更新 2016.03.17 (作成 2005.04.05)
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第1章 転機 7.拡大取締役会
社長の小田は、昭和46年に親会社であるマル水食品から営業担当専務として派遣されてきたのであるが、先代の社長が急病で他界したため急きょ役が回ってきた。
この当時、初代社長は既に引退しており、2代目社長がやはりマル水食品から送り込まれていた。
初代社長はズングリとした、足腰が強そうながっしりとした体格であった。いつもニコニコと社員の誰にでも笑顔を投げかけていて、いかにも苦労人らしく人なつっこい人情家だった。こんな人であったから創業時の苦しいときを皆頑張ってこれたのであろう。
2代目社長は、まるっきり正反対のすらっとした長身で、生真面目一筋に生きてきたような人であった。有能な官吏といった感じでいつもスキのない緊張感を漂わせており、苦虫を噛みつぶしたようなしかめ面が知らない者にはちょっと近寄りづらかった。陰と陽で言えばまさに陰の性格である。
その2代目社長が病気によって急逝した。
現役社長の逝去である。盛大な社葬が広島市内の大きな寺院で執り行われたことは言うまでもない。昭和54年7月下旬の暑い日だった。
中国食品には小田靖男とほかにもう1人、後藤田敬介という2人の専務がいた。2人ともマル水食品から送り込まれてきたのであるが、年齢は小田が2才上の58才であった。
緊急のことだったため、次期社長を精査している時間がなかった。
また、親会社にもふさわしい人材ストックがなかったため、この2人のどちらかから次の社長を選ぶことになった。
緊急避難的人事であり、親会社にとっても苦渋の選択である。
通常の任期満了に伴う社長交代であれば親会社のマル水食品からそれなりにふさわしい人選がなされるのであろうが、今回は急なことだったため親会社のほうにもその準備がなかったのである。
ほかから人材を剥がして(はがして)くれば、「何のために2人も専務を送り込んでいるのだ」とクレームがつきそうである。
人材がないと言っても2人の専務を送り込んでいるのである。ムダにするわけにはいかない。活かしきらなければ財の無駄遣いである。
どちらの専務がいいかとなると成長著しい会社である。「営業に詳しい者が良いであろう」ということになった。
「前社長が内政管理型であったから、次は営業系がいいだろう。後藤田専務とは、小田専務のほうが年も上だし長幼の序ということもある。小田専務にやらせてみよう。もし、ダメなようならいつでも代えられる」
親会社としても自信があるわけではなかった。社長としての力量を見定めるだけの時間的余裕がなかったのである。
東京の自宅で密葬が行われた1週間後、広島のグランドホテルの一室で非常勤も含めた拡大取締役会が臨時に開催された。
中国食品の取締役は、常勤役員が10名と非常勤役員が4名いた。ほかに監査役が2名いる。
マル水食品からは、非常勤役員として筆頭専務である樋口祐輔と、関連企業課長の松本茂が入っていた。
樋口は当然親会社の代表としてであり、松本は30近くある関連会社を束ねる実務的中心人物として主な関連会社には役員に名を連ねていた。
議長役の社長がいなくなり筆頭専務の小田が代理議長を務めた。
しかし、会議の実質的イニシアティブは樋口が握っている。席では何も言わなくてもその肩書きと重厚な雰囲気が他を圧倒する存在感を醸し出していた。
どの役員も緊張した面持ちをしているが、今日の議題が何かを知っているからとりあえず自分は蚊帳の外と気は楽である。
そんな雰囲気の中で小田が恐る恐る切り出した。
「この度は急きょ社長がお亡くなりになり、中国食品としましては大きな痛手であります。しかし、いつまでも悲しみに浸っているわけにもまいりません。社業のほうも問題が山積しておりますし社員の士気にも影響します。また、しかるべき早い時期に社葬も執り行わなければなりません。
ここは私ども全役員が心を一つにして乗りきらなければならない苦難のときかと思いますが、いつまでも社長席が空席のままというのも問題であります。
規約上は、社長は各役員の互選で決めることになってはおりますが、マル水食品さんのほうではどのようにお考えでございましょうか」
もちろん、この段階ではマル水食品の方針は決まっている。
「こうしたい」とか、「ああしたらいい」などとおこがましいことは中国食品の誰も口を挟む余地などない。
「そんなことは君の心配することではない」とピシャリとやられるだけである。関係会社の役員の立場なんてそんなもので、親会社でせいぜい支社長経験者くらいの人材しか送られてきていないのが実情である。
それもそうであろう。30近い関係会社の役員をマル水食品の役員経験者で埋めるなんてできっこないのである。トップだけでも30人要る。
豊岡たちが人材難を嘆くのも、むべなるかなである。
この会議での小田と樋口の立場も、マル水食品の序列からすると同列に口を利くことすら恐れ多いほどの格差がある。恐縮しきって当然である。
しかし、トップ人事は別である。マル水食品としてもかなり気を使い、できるだけ本体で役員を経験した者を送るように配慮していた。やはり経営のトップには、役員として一応は経営の何たるかを経験させておかないとまずかろうという考えからである。それも、中国食品くらいの規模になるとかなりの大物役員が送られてくるようになる。マル水食品の関係会社の中でも、トップクラスの規模と収益を上げるまでに成長していたからである。それに、東証二部とはいえ上場会社である。マル水食品にしてみれば、役員の受け皿としてこれほど重宝な会社はないが、あだや疎かな(おろそかな)人事もできない。次第に三役クラスが送られてくるようになっていた。
前社長もマル水食品で常務取締役であった。