更新 2016.06.29(作成 2015.12.25)
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第7章 新生 82.敵に塩
「はい。私は散々自立自立と言ってきたじゃないですか。その私自身が自立したくなったんです」
「どういうことや。何か事業でも始めるんか。厳しいぞ」
「いえ。独立するわけではないのですが、自分らしく自分のしたい仕事がしたいのです」
「やらしとるやないか」
「はい。これまでは……。これから先はそうはいかないように思います。合併しますと、もう私の愛せる会社ではなくなるように思います。仕事の意義や目的になんの共感も持ちえず、言われたことだけをただ黙々とやらされるなんて耐えられません」
「じゃが、どこだって似たようなもんだぜ」
「はい。その時は諦めます」
「それにお前のしたい仕事ってなんだ」
「はい。何時かも申し上げましたように純粋に人事に取り組んでみたいんです」
「そんな都合のいい会社があるもんか。それは、残ったほうがチャンスがあるよ」
「そうかもしれません。しかし、愛せる会社じゃなくなりました。私はもう、会社のためとか、社員のためとか、そんなしがらみを忘れて仕事がしたいのです。純粋に自分のしたい仕事のために。これはもう、私のロマンです」
「ウーン。困ったのう。じゃがな、お前はポストに就く就かないを超えて中国食品の人事を動かしてきた。もはや役という枠を超えたところで仕事をする人間だ。残った社員が動揺する。黙って俺と大阪に行ってくれ」
「ありがとうございます。そこまで言っていただけるのは専務だけです。しかし、私ももう残り人生がそれほど多くありません。齢を取れば取るほどできなくなります。専務にはご不便掛けるかと思いますが、何卒お願いします」
「お前はせっかくこれまで積み上げてきた信用とか地位とかいらんのか。家庭だってあるだろう」
「地位だの信用だのって言うのは会社の中だけのことじゃないですか。会社からの借り物で自分の財産ではないように思います。定年がくればいずれ剥がれ落ちるものでしょう。逆に今、新しい世界に打って出るほうがそれらを連れていけるように思うのです。それに家計は、次の仕事の収入次第ではありますが、家内がなんとかなるやろうと言ってくれています」
「もう奥さんにも話したのか」
「はい。いいよ、と言ってくれました」
そのことで新田は平田の決意が固いことを悟ったようだ。
「まあ、そう性急に結論つけなくてもまだ時間はある。お互いゆっくり考えようや。これは因みにだが、辞めるとしたら何時なんだ」
「はい。合併前の3月末を考えております」
「合併がちょうどきりがいいというわけか。おれは諦めんぞ。何回でも話をする。今日はここまでだ」
「はい。よろしくお願いします」
新田は許してくれなかったが、平田は全てを話し切って晴れ晴れした気持ちになれた。
ここまで言ってくれる新田には申し訳ないが、自分の人生は自分で決める。それが自立じゃないか。帰りながら何度も反芻した。
新田はその後も会うたびに翻意を促してきたが平田は揺るがなかった。相手は専務だ。そんな生半可な決心で臨んではいない。こちらも必死だ。それでないと誠は通じないし、第一失礼だ。
新田には、頼りにしていた部下が1人いなくなるのは大きな痛手だ。最後まで諦めずに説得した。それでも平田の決意は変わらなかった
2月になった。
「ちょっと来てくれ」
新田からまた呼び出しがかかった。
平田は、また説教されるのかなと構えながら新田の部屋を訪ねた。
「どうだ、やっぱり変わらんか」
やはりそうだった。新田と顔を合わせてこの話が出ないことはない。必ず翻意を促してきた。
「はい。申し訳ありません」
「そうか。じゃがわが社に居るほうがいいと思うがな……。まあ、それは置いといて今日は仕事の話だ」
「はい。なんでしょう」
平田が尋ねると、新田は一呼吸おいて
「うん。チクショウ」と言って新田はデスクを手で叩いた。
新田がこれほど感情を出すことなんて滅多にない。
平田も驚いて聞いてみた。
「どうかなさったんですか」
「俺はな、敵に塩を送るようで嫌なんだがしょうがない」
いかにも腹に据えかねるようだ。
「はあ」平田はなんのことかと訝った。
「セカンドライフ支援制度を昨年の年末はやらなかったじゃないか」
「はい。合併前で混乱を避けるためと仰っていましたけど」
「そうだ。ところが近畿との協議でお互い身軽になって一緒になろうと話がついたんや」
「ああ、そうですか。それでは急ぎませんといけませんね」
「うん、合併に不安を抱いている者や不平の者もいるやろ。お前みたいな者もな……。それらを清算して合併しようということになった」
新田は「お前みたいな者もな」というところに力をこめて平田を弄るような目で言った。
平田は可笑しくて苦笑いしながらそれを聞き流し、
「それでは、3月初旬くらいまでには確定しないといけませんね」
「そうだ早くやってくれ」
「はい、そうですが……」
「なんだ。どうした」
「はい。それは柴田さんにやってもらいましょう。今度は私も対象になりますので、自分でやって制度を壟断するのかなんて言われるのは嫌ですから」と訴えた。
「お前は手を挙げるのか」
「そうですね。やっぱり制度があればお世話になりたいですね。安心できます」
「そうだろ。だから嫌だったんだよ。止めろ」
なるほど。新田が怒っていた理由がわかった。
「いえ。これは専務の最後の花向けとありがたく受け取らせていただきます。敵に塩だなんて仰らないでください」と平田は笑顔で新田をなだめた。
「……」
新田は口元を歪めて忌々しそうに書類に目を落とした。
「それでは早速手配いたします」
平田は一礼をして人事に戻ると、人事課長の柴田にセカンドライフ支援制度の起案を頼んだ。
「今、専務から言われたんですが3月末を退職日としたセカンドライフ支援制度を実施するようにとのことなんです」
「あっ、そうですか。えらい突然の話ですね」
「うん。合併前にお互い身軽になって、それから一緒になろうということらしいです」
「それじゃ、近畿フーズもやるわけですか」
「そうです。その内容によって本気度が問われます」
「なるほどね」
「恐らく向こうは初めてだから相談してくるでしょう。その時は帳面面は揃えたほうがいいでしょう。我々は去年からの流れがあるし、今年の制度の狙いからしてこれくらいにしたいとハッキリ言ったらいいと思います。放っておいたら1千万か2千万がいいとこでしょう。黙っていたらそれ以上はよう出しませんよ。それじゃ温度差が違いすぎます」
「わが社はどうするんですか」
「今回はハッキリしています。人減らしです。ただセカンドライフ支援制度の枠組みは壊したくない。それでも近畿と対比させたとき、十分胸を張って主張できる内容にしないといけません」
「そうですね」
「それから、今回は柴田さんにやってもらおうということになりました」
「えっ、僕がですか。なんで?平田さんじゃないんですか」
「はい。まあ、僕は合併で忙しいしそこを意識しすぎてもいかんということなんでしょう。まあ、柴田さんが一番硬い人物というわけじゃないですかね。お願いします」
平田は合併作業は開店休業だし特段忙しいわけでもなかったが、自分が企画して自分が手を挙げたら制度を私物化するようなものだから、柴田には方便で通した。
「どうしたらいいですか。なにかアドバイスをください」
「なあに、ガイドラインはさっき言ったようなことですから、後は柴田さんの感性をそのまま出せばいいんですよ」
柴田は、恐々と引き受けた。