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更新 2016.04.08 (作成 2005.10.25)

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第2章 雌伏のとき 2.噂

平田にとって一時的な評価の結果は大して問題ではないが、生きた仕事ができないのはたまらなく辛かった。多くの人間は与えられたルーチン業務を何の疑問も抱かずに、仕事の意味や目的も考えずに黙々とこなし満足しているように思えた。それが楽だと考えているようだ。
しかし、平田はそうではなかった。何か少しでもいい仕事をしたいと考えた。多少の苦労や努力は自らを鍛え向上することができるからむしろ喜びだった。
しかし最近はそんな仕事らしい仕事がこない。昔からやっている生産ラインの管理資料や原価計算、損益計算などを作っていたが、これらの仕事もいまや代わり映えのしないルーチンになってしまっている。
“これから一生こんな状態が続くのならいっそ辞めようか”最近はそんな考えも浮かんでくるようになった。弱気になっているのではないが、我慢ができなくなってきたのである。
自分の撒いた種であるし誰にでも相談できることではない。心ない奴は面白半分に「おう、辞めろ辞めろ」と、そそのかすようなことすら言いかねないことが目に見えている。
事情がわかっていて信頼できるのは野木しかいない。野木には何かと頼りにしていたし思い切って相談してみようかなと考えた。
しかし平田自身まだ本気で辞めようと思っているわけではない。半々くらいの気持ちで「辞めようかな」と思っている程度である。野木に相談し、野木がもし「辞めたほうがいいかもしれんな」とでも言ったらその時本気で考えよう。

山陰工場の立ち上げも無事済み、オープニングの慌ただしさも落ち着きを取り戻した6月の梅雨に入ったばかりのころである。月次の決算が忙しくなる前を見計らって野木のデスクを訪ねた。
「野木さん、チョット相談なんですが時間ないですか」
「ああいいよ。あっちに行こう」雰囲気を察したのか、会議室のほうを指して先に歩いた。平田は、こんな気遣いをさりげなくする野木に心から敬服した。
小会議室に入ると2人は応接のテーブルを挟んで向かい合って座った。
「神妙な顔をしとるのー。お前のそんな顔は見たくないよ」
「すみません。忙しいのに……」次の言葉を言おうとすると、
「大体わかっちょるよ。白黒(*浮田常務)のことやろ」
「はい。こんな状態なら会社を辞めようかと思いよるんですよ」
「何を言いよるんか。ばかなことを言っちゃいけん……。そこまで思いつめとるんか。いけんのー」
「このままいってもまともな仕事もできんし、将来が全くないじゃないですか。今ならまだやり直しがきくかなと思うんですよ」
「いやー、いけんいけん。今辞めたら完全に負け犬になるぞ。何のために白黒と喧嘩したんかわからんようになるやないか。お前みたいな人間こそ会社に必要なんよ」
「そう言ってくれるのは野木さんだけですよ。僕みたいなのが一人二人いなくたって会社はどうってことないですよ」
「そう、お前がいなくったって会社はどうってことないやろな。しかし、それでもお前みたいな社員は財産なんよ。クズみたいな社員ばっかりになったら会社はどうなるんや」
「野木さんがおるやないですか」と投げ返した。
「俺なんかダメだし、俺一人がおってもどうもならんよ。会社はな、クズみたいな人間もおればお前のような優秀な人間もおるんや。いろんな人間がそれぞれの役割を担って成り立っていくんよ」
「それじゃ、私の役割は白黒と喧嘩することですか」
「バカ、茶化すんじゃない。そうじゃなくて、何が正しくて何が間違いか、つまり是々非々をきちんと判断できて、堂々と主張できる人間が必要だということよ」
「会社はそれでいいかもしれませんが、私はどうなるんですか。このまま飼い殺しのままでいくんですか」
「まあ待て。みんなわかっちょるんよ。白黒のおかしいのも皆知っとるし、いつまでもこの体制が続くわけがないから。どうせ白黒のほうが先に死ぬんや。辛抱しろ」
「しかし、変わらんじゃないですか」
「大丈夫。お前みたいなのをいつまでも放っとかんから。いつかのプロジェクトでもお前が選ばれたやないか。どんな処遇を受けていても、どこにおっても、情熱を持っとる奴は光っとるんや。今は我慢せないかんかもしれんが、じっと我慢しとけば必ず報われるから。いいか、絶対に早まったらいかんぞ」
相談する以上、真剣でないと申し訳ない。平田はシブイ顔をし、仕方なく折れた形で会議室を出た。
しかし現実に戻るとやはり面白くない。製造部の冷たい雰囲気、マンネリ化した仕事、活かしきれない力。またぞろ“やっぱり辞めかな”という思いがもたげてくる。自己責任やから仕方ないかという‘割り切り’と野木の言う「そう長くないから‘辛抱や’」との狭間に揺れ惑いながら、どちらとも決断がつかないまま時間だけが過ぎていった。

山陰工場が完成した年の暮れである。可部の一等地に浮田邸が新築された。敷地100坪、延べ床面積56坪の豪華な屋敷である。
国道54号線から少し奥まった住宅地の真ん中で、周りは昔からの旧家が立ち並ぶ閑静な住宅地である。スーパーや病院も近くて交通の便もよく、会社へも歩いて5分の距離である。
新築の浮田邸は、門から玄関までの間にちょっとした小坪が設えてあり、そこの庭木がブラインドして、戸を開けていても外から直接玄関の中が見えないようになっている。その玄関の屋根は銅で吹かれており、今は赤銅色に輝いているが2、3年もすると青い緑青が吹き、貫禄のある渋みを出すだろう。
製造部の全員が新築パーティーに招かれた。20数名全員が揃っても、8帖が2間続きの座敷はゆったりと座れる広さである。玄関を入ってすぐの応接間は、応接セットとマージャンテーブルが置かれていた。床はコルク敷きである。歩いたり物を落としても音が静かなことと、マージャンをするとき煙草の灰が落ちてもいいようにとの配慮である。
いたるところに、浮田らしい独特の工夫を凝らした豪華な邸宅である。社内では、これをして‘浮田御殿’と呼ばれた。
平田は面白くない心境であったが慶事である。ケチをつけるのも大人気ないと思い皆と一緒に出席した。
山陰工場が稼動し始めた最初の年度である。業績は厳しかったが社内の人間のほとんどがまだそれほど深刻に意識しておらず、こうした祝い事を寿ぐ(ことほぐ)くらいのゆとりはあった。
「どこからあんな金が出てくるんや」と社内で噂が立ち始めた。
「こんなに会社が苦しいときに、いいのー」
「山陰工場が立派過ぎるからな」
「癒着が激し過ぎるよ」
噂とは、いろいろ口さがない。しかし、噂は噂である。誰も咎められなかった。

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