顔を見た闘争委員会のメンバーは口々に尋ねた。
「大丈夫です」と、吉田は何食わぬ顔で自分の机に座った。
「それじゃ、委員長も帰ってきたので闘争委員会をやりますか」と、吉田委員長を促すように、作田はわざと大きな声で呼びかけた。
組合事務所の会議用テーブルは、長机を四角に並べただけのものだが、銘々座る位置が自然と決まってくるから不思議だ。年齢や会社での職位、組合での経験や肩書きなどでおのずと座る序列を判断しているのだ。
作田の呼びかけでそれぞれ定位置へ座った。肩を寄せ合うように座っている。ノートや資料も横に並べると隣の邪魔になるから、皆縦に並べている。背伸びなども横には手を広げられないほど狭っくるしい。
「さて、それでは始めましょう。
昨日、会社から固定部分を0.3ほど戻してきましたが、組合は話にならんと蹴ったままです。あと2時間ほどで三六拒否に入ります。支部の様子はどうですか」書記長が、現場出身の闘争委員に尋ねた。
「うちのほうでは、三六拒否くらいでは手ぬるいのと違うか、もっと強力にやるべきだと言ってます」と、木村が一番に答えた。
「うちのほうは特段何もありません。頑張ってくれって言ってます」
「うちは、満額取るまでやってくれと言ってます」それぞれ、支部からの声を代弁した。
書記長はいちいちうなずきながら、メモを取っていた。
「支部のほうでは何か問題はないですか」
「問題は別にないようです」
「久しぶりの争議やから、以前の注意事項をもう一度支部員に徹底するよう言っておきました」
「うん、それはよう言っておいてください」吉田は、強くお願いした。
トップの責任というものを、こういうときに痛感する。
「それでこれからどうするんですか」と、長瀬が急かせた。