更新 2016.03.17 (作成 2005.04.15)
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第1章 転機 8.晴天のへきれき
樋口が静かに、しかし有無も言わさず言い含めるかのように確かな口調で話し出した。
「前社長には大変お気の毒なことと、謹んで哀悼の意を表します」
少し黙とうの姿勢をとり、一呼吸間をおいた。
全員が樋口の一言一句を聞き逃すまいと全神経を集中し、固唾を呑んで次の展開を待っている。
樋口は刺すような熱い視線を一身に浴びていたが、臆することもなく、会場を睥睨(へいげい)するかのように見回し、さらに続けた。
「マル水食品とその関係会社は3月決算の会社が多く、先月株主総会を終えたばかりであります。今の時期は新しい経営体制が発足し体制基盤の定着と人心の掌握に腐心しているところでありますが、各社とも順調な滑り出しを見せております。マル水食品本体も新体制になったばかりで、ようやく落ち着きが出てきたかなというところであります。
中国食品の窮状は察して余りありますが、今はマル水本体にも関連会社にも重要人事を動かす体勢にありません。中国食品だけを特別扱いし、人材を集中させるわけにも参りません。ここは内部からの昇格人事で乗り切っていただきます。小田専務に次期社長をやっていただきます」
会場が一瞬どよめいたかに見えた。しかし、それは悟られない程度の、かすかな驚きの表情を見せただけであった。
小田が紅潮した顔で、照れ隠しも含めて、
「そうすると営業が手薄になりますが」と恐る恐る聞き返した。
「社長直轄でやっていただきます。営業業績と心中するつもりでやってください。来年の総会では新しい営業役員を送りますので、それまで頑張ってください」
この日の議事録に、全員一致の小田社長選任が記録された。
当然新しい社長が送り込まれるものと思っていた小田は、雷にでも打たれたような衝撃に見舞われた。これまで、中国食品に専務として送り込まれた時点で“サラリーマンレースでの上がりか”と考え、気楽にやっていこうと思っていただけに、まさに青天のへきれきであった。
特別な功績や人望、心掛けがなくてもポストはやってくるものである。
本来ならとても回ってくるような役割ではないが、天のいたずらとしか思えないめぐり合わせではないか。
人事は、 まさに天の思し召しである。
時として人智のはるか及ばざる功罪を配される。
このめぐり合わせが中国食品と1,300名社員のその後の運命を大きく左右することになろうとは、誰もが予想だにしなかった。
こうした人事を生み出す元となったマル水食品自身の役員交代は、実に見事なシステムを持っている。社長が交代するときはその下の役員が全員交代するのである。社長も現社長より必ず7、8才若い社長が選ばれることになっている。間を飛ばされた役員は全員引退するか、または関係会社の役員として転出することになるのである。先輩役員が配下にいたのでは新人社長がやりにくかろうとの配慮からである。若い社長には思いっきり腕を振るってもらいたいとの思いが込められている。
この会社のフィロソフィーとして長い間受け継がれてきた伝統である。
なんという潔さであろうか。
まさにチームスピリッツである。米国の大統領交代と同じである。
こういうシステムを採っているから、次の社長候補は大体読める。
7、8才若い役員世代でしかもプリンス。企画部門と人事部門の経験者であること。こんな条件で絞り込むと、せいぜい1人か2人しかいない。
社長任期も3期6年、または4期8年と決まっている。せっかく手に入れた最高権力のポストである。少しでも長く留まっていたいと思うのは人情であろうが、決して破られることはない。
社長は会長に退き、主に外交を担当することになる。若い社長をバックアップしていくが内政には決して口出ししない。口出ししなければならないとするならば、社長が長く居座ろうという人情に溺れそうになるときだけであろう。
一方、会長も自ら引退しなければならない。相談役か顧問あたりに退き、完全に第一線から身を引くのである。
いつごろからこうした仕組みが採られるようになったか定かではないが、マル水食品に脈々と受け継がれている哲学である。
このように、全人材を余さず活用し、全体最適の視点で人事がなされる仕組みのため、人材ストックという点では一時的に苦しいことがある。
この度も、関係会社を含めたグループ全体の新体制を構築し、それぞれにふさわしい人材を配置したばかりである。中国食品に大事があったからとて今更再人事をするわけにはいかず、内部昇格でしのぐという苦しい選択をせざるを得なかった。
こうした一連の仕組みが、小田社長選任につながっていったのである。
世間には、老害をまき散らしながらも、いくつになっても社長や会長ポストにしがみついている経営者を見かけるが、未練たらしく思えてならない。
それは、社内には「部下を育てろ」と言っておきながら、自分では後継者すら育て切れなかったと言うことであるし、外部から招聘するほど人脈も持っていなかったと言うことの証明だ。
また、ゼネレーションギャップからいつまでも若手が若手に見えるのであろう。親から見て子供はいつまでも子供であるように、年寄りから見たら若い経営者はいつも頼りなく思えるものなのであろう。
しかし、自分が若いころはどうだったのか。バトンタッチされたときの自分も同じではなかったのか。むしろ今の若い人のほうが頭も良く勉強もし、近代的経営センスも身に付けているのではないか。時代は進んでいるのである。古い感性や価値観ではグローバル化した大競争に勝てない。
あるいは、日本的経営スタイルとグローバルな経営スタイルとの戦いと言えるかもしれない。
経営のビックバンが叫ばれて久しいが、日本的経営スタイルと言っていること自体、グローバルスタンダードから乖離していることではないだろうか。
‘社内の常識は世間の非常識’ということに早く気付くべきであろう。
古い経営者が居座るということは、古い経営体質が続く(可能性が高いと言うべきか)ということであり、経営システムの変革は起こりにくくなる。何もかも新しければいいということではないが、世の中の変化への対応は遅れてはならない。しかも、IT化の進展とともに変化のスピードは格段に速くなっている。
ライブドアとフジサンケイグループの対立は、変革と保守のせめぎ合いとも言えよう。
こうした意味において、経営者にもまた良識の範囲で定年制があってもおかしくはないと思う。