更新 2016.04.08 (作成 2005.09.14)
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第1章 転機 23.裏切り
平田の気持ちが伝播したわけでもないだろうが、浮田が、
「平田君、まだできんのかね」とシビレを切らしてきた。
「はあ、一応できるにはできたのですがねー」と、なんとも煮え切らない返事をしたが、正直気持ちは浮かない。
「できたんなら持ってきなさいや」
「しかし……」
「しかし、なんや。いいから見せてみなさい」
平田はやれやれと思いながらも、一式をコピーし提出した。
山本にも同席を促すつもりで目をやった。山本も合点したようで浮田の側にやって来た。
浮田は、しばらく黙って書類を見ていたが、
「これじゃ、この前となんにも変わっとらんじゃないかね」呆れたような顔で浮田が言った。まるで平田が悪いとでも言いたげである。
「しかし、いろいろやってみましたがこれ以上は無理です」
「何を言うとるんかね。山陰に進出するという一大目的のための計算をしてもらっとるんだよ。きちんとメリットが出るような計算をするのが企画書だろうが。それを計算するのが君の仕事だよ」かなり怒気を含んだ言い方になった。
「ひと月もふた月も掛かってこんな計算一つできんのかね。これでもう3回目じゃないか」
「はぁ、しかし無理に数字を作るわけにもいきませんし、どう見てもこれ以上は無理だと思います」
「そんなことあるもんか。売れるようにすれば数字は上がるだろうが」
「しかし、根拠のない売上を立てて数字を作ってもそれは粉飾になりますし、会社がおかしくなります。そんな企画はダメだと思いますが」
ここは踏ん張りどころと、勇気を振り絞って言った。角が立たないように諭すような口調で言ったつもりだが、内心ドキドキしている。
「俺は常務だよ。いいか悪いかは俺が判断する。君にダメだとか言われる筋合いはない。メリットが出るように作ればいいんだよ」
“メチャクチャや”
平田はもう、まともに相手をする気がしなくなった。先代の近野常務が好きだった平田は、浮田に対しもともと常務として物足りなさを感じていただけにこんなときには蔑んだ気持ちになる。それがまた、顔に出すわけでもないのに微妙に浮田のカンに障るのであろう、こうしたときには必ず高圧的な言い方になって返ってくる。
‘こちらが嫌いなときは相手も嫌いである’と言うが、相性とはそうしたものであろう。
「山本君はそう思わんかね」
「はい。そうですとも」間髪を入れず山本が返事をした。
“なに!”
平田はもう少しで大声を出しそうになった。
“この前まで『こんなもんよ』と言ってたじゃないか”なんという裏切りか。平田は山本を睨み返した。腹の中が煮えくり返った。
しかし山本は、平田の怨みに満ちた視線をかわすかのように、神妙な顔を浮田の方へ向けたまま平田の方には見向こうとはしない。
「さて、どうしたもんかの。このまま平田君に任せておいても埒(らち)が明かんな」山本に振るかのように浮田が言った。
「あのー、私がやりましょうか」浮田の意向を汲むかのように山本が横から言った。実に上手い。絶妙のタイミングで浮田の懐に飛び込んだ。浮田に取り入るにはこれくらいの至芸がいる。平田にもそれくらいの心理が読めなくもないが、浮田に対してはそれができない。自分の信条を殺してまでする相手でも内容でもない。
「ウン。そうしてくれ。このままじゃ進まんわ」
またしても平田は頭に血が上った。
“俺を裏切っただけでなく、今度は俺の上前をはねると言うのか”
呆れて物も言えない。
上司というのは、部下を助け、一緒に苦労し、指導しながら成功まで導くものだろう。成功体験を積ませながら成長させていくのが部下育成の基本であろうに。
逆に、部下が散々苦労してきた産物を横から掠め取るようなものではないか。まるでハイエナのようなものだ。
よくそんなことが言えたもんだ。常務から押し付けられたのならまだしも、自分から言い出すとは何ということか。人間としての品性を疑いたくなる。しかもこの前までは俺と同じ考えだったじゃないか。
平田はガックリきた。
“こいつとは、もう二度と口をきくまい”心に誓った。
「俺の言う通りに仕事してくれんような奴とは、一緒に仕事できんな。製造部を出て行ってもらわないけんわ」浮田の最後の捨て台詞である。
「ふん。好きにしろ」売り言葉に買い言葉であるが、平田の台詞は口に出ることはなかった。
嫌な空気を引きずったまま、自席に戻った平田は、
“もう、俺のやることは無くなったな”と寂しく思ったが、反面、肩の荷が下りたようにスーと気が楽になった。‘やれやれ’である。
“こんな無謀な企画に手を染めなくてよくなったのだ。仮に常務の勘気をこうむったとしても、俺の企画書で会社をダメにするようなことから手を引くことができたのだ”
“良かったー”自然と笑みがこぼれそうになった。
“もし、俺の企画で会社がおかしくなったら、俺は一生悔いるだろう。十字架を背負って一生を過ごすなんて真っ平だ”
自分のとった行動に悔いはなかった。むしろ晴々した気分になれた。
“俺はサラリーマンには向いていないのかもしれないな。きっと出世はしないだろうな。仕事は誰にも負けないつもりだけど、ま、しょうがないか。これも俺だ”
そう思っているところへ、
「俺の言うことを聞いてくれんのじゃから、かなわんよ」浮田の追い討ちがきた。
平田を出すための地ならしのつもりであろうか、もう一度念押ししたのである。
“好きにしてくれ”
平田でなくとも、誰でもそう思ったであろう。