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雌伏のとき

更新 2016.04.19 (作成 2006.10.05)

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第2章 雌伏のとき 36.雌伏のとき

「雌伏のときですか」平田は聞き返した。
「そうだ。お前な、大きくジャンプしようと思ったら、一旦低くしゃがむだろう。今がそのときだ。大きく飛躍するために深く沈むことだ。素晴らしいやないか。全てお前のために環境が整っていきよるよ。今度またゆっくり話そう」そう言って電話は切れた。
確かに理屈はそうだ。しかし、左遷というショックに打ちひしがれている平田にはそんな先のことなど考えられなかった。
吉田もチャンスだと言い、河原も素晴らしいことだと言う。
“そんなものなのだろうか。それとも俺が目先のことに拘りすぎているのだろうか。いやそんなことはない。この人事は方針に楯突いた俺への単なる報復人事であって、この転勤には正義がない。転勤とは何かしらの意味のある理由が必要だ。組織を強化するためとか、本人の勉強のためとかキャリアを積ませるためとか、前向きの人事であってほしい。人事には何か会社の心がこもっているべきだ。少なくとも俺に落ち度はない”そう考えると、またぞろ、えも言われぬ悔しさが平田の胸中を支配した。
帰りの車の中でも、このことばかりが平田の胸中を駆け巡った。妻にも心配は掛けたくないし、どう言おうかと考えた。恐らく何も言わないだろうが心配することは明らかだ。せめてもの救いは、吉田や河原たちが俺のためだと言ってくれたことだ。そのことを話すしかなかった。

家に帰った平田は、食事を済ませ子供たちも寝静まったころ、妻を呼んで今日の一部始終を話した。
しかし、妻の反応は意外なものだった。
「私は、お父さんが組合をすると言ったときからそれくらいのことは覚悟していたよ。大丈夫よ、いざとなったら私も働くから。何とでもなるわよ」
「お前は怒らないのか。俺は悔しくてな、組合にも文句言ったんだよ。だけど、みんなこれでいいと相手にされなかったよ」
「当たり前じゃない。会社を立て直そうとやり始めたんでしょ。吉田さんたちの考えに賛同して受けたんでしょう。初めからそれくらいの覚悟がなくてどうするのよ。やると決めた以上、これくらいのことでクヨクヨせんのよ」
そう言われて、組合を受けたとき豊岡の家で深夜遅くまで話し合い、吉田らの情熱に感動し、その熱意に動かされたことを思い出した。
“自分のことばかりを考えるのではなく、将来、顧みて恥じない生き方をしよう”と誓ったはずだった。
妻を気遣い、どう言おうかと心配していた平田は逆に慰められた。それどころか、またやる気を思い起こさせてくれた。
しかし、夫婦である。悔しくないわけはない。それを微塵も見せず、気丈に振舞う妻に平田は感謝した。
“窮地に陥ったとき、女は男より強くなる”と平田は思った。今までも、何度か助けられたことがあった。
平田は、“この女を妻にして良かった”とつくづく思った。


・「第2章 雌伏のとき」を振り返って
平田は入社したてのころ、当時の製造部長でもあり常務の近野正寿に巡り合った。近野からはビジネスマンとしての基本的考え方、精神の持ちようなどをしっかりと教え込まれた。厳しくもその教えには愛情があり、平田は近野を心底敬愛した。
「平田君よ、経済とは経世済民だ。同じ仕事をするなら大志を持ってやれ。やりがいは何倍にもなって、仕事が楽しくできる」入社したての希望に満ちた無垢な心には、神の教えのごとく深く心に沁みこんだ。
平田は、この教えをしっかりと心に刻んで仕事と向き合った。それが、平田のビジネスマンとしての基本的姿勢になっていった。
平田は、近野を尊敬していただけに浮田に代わったときの落胆は大きかった。浮田の経営者としての資質に疑念を抱いたのだ。人間一度不信を持つと全てが素直に信じられなくなる。どんな施策も裏で何かあるのではないかと疑ってしまう。勢い、平田の顔色や態度にもそのことが滲み出るのであろう。浮田にとってもまた、平田が疎ましい存在に映った。
お互い腹に含むところを抱えたまま山陰工場建設の是非論となり、ついには対立し、2人の間に大きな溝が生まれてしまった。
山陰工場は、販売、生産のバランスからして、もともと必要性のない工場であった。小さな拠点程度の建設なら平田もこうまで反対しなかったかもしれないが、山陰工場は規模が大きすぎた。平田は、会社が危うくなると判断し必死で反対した。しかし、平田は担当から外され会社は投資に踏み切った。結局、平田の計算どおり1年半が過ぎた今、会社は赤字に転落することが決定的となった。
会社の行く末を心配するのは、平田だけではなかった。吉田や豊岡たちが新しい組合執行部を立ち上げ、組合活動を通じて会社を正常化しようと言う。平田はかなり固辞したがついに断りきれなかった。吉田や豊岡にとって、ロジカルな思考回路を持つ平田はなくてはならない駒だったのだ。
反面、副執行委員長の肩書きを持った平田は、浮田にとってまさに獅子身中の虫となった。製造部に平田を抱えておくことに危険を感じた浮田は、すかさず広島工場への転勤の処置を取った。
お互い不信を抱いたままの1年半は、平田の忍耐と浮田の平田無視という危ういバランスの上で経過していったが、ついに最後の切り札が切られたのだ。浮田との確執が明確になったとき、一度は会社を辞めようかと迷ったが、野木に説得され思い留まったこともあった。
平田はこの転勤がどうにも納得がいかない。どう考えても浮田の腹いせにしか過ぎないではないか。正義はどこにある、と組合に駆け込んだが、吉田らはこれでいいと言う。平田は持っていき場のない憤りを一人抱えて悩んだ。この冬の時代はいつまで続くのか。平田には、出口の見えない暗いトンネルに入ったようで、不安で仕方なかったがどうしようもなかった。
“近野常務、私はあなたに教えられたように正義を貫きましたが、その見返りがこれですか。サラリーマンはサラリーマンらしく、階級社会の中では長いものに巻かれて生きるしかないのでしょうか”あれほど敬愛した近野にすら、恨み言の一つも言いたかった。
“人事は何をしているのか。こんなことがまかり通っていいのか。人事権は事業部にあるのか。会社にあるというのは人事部のことではないのか。人事を変えなきゃだめだ”悔しさと情けなさを噛みしめながら、人事の不甲斐なさを嘆いた。平田の人事に対する思いの一つがここに深く心に刻まれた。
この思いが将来どう花開くのか、会社の正常化を目指す組合の戦略とは。そのとき歴史は動くのか。悲憤を胸に、若き活動家たちが動き出した。

『憤せずんば啓せず、非せずんば発せず』
という言葉がある。啓発の心である。
人は、憤りを覚え、悲しい思いをしてこそはじめて真剣に自己を啓発し、真の悟りを得るという意味である。
つまり、人は悔しい思いをしなければ本気で精進しないということであろう。確か論語の一説と記憶している。

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