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苦悩の日々

更新 2016.04.08 (作成 2005.09.05)

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第1章 転機 22.苦悩の日々

2月も中旬を過ぎたころである。前の晩から降り出した雪が30センチも積っていた。道路が混むだろうと、30分ほど早めに家を出た平田は、順調に愛車を走らせた。
平田は、冬はスキーを楽しむため車はFFで、4輪ともスタッドレスタイヤを装着している。そのため、今まで雪で立ち往生したことがない。スキー場までの豪雪地帯を何度も走っているから、雪を怖いと思ったことがない。まして会社までの平坦な道のりでは、通常走行となんら変わることなく走行できた。
道路の混雑もいつもと変わりないようである。
「この分だと早く着きすぎるかな。あまり早いと暖房が効いてないから寒いからな」と逆の心配をしながら順調に走っていた。
しかし、案の定途中まで来たところでピタリと動かなくなった。渋滞である。
「やっぱりか。早めに出て正解だな」と、まだゆとりがあった。
平田の車は雪への備えが十分であるが、他の車が走りきらない。まず、雪が怖い。その上装備が不十分である。スタッドレスを着けるとか、チェーンを巻くとか、対策をとってから来ればいいものを面倒がって横着するのである。他人の迷惑など考えず自分のペースで走ればいいと思っている。
「面倒がっていい仕事ができるものか」と、誰ともわからない先頭の渋滞野郎に向かって、一人毒づいた。
結局、会社に着いたときは始業時間を30分ほど過ぎていた。遅刻である。しかし、今日は雪という言い訳がある。他にもまだ来ていない者が2、3人いた。
中国食品には、タイムレコーダーなどいう無粋なものはない。自主管理である。それでもそれなりに規律は保たれていた。人間性や自主性を尊重する、というような理念が明確に存在するわけではなかったが、人間信じれば応えるものである。
こんな日に限って浮田は早い。浮田の家は借家だが会社から徒歩5分の距離にある。会社のお迎えの車は専務以上にしかあてがわれないから、いつもは磯崎が出勤途中に寄って乗せてきていた。
しかし、今日は雪のため磯崎も迎えに行けない。自宅が会社に近いと言うこともあって、長靴を履いて歩いて来たのであろう。机の横に革靴を入れてきたと思われるゴルフ用のシューズバックと長靴が置いてあった。

浮田は、いつも出社と同時に社長や専務のところへご機嫌伺いに日参するのであるが、こんな日は全員が揃うまで机を離れない。誰が遅れてくるかチェックしているのである。よほどひねくれているのであろう。
机に着いた平田は、自販機で買った熱い缶コーヒーを飲みながら先日からやっている見直し作業に入った。
例の広島工場の高温殺菌機を山陰工場に移設し、それによって変わってくる出荷可能な製品構成の見直しである。
広島工場の出荷減は新製品の出荷で穴埋めする案とし、山陰工場の出荷数を2割程度アップした。移設によって費用が1千5百万円ほど増えたが償却費用への影響は軽微であった。山陰工場の出荷は2割ほどアップしたが、会社全体では3%しか増えない。3%増くらいでは製品の粗利益から計算して会社全体としては1億円程度の改善にしかならなかった。
作業はほぼ完了していたが、結果はあまり芳しくない。
「これじゃ大して変わらんな。どうしたもんかな」
平田は、一応でき上がった計算書を、出すに出されず持て余していた。
ここ数日、同じことをもう何度繰り返し見直したかわからない。しかし、いくら見直したところで新しい展望が見つかるわけではない。どだい、無理な話なのである。
そんなことを、もう1週間も繰り返している。

浮田が席に着いているため、部屋は静まり返っている。
その時、突然浮田がしゃべりだした。
「今日、遅刻してきた奴は転勤じゃの」
唐突に何を言うかと思いきや、嫌味である。何かにつけ転勤をちらつかせるのは浮田の常套句である。
「またか」と皆はあまり本気に取り合わない。微かに顔を歪め、ニヒルな笑いを浮かべるだけで返事すらしない。
平田も「今日は雪のせいでやむ無く遅くなったのであって、わざとではないじゃないか。それよりも、日頃訳もなく遅れる奴がいるじゃないか。そんな奴の方が問題だろう」と言いたかったが、言ってみたところで所詮無駄なことである。

浮田のつまらない一言で嫌なムードが漂う。
“朝からやる気をなくさせるよのー”皆そう思っている。
しかしこんな時には必ず、側近ナンバーワンを自認している磯崎が、
「いやー、常務勘弁してくださいよ」と、精一杯の笑いを満面に浮かべてヨイショする。
磯崎は平田より先に来ていたが、こんなことを言うところをみるとやはり遅れてきたのであろう。磯崎のヨイショに他の2、3の者が追従した。
まるで‘ピエロ’であるがあちこちから小さな笑い声が漏れ、それでその場を覆っていた重苦しい空気が流れていくから他の者にはそれなりに助かることもある。
“こんな奴もおらにゃいかんのか。必要悪やな”
フンと鼻でくくりながら平田は一人合点した。しかし、平田は笑う気にもなれない。この2、3日は、見直しを続けるといっても、‘どうしたもんか’の苦悩を繰り返しているだけである。

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