更新 2016.04.18 (作成 2006.06.14)
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第2章 雌伏のとき 25.逆送
労使懇談会に向けた執行委員会は、皆かなり興奮した。
「今度の労使懇談会の内容について話し合いたいと思いますが、まず委員長の話を聞いて、それから皆さんの話を順番に出していただきたいと思います。それでは委員長お願いします」作田が進行した。
「昨年あたりから業績が極端に低下しています。これは山陰工場建設の償却負担が大きいのではないかと思います。なぜこんな大きな工場を建てたのか。需給見通しをどう立てたのか。そして、今の稼動状況などを聞いて、これからどう立て直していくのか、その辺を正していきたいと思います」
「この件について皆さんのほうに何か意見はありますか」作田が尋ねた。
「いやー、それに尽きると思いますよ。大体何の見通しも立てずに無茶な投資をするからこんなことになるんですよ。責任は誰がどう取るんですか」最長老の長瀬の声はかなり大きくなっていた。
「私もこの執行部になってからズーっと考えてきましたが、全くそのとおりだと思います。経営者として失格じゃないですか。責任追及すべきだと思います」別の執行委員が言った。
「責任追及というのはどうですかね。今度は懇談会ですから」吉田がなだめるように言った。吉田は、けして峻烈な過激派ではない。一見どこにでもいるような温厚でまじめな性格の持ち主である。しかし、人生をゲームのように考えており、豪放磊落(ごうほうらいらく)で大胆な発想をする。この件もどことなく遠謀深慮を内に秘めているかのように、うっすらと笑みを浮かべていた。
「私たち山陰の執行委員は、いつも工場の人たちを見ていますが、毎日することがなくて、いつ首になるかと不安がいっぱいで寂しそうにしています。かわいそうです。顔を合わすたびに私たちはこれからどうなるんですかと聞かれますが、返す言葉もないくらいです」山陰出身の執行委員の発言は切実であった。
山陰工場の人たちも、自分たちが会社の役に立っておらず、逆に重荷になっていることが心苦しいのだ。“何もしなくてもいいのだから楽だ”などとは考えない。人間本来は真面目なものなのであろう。
「そんなにすることがないんですか」作田が尋ねた。
「あるわけないじゃないですか。能力の10分の1くらいしか作っていないのと違いますか。毎日、クリーニングとか整備とかばっかりですよ。週のうち2日か3日くらいしか作っていませんよ。それも午前中作ったら終わりです」
「それはひどいですね」
「そうです。清掃とか整備も毎日じゃすることがなくなって、ほとんどの人が草むしりしてますよ。あれだけの設備と人を遊ばせているんですから、業績が悪くなるのは当たり前です」
「平田さん、どうなんですか。製造部ですから知っとるでしょう」
「まあ、そのとおりでしょう。それを繕うために、本来広島工場や岡山工場で作るべきものも山陰工場で作らせて、わざわざ運んできています。運賃がかさんで、ますます業績悪化に拍車を掛けているのが現状です」平田は、申し訳なさそうに言った。
「なんでそんなことするんですか。無駄でしょう」営業所勤務の執行委員である崎山志郎が言った。
「もちろんです。しかし、それをしなかったら山陰工場の稼働率はますます落ちます。それをカモフラージュするためです」
「製造部長は知っとるわけですか」
「むしろ、製造部長の指示でしょう」
「情けないねぇ。我々は1円でも多く売ろうと一生懸命頑張っているのに、ざるのようにこぼれていくね」
「まだありますよ」平田は思わせぶりに声を潜めて言った。
「何ですか」皆、神経をとぎ澄まして平田の次の発言に聞き入った。
「運賃です」
「運賃?」2・3人の者が口を揃えて聞き直した。
「つまり、今までは山陰の営業所には山陽側の最寄りの工場から製品を運んでいましたが、山陰に工場ができたためその分の運賃が要らなくなりました。運送会社にしてみれば大きな収入減です」平田は一息入れ、
「これは、あくまでも私の穿(うが)った見方ですが」と前置きしておいて、
「多分その辺から泣きつかれたと思います。山陰工場を造るときは、その運賃を減らすためというのが大義名分だったんですが、今はそれを確保するために逆送していると思われます。ただしこれは確証はありません。ただ、現象としての事実は起きているということで、そうとられても仕方がないでしょう」
「ウーン。許せんな。死んでしまえばいいんよ」豊岡らしい物言いで、怒ってみせた。
「本当にそんなことをやっているのですか」吉田は、にわかには信じがたかった。
「運賃が安くなってもそれは仕方ないでしょう。そのために工場を建てたんでしょう。何のためにそんなことをするんですか」
「それは、山陰工場の稼働率を少しでも上げて投資の失敗をカモフラージュするためと、恐らく運送会社への配慮でしょう。製品輸送は製造部の管轄になっていますから、運送会社とは蜜月です。製造部にしてみれば一石二鳥です」
「なるほど、リベートやな」豊岡がうなずいた。
「リベートとまではいかなくても、ゴルフの招待とか一席設けるくらいのことはあるのと違いますか」確証がないから多少歯切れの悪い言い方になったが、さらに踏み込んだ。
「大体、私が思うに会社の組織のあり方がなっていないと思います」
「どうしたらいいですか」吉田は、こうした前向きの提案には敏感に反応する。
「事業部門、つまりここでは製造部ですが、事業部門が購買権を持ってすべてを仕切ってしまうやり方がいけないのです。 何かを買いたいとか、作るとか、自らが予算を立て、執行して、支払いまで済ませてしまう。どこからも牽制機能が働きません。 支払伝票を経理に回してしまえばそれで終わりです。購買権は管理部門にあるべきです。事業部がこういうことをしたいと言ってきたら、 購買部は他に方法はないかとか、もっと安い業者はないかとか、いちいち牽制をかけて進めるのが本当ではないかと思うんです」平田は日ごろから思っていたことを一気に打ち明けた。
「もう少し、わかりやすく説明してくれませんか」吉田はさらに説明を求めた。