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迷い

更新 2016.04.08 (作成 2005.10.14)

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第2章 雌伏のとき 1.迷い

昭和58年5月、ついに山陰工場が稼動し始めた。平田が浮田と激論を交わしてから1年数カ月が経っていた。
あれほど平田を製造部から出すと言っていた浮田も、これといったきっかけがなかったことや、山陰工場建設の忙しさにかまけて手が回らなかった。
さすがに、「企画書の捏造という業務指示違反で転勤させます」とは、浮田もなかなか公に正面切って言えない。けして不問にするような浮田ではなかったがそのまま流れていた。
製造部の連中は、浮田が在室のときはほとんど話しかけてくることはないが、不在のときは、
「最近釣りのほうはどう?」なんて気楽に話しかけてくる。関係ないのにと思うが、全く肝っ玉の小さい連中である。それほど浮田が怖いのか。あるいは、上司にはそこまで気を使わなくてはならないものなのか。実力一本で勝負と思っている平田には理解できなかった。
確かに、‘敵の友は敵’である。自分でも目の前で山本と仲良くされたら面白くない。
「浮田への義理立てをとるのか、俺との人間関係をとるのか、ハッキリしろ」と言いたかったが、
「せめて、浮田のいないときくらい仲良くしましょう」と、彼らなりに気を使っているのであろうと思い平田もそれほど深くは気にしないことにした。
そんな製造部の状態は、平田にとって居心地のいいわけはなかった。他部署の連中と遊んだり、‘釣り’という友達で気を紛らわせながら過ごしていたが、もやもやしたやり場のない気持ちを持て余していた。

浮田が平田を出せないもう一つの理由に、平田を出したとき代わりがいないという事情があった。技術屋集団の製造部には、製造原価や工場別損益計算といった財務関係のノウハウを理解する者がいなかったのである。これらの仕組みは、平田が経理の野木に鍛えられながら一から作り上げてきたものであるだけに、早々たやすく理解できるものではなかった。
平田を出したからといって、製造原価や損益計算ができなくなっては浮田も面子がない。浮田は、平田の処遇に決断をしかねていた。
苦労はしても独自のノウハウを持つということは強かった。
しかし、浮田は平田を出すための準備はしておこうと考え手を打った。
「楢崎君、製造原価がわかる誰か代わりの者がいないかね」
「はい。なかなかいませんが誰かいいのを選んで勉強させましょうか」
「そうやな、いいのがおるかね」
「今すぐというわけにはいきませんが勉強させます」
「うん、早いほうがいいぞ」
「その代わりと言っちゃなんですが、必ず引き上げていただくことをお願いしたいのですが。勉強させたけどお呼びがかからないんでは私の立場もなくなりますので」この辺の駆け引きもぬかりがない。
「君の立場なんか知らないよ。呼び寄せられるくらいの力をつけるかどうかは本人次第だよ。ものにならないようなら呼ばれんさ」突き放すような言い方だが顔は笑っている。
「ごもっともです。気合を入れておきます」
楢崎嘉己は、山本が工場長で出たあとの後任の課長で、浮田が工場長時代からの子飼いである。35才と若いが頭は切れた。しかし、そのやり方はいつも人を出し抜いたり奇をてらうため、見方によっては卑怯とも卑劣ともとれた。やり方が汚いことで名が通っており友達はいなかった。こうした役回りを好んでするタイプである。
当然平田も好きになれず、距離を置いた。

そんな状態の中、春、夏、冬と年3回行われる人事評価では、平田は常にB評価である。以前は工場の管理システムや原価計算、損益計算の仕組み構築などをそれなりに評価されていたのだが、山陰工場建設の企画書を巡って浮田と確執ができて以来、ずっとB評価のままである。
もっとも、浮田とやりあって以来これといった仕事らしい仕事もなく、ルーチン業務を黙々とこなすだけの日々であるからそんなものであろう。いかにやる気や能力があろうともこれといった成果がないのだから仕方がない。
当時、中国食品の人事評価の仕組みは極めて原始的で、S・A・B・C・Dの5段階評価を総合判断で付けるだけである。何が良くて何が悪く、どんな仕事をどのようにした、などと具体的に観察する仕組みなどはない。あるのは上司の総合判断だけだったから上司の心証を悪くしたら良い評価は得られない。いい仕事をし、上司の印象に残るアピールをしたものが勝ちなのである。だから皆、卑屈にゴマをするようになっている。

一口に人事制度とよく言われるが、人事諸制度の中で最も大事なのが評価制度である。他のどんな制度が立派にできていても、評価制度が稚拙であれば人事制度は機能しない。評価制度は、他の人事諸制度に優先する制度である。
成果主義や実力主義などとさまざまな人事制度が紹介されているが、成果であれ、実力であれ、それらを測る仕組み(評価する仕組み)をきちんと作らないと人事制度は機能しない。業績主義でも育成主義でも同じである。(もちろん、その前提としてなぜ成果主義であり、なぜ実力主義なのかが議論され、成果とは何か、実力とは何かと言ったようなことが論理的に整理されなければならないことは、当たり前のことであるが)
どんな主義主張の人事制度でも評価制度が根幹になって成り立つことを念頭において研究し、見直しされたら良いと思う。
人間が頑張ろうと思ったり、悪の道に逸れずまっとうな道を歩もうと思うのは、人に誉められたり、認められたいと思うからである。
誉められる喜び、認められる喜びは何物にも替えがたい成長の糧である。人間はこの喜びがあるから努力し、成長する。人材育成の基本でもある。
賞としてついてくる賃金はそんなに大きくなくても、評価さえきちんと公正に行われていれば社員は頑張れる。だからといって少なくていいと言うのではない。やはり成果や貢献度に見合った賃金がついてこなくては相乗効果は期待できない。
人事制度を整備していく上での要諦は、評価制度を要(かなめ)として周辺制度を総合的に整備し、完成させていくことであろう。

部内でまともな会話もない状態の平田は、当然良い評価が得られるわけがなかった。
上司との人間関係のひずみは、こうした形で跳ね返ってくるのか。感情で評価をつけるのではなく、感情が仕事に跳ね返って評価に結びつくのだな、と平田は人間関係と評価の関係をそう理解した。
“俺が仕事をしない分、誰かが不便を感じたり、代わりに苦労をしているのだろう。仕方ないか。男の意地の代償や” 内心悔しい思いをしながら、「俺に仕事をさせろ」と言いたかったがどうしようもない。
あの時は最後まで頑張り、結局は担当を外されて一旦は“良かったー”と思ったのであるが、こんなことなら意地を張らずに言われたとおりにしとくべきだったかなと、後悔の念も沸いてくる。

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