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目覚めぬ獅子たち

更新 2016.04.08 (作成 2005.11.04)

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第2章 雌伏のとき 3.目覚めぬ獅子たち

山陰工場が稼動し始めて、最初の1カ月は必要在庫の積み上げやご祝儀取引も加わって順調な立ち上がりを見せたが、夏場に差し掛かるころから急速に稼動が落ちてきた。もともと市場規模が小さいところへもって大型工場を造っており、そこに販売不振が重なったから稼働率は半分以下の日が続いた。
販売不振は営業の第一線の管理職が小田社長のやり方に反感を抱きやる気をなくしたことに端を発していたが、浮田は稼動初年度からこんな状態では自分の責任問題になりかねないと危惧し、やたら営業批判をし始めた。
「営業が売らないから工場が生産できないじゃないか」
営業担当役員に面と向かって直接言うのではない。あっちこっちのセクションに行っては仕事の邪魔をしながら、大きな声で吹聴するのである。
これには営業担当重役も反発した。
「もともと販売数を勝手に見込んで大きな工場を造るのがいけねーんだよ」こちらも負けじと聞こえよがしな言い方である。
「工場建設は役員会の了解事項だからな。みんなで決めたことさ」
「みんなで決めたって、提案したのは製造だろう。そのとき、俺はいなかったからな。俺がいればこんな工場建設には反対しただろう」
こんな調子で役員同士の責任のなすりあいが繰り広げられた。迷惑なのはその場に居合わせる社員である。逃げるに逃げられず仕事ははかどらない。みっともない限りであるが役員同士の足の引っ張り合いはよくある話である。おぞましい光景を目の当たりにする社員に士気が上がるわけがなかった。

このときの営業担当重役は河村敏夫常務である。
小田専務が社長になった後、つなぎとしてマル水食品から営業担当部長が送られてきていたがあまりにも大人しく営業には不向きで、営業現場はますます混迷の度を強め業績は悪化の一途をたどっていた。そのためてこ入れとしてこの年の3月、新たに河村が常務として送り込まれてきたのである。
河村は、マル水食品においてずっと営業畑を歩いてきており日本各地を経験しヨーロッパにしばらくいた後、ブラジル支社長を経て中国食品に赴任してきた。そのため世界の経済状況や日本経済についても造詣が深かった。
仕事に対しては熱意を持っており経営センスも良く社員の扱いもうまかった。何よりも勉強しており見識がしっかりしていた。
ブラジルにいたため、スペイン語が堪能である。飲みの席などでは仲居を相手にスペイン語で愛嬌を振りまき場を盛り上げた。内容はどうやら口説きの文句らしいが誰もわからない。身振り手振りがおかしくて皆を楽しませてくれた。そんなバカになれるところも魅力となって社内の評判は日に日に高くなっていった。
体格はがっしりとしており、堀の深い顔は浅黒く日焼けし色艶もよく見るからにエネルギッシュな感じが伝わってきた。頭は白髪というより見事なシルバーで、「ロマンスグレーですね」などと冷やかされるとニコニコしながらまんざらでもない顔をする。
河村は、中期的戦略がまるきりできていないことや営業幹部の真剣味のなさなど中国食品の惨状にあきれたが、持ち前のバイタリティーと行動力で販売の建て直しに精力を注いだ。
株主総会で正式に信任された翌月には“営業戦略見直しプロジェクト”を立ち上げ、初回の席上で
「今年一年をかけて営業戦略の全面的見直しをやり、営業にかつての勢いを取り戻す」と宣言した。
“営業戦略見直しプロジェクト”は自らが委員長になり、全責任を取った。
メンバーはさまざまで、本社課長や監督職、現場の所長や営業担当者など、多少難しいかなと思われるような面々も全社から思い切って参加させた。
「現場から出すのは販売が不振なときなのでいかがなものかと思います」といったような意見もあったが、
「どうせ売れないだろ。基本から見直すのに現場の意見を反映させることのほうがよほど大事だよ。そんな目先のことに拘るからいいものができないんだよ」と一喝した。
プロジェクトの中に、プッシュ、プルといった販売戦略の見直し、新商品の開発、CMのあり方、販売拠点、販売ルートの見直しなど、個別政策の小部会を作り、権限を委譲し思いっ切り活動させた。
ただ、現場の営業管理職は赴任してきたばかりの河村に対しまだ全幅の信頼を置くとまではいかず、お手並み拝見といったスタンスを取っており、打ち出される販売施策がなかなか浸透しなかった。
一度他社に取られ勢いをなくした市場は、そう簡単に立ち直らない。
営業担当重役が頼りにならず、社長や常務がサプライヤーの接待ゴルフやマージャンに現を抜かしている間、営業第一線はガタガタに箍(たが)が緩んでいた。
政策がなかなか浸透しない現状に業を煮やした河村は、冷め切った空気を一掃するためカンフル剤を注入した。
河村は年末の役職者会議の場で、
「次年度より営業成績が下位3営業所の所長・副所長は降格する」と発表した。会場はどよめいたが降格という言葉が効いたのか案外と目が輝き、うっすらと笑みがこぼれた。
中には、実力もないくせに人的シガラミや役員に阿(おもね)て所長になった者もおり、営業管理職同士でも「なんであいつが」という思いを抱く者もいた。そう言う連中は「そうよ、やるべきよ」と思っていた。
河村の考えの中には、「どうせそんな管理職もいるだろう。この際整理しよう」という読みもあった。
大方の反応は、
「そうか、そこまで本気ですか。やれるものならやってみな」というような余裕すら感じさせる冷笑でもあった。
力はまだ残っているようである。河村もそれを感じとりやりようによっては何とかなるかもしれないと希望を持った。

山陰工場の償却負担は稼動が5月からだから初年度の今年は半額で済んだが、こうした社内の混乱もあって業績は不振を極めた。
決算の予測では赤字ぎりぎりである。経理課長の野木は決算対策に追われていた。
「平田よ、助けてくれ」
「どうしたんですか」
「早急に在庫益を計算してくれか」
「何するんですか」
「決算の見通しをつけるのにどれくらいの在庫を持つとどれくらいの益になるか見当を付けたいのよ」
「在庫益を出すと来年に響きますよ」
「わかっちょるよ。じゃが今はどうしても欲しいんよ」
「わかりました。いつまでですか」
「早ければ早いほどいい」
平田は、久しぶりに手応えのある仕事にめぐり合い、生き返ったようで嬉しかった。

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