更新 2016.03.17 (作成 2005.03.15)
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第1章 転機 5.無謀な拡大路線
「会社がつぶれるなんて、また大きな問題を持ち出してきたものだな」と平田は思った。
しかも、こんな話は日ごろからいつもやっていることなのである。
いつもは、「会社が悪い」「社長が悪い」に行き着いたころに大体終わる。
役員の能力がないから政策を誤り、部長や課長の能力がないから施策を誤るのだ。そんなヤツをポストに就ける人事が悪い、ということになる。
「なんであんなヤツが部長なんや、課長なんや」
これがこんな話になったときにいつも出る豊岡の口癖である。
そんな人事をしている役員がダメだ。もともとそんな役員を選ぶ社長がダメで、そんな社長を選ぶ株主(親会社)がダメなのだ。
芋づる式に親会社まで悪者にして終わるのが豊岡のいつものパターンである。
ところが今日は少し様子が違う。あらたまってこんなシチュエーションまでこしらえている。これは何かあるな、と平田にもなんとなく不気味な予感が走る。
ついさっき‘女の話かも’なんて興味本位に切り出した平田はチョット照れくさかったが、運ばれてきた飲みものを一気に口に運び本題のほうに気を向けた。
平田もまた、この問題については気持ちの奥にやりきれない切なさを抱いていた。
だからこの話になるたびに、「今更そんな話を持ち出されても手遅れじゃないか」と、ちょっとむくれ気になるのである。
そもそも、会社がこんな状態に陥ったのにはそれなりの伏線があった。
数年前、平田はある工場建設投資の是非をめぐって上司である浮田安弘常務と散々激論を交わしていたのである。この投資を実行すれば会社はその負担に耐えられず赤字になることが彼の試算ではっきりしていた。
しかし、浮田常務は個人的思惑で無謀な拡大路線を採り、会社もその政策を採用し100億円の投資を実行してしまったのである。
もちろん反対する役員もいたが社長と結託している浮田常務は役員会を押し切ったのである。
昭和57年4月の役員会である。山陰工場建設投資案が付議された。
提案者はもちろん浮田常務である。彼独特のポーズで、慇懃無礼に、ゆったりと、さももったいぶるかのように話を始めた。
「本日は、山陰工場これはまだ仮称ですが、建設に関する投資案についてご説明させていただきます。わが社は創業以来順調に業績を伸ばしてきました……」
とうとうと淀みなく、朗々とよく響くテノールのいい声である。人相学的には、顔の骨格といい、声の張りといい、申し分なく大家の相である。現に常務取締役にまで登り詰めている人である。惜しむらくは額の真ん中にホクロがある。これが彼の人間としての最大の欠点を表していた。
「山陽方面については製造拠点も地区ごとに構築することができましたが、山陰方面の拠点がございません。今は山陽方面の各工場から出荷しておりますが、今後もかなりの成長が見込まれるので、このままではいずれ製造能力がいっぱいになると予想されます。そこで米子に製造工場を建設し、山陰方面の拠点にするとともに将来の飛躍につなげたいと思います。
お手元の資料にございますように投資総額はほぼ100億円であります。その内訳は、土地代1万5千坪で25億円、建物30億円、製造装置・機械類40億円、付帯工事費用5億円であります。なお、米子市との話し合いで企業誘致の税制優遇措置が受けられ固定資産税が安くなることになっております。土地につきましても産業道路沿いに大体の目星は付いております」
長い説明が終わった。業者との癒着はお手のものである。まだ役員会も通らないのにすでに地元不動産業者との下打合わせは進んでいるようである。
「わが社はすでに広島、周南、福山、岡山と4工場を有しており、その上この100億の投資はわが社の売り上げ規模からしてチョット大きすぎませんか」経理担当の重役が注文をつけた。
「今は、山陰地区には広島や岡山、福山から出荷しているが、米子に工場を造りこれら山陰地区分を一手に引き受けるのであるからこれくらいの規模の工場を造らないと間に合いませんよ」浮田常務も譲らない。
「山陰地区にそれほどの市場があるとは思えませんが、今までどおり山陽から持っていっては間に合わんのですか」
「山陰地区の来年はさらに7%の伸びが期待されます。山陽側から運ぶには輸送費が高く付きますし、能力的にも限界に近いものがあります」
「輸送費が高く付くと言っても山陰の主な市場は出雲、松江、米子、鳥取です。鳥取は米子から運ぶのも岡山からも大して違わない距離ですよね。すると出雲、松江、米子分だけになります。3市合わせても人口20万弱でしょう。そんな市場への輸送費と言ったって1億くらいにしかならないのと違いますか。そのために100億も投資するのは危険すぎます。
それに、ここ数年は工場建設が重なり償却負担も相当な額に上っております。今は何とかやり繰りしてしのぐべきだと思いますが」
「思うとか思わないとかはあなたの勝手ですが、もし製品切れでも起こしたらあなた責任取れるんですか」
浮田常務らしい品のない言い方が始まった。正論で押し切れなくなると必ずこうした嫌味な言い方になるのである。育ちが悪いのか、なりふり構わず攻撃に出る。
他の役員はこの嫌味たっぷりな言い方に辟易して、議論する気をなくしてしまうのである。嫌な性格である。本題のところでの論議にならないのである。
しかし、今日の経理担当重役は引き下がらなかった。かなり危険な投資であると直感したに違いない。頼もしくも、さらに食い下がった。