更新 2016.04.18 (作成 2006.06.24)
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第2章 雌伏のとき 26.質疑内容
「事業部というのは独立した縦割りであると思います。それぞれの事業の目的を達成するために、計画から結果まで自己完結しなければ責任が取れないからです。それに対して管理部門は横串で、組織横断的機能を持つべきものだと思います。今、わが社の組織は人事権や財務面など、本来管理部門が持つべき機能まで事業部門が持っています。経理は結果の集計屋になっているし、人事は辞令発行所になっています。これを正さなくてはまともな会社にはならないと思います」
平田は簡単な図形をホワイトボードに書いて説明した。
「なるほどね。そうあるべきでしょうね。こういうところがうちの会社の弱いところやね」吉田は黙ってしきりにメモしていたが、平田の説明が一区切りついたところで相づちを打って、
「それにしても製造部はもうダメじゃね。トップが私腹を肥やすことばかりを考えてちゃダメよ。代わってもらわにゃいけんね」と、しみじみと言った。
救いはそこしかなく、皆の気持ちは吉田の一言に集約された。といって、これからどう行動するのか、それを実現する具体的策はあるのか、また、本当にそんなことができるのか、まだ誰も何も思い浮かばなかったが吉田が言ったことで何となくいずれそうなるのではないか、またなってほしいと願うように皆黙ってしまった。
“しかし、本当にそんな運動を労働組合がやるのか。会社を立て直すとはそういう意味なのか。泥仕合にならないだろうか”と、平田は一瞬迷った。
執行委員会はのっけからかなり興奮状態に陥ったが、みんなが黙ったところを見計らって作田は議事を進めた。
「ほかに皆さんから何かありますか」
「営業施策のことですがもう無茶苦茶なんですよ。販売が伸びないから次から次に値引き販売ばっかりで、押し込みもいいとこです」
「今年はそればっかりやね。しっかりと地に足をつけたプロモーションとかないねぇ」営業出身の執行委員から一様にため息にも似た悲痛な叫びが出た。
「ディーラーさんの倉庫には、もう入りきれんくらい押し込んでいますよ」
「結局、古くなって引き取り処分しています」
「河村常務のプロジェクトもうまく機能していないということやね」
「みんなが本気じゃないから、常務の意思が浸透しないんですよ」
「営業部のスタッフが目先のことばかり考えとるからダメですよ。製品ラインナップの見直しとか、新商品の開発とか根本的な営業戦略から見直さなくちゃダメですよ」
執行委員の口から出るのは会社批判ばかりだったが、吉田も皆の言いたいことは十分認識しており、それが故に自分が立ち上がったことをもう一度かみしめながら、
「それでは、今度の懇談会は組合からとしては、業績悪化の原因である山陰工場の件と営業施策についての2点に絞って質疑したいと思いますが、どうでしょうか」と確認した。
「いいんじゃないかね。今回は細かいことをあげつらってもしょうがないと思うよ」豊岡がいち早く賛同したのに続いて、みんなも、
「いいと思います」と相づちを打った。
懇談会ではこの2点に絞って質疑するということを確認して、執行委員会は興奮のうちに終わった。
労使懇談会を週末の金曜日に控えた週の初めから、楢崎は平田の転勤の手続きをチェックした。まず、労働協約の人事に関する条項を見ると、
人事の原則として「会社は人事については公正を期し、慎重にその権利を行使する」とある。
“これは問題ないな”いちいち確認しながら次の項に進んだ。
異動の項で、「会社は業務の都合によって出張、駐在、派遣、転勤、勤務替、配置替又は出向を命ずることがある」とある。
“これも当たり前のことだ。人事権は会社にあるのだからな”
その2項に、「会社は、組合員の転勤、配置替を命ずるときは、本人の能力、意思、適性及び生活条件を公平に考慮して行う」とあった。楢崎は少し考えた。
“能力や適性で転勤させようというのではない。あくまでも業務の都合であるが、本人の意思で決められるのか。ならば、会社の業務の都合はどうなるか”意思のところに、赤ペンでアンダーラインを引いてチェックしておいた。
本文のところではこの程度であったが、特別条項で、執行委員の転勤に関しての条項が記載されていた。それによると、
「組合役員の異動は事前に組合の了解をとること」となっている。
これは特に執行委員のことで、執行委員はそれぞれ担当ブロックが決まっており、概ね執行委員の出身事業所が所属するブロックを担当していたから、もし転勤になるとブロックの担当替えをしなくてはならなくなる場合がある。執行委員はブロック内組合員の互選ではなく、全組合員の選挙によって選ばれたのであるから、転勤になっても役職を失することにはならない。そのため、場合によっては担当ブロックを変更する可能性が起きるのである。下手をすると組合組織への不当介入ということもあり得る。平田は、副委員長であるから担当ブロックはなかったが、それでも労働協約の制約は受ける。相当の合理的理由がなければ、遠方への転勤は人事権の乱用とも受け取られかねない。
楢崎は、“事前に組合に了解さえとれば、労働協約上は大丈夫だな”と確認して、次に就業規定を確認した。
就業規定の異動に関する条項は労働協約と同じ内容であった。これは、労働協約と就業規定では労働協約のほうが優先するから、労働協約の内容を下回っては無効になる。表現の違いで、内容に曖昧な誤差が生じては面倒なことになる危険性を排除するためである。が、2項に
「前項の命令を受けた社員は、正当な理由なくこれを拒むことはできない」とある。
“とすると、労働協約の「本人の意思」とどう関係するのであろうか”楢崎は考えた。“ここで言う「本人の意思」とは相当な理由がある場合のことであろう。いずれにしても、理由さえしっかりしておれば特段問題はないな”と合点した。
“今回の理由は、『製造部の仕事が忙しくて組合活動に齟齬をきたしてはいけない。また、逆に組合活動で仕事に支障があっても困る』からであり、これなら大丈夫だろう。よし進めよう”と決心した。もっとも、製造部が忙しいというのはチョット面映いところもあったが、
“忙しいか暇かは俺たちが決めることだろう”と、そこは持ち前の厚顔で意に介さなかった。