更新 2016.03.03 (作成 2005.02.25)
| 正気堂々Top |
第1章 転機 3.興味津々
薄暗い喫茶店は、何やらわからんが朝っぱら行う密談の場所としてはうってつけである。
こういった喫茶店には、たいてい中国食品の製品が置いてある。ほとんどの喫茶店では店の入り口に中国食品のトレードマークが入った看板がしつらえてある。取引条件として看板を中国食品が寄贈するからだ。中国食品の社員はそれを目印に取引があるかどうかを見分け、看板が置いてない店には決して入らない。
営業マンから「あのお店を落としたいんだ」なんて情報を聞いたときは、わざわざ出かけていき、逆にわざと自社製品を注文してみせる。
「置いていません」などと言われると、大げさに「えーっ。置いてないの。今度入れといてよ」ととぼけてみせる。若さがなせる演技である。
中国食品の社員は実に愛社精神に富んでいる。会社や人事が特にそういう教育に力を入れているわけではない。自然にそうなっていったのである。
営業マンごとに担当エリアを決め定期的に訪問する独特のセールス方式や、派手な営業車、一目でそれとわかるセンスのいい目立つユニホームなど目新しい営業形態が、時代の最先端を行っているようで若い社員の心をとらえ、誇らしい気にさせた。
会社の品質に対する厳しい取り組み姿勢も、社員の自社製品に対する自信と信頼に繋がり製品への愛着心を自然に育てたようである。
また、創業期の苦しい時代をみんなで乗り切ってきたという強い思い入れもあった。
このような気持ちが複合的に重なり愛社精神につながっているようだ。
愛社精神なんて詰め込んでできるものではないな、とあらためて思う。
豊岡は自社が卸している清涼飲料水を注文した。夏の暑いときにはこれが実にうまいのである。
平田も「俺も同じものを」と追加しながら、これは長い話になりそうだなと腹を決めた。
平田は、ウェイトレス兼オーナーであろうおばさんが注文を聞いて奥へ下がるのを見計らい、「朝っぱらからどうしたん」とわざとおどけた話し振りで投げかけた。
豊岡は神妙な顔つきで、
「大事な話なんじゃ。少し時間がかかるが仕事のほうはいいかの」
「仕事は構わんが、チョット電話だけ入れとくわ」
声のトーンを落とし何やら秘密めいた話のようなので、平田もそれに付き合って小さな声になった。
いつも陽気な豊岡が、やけに神妙な顔つきである
何が何だかわからないが、平田も不思議な緊張に包まれた。
いつもの会社の陰口や世間話程度の雑談ではない。何か重大な話であるらしいことぐらい平田にも伝わった。それほど今日の豊岡の顔つきは真顔であるし、真剣そのものである。
女好きの豊岡のことである。もしかしたら悪い女に引っ掛かり話がこじれてどうしたらいいかと相談に来たのであろうか。
平田は、解決できるかどうかわからないが話としてこれほど面白いものはない、「人の不幸は蜜の味」と誰かが言っていたのを思い出していた。
友達としては不謹慎であるが女の失敗話程度ならこれくらい面白がっても許される不真面目さであろう、と平田は思った。
日ごろ、いい思いをしているのである。これくらい面白がられても仕方ない。
「女かね?」少し皮肉っぽい響きを込めて平田は聞いた。
興味津々で豊岡の次の言葉を待った。
「バカッ。そんなことで相談するか。女なら俺の方がうまいよ」
それもそうである。平田は頭をかいた。
そこへウェイトレスのおばさんが注文の飲みものを運んできた。氷のかけらがガラスのコップにはね返り、風鈴のように涼しげな澄んだ音をカランカランと発てている。
ウェイトレスといえば若くてきれいな女性と相場は決まっているがここではおばさんウェイトレスである。
それを機に2人の話も途切れた。
そのタイミングを使って平田は喫茶店から所属の同僚に電話し、私用でチョット出かけると連絡した。上司には直接言わず同僚から言わせたのである。なんとなく、変な動きの気配を上司に感づかれたくなかったのである。
「何と言っておけばいいですか」
「何かわからんがチョット急用ができたそうです、と言っといてくれ」
ぶっきらぼうな言い方になった。
「課長はもう来てるから自分で言ったらどうですか」
「自分で言うのが嫌だから頼みよるんよ。適当に言っといてくれ」
同僚はしぶしぶ引き受けてくれた。