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辞める決心

更新 2015.11.13(作成 2015.11.13)

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第7章 新生 78.辞める決心

“どうせ、対等合併といっても形式上のことだ。力関係は歴然だ。合併してしまえば後は人数に物を言わせて自分たちの思い通りにしようというのが彼らの底意にあることは明々白々だ。全て飲み込まれてしまう”
絶望感だけが日に日に強くなっていき、合併協議を繰り返すうちに平田の退職願望は益々強くなっていった。
しかし、平田は合併準備委員会の実務の中心的役割だ。逃げるに逃げられないところにいる。
“この状況で俺は本当に辞めていいのか。仕事の責任上辞めてはいけないのではないか”
“或いは逆に辞めたほうがいいのではないか。俺が残って何が出来る。何も動かないではないか”
年末も押し迫り、もうデッドラインはすぐそこだ。焦りと諦めが平田を苛め上げる。
“彼らはこのままなだれ込んで自分らの思い通りに飲み込んでしまおうという魂胆だろう。しかし、それならそれでそのほうが統合は早いかもしれない。統合してしまえば後は実力次第だ。中国食品だの近畿フーズだのというブランドカラーは希薄化する。その時俺がいればかえって希薄化の障りになるのではないか。俺がいればどうしてもわが社の制度に拘ってしまう。そうすれば統合は益々遠のいてしまう。いっそ近畿フーズの言い分にそっくり乗っかってしまったほうがシステム統合は早いのではないか”
しかし、それで統合は進むかが問題だ。
近畿フーズの専務が言った「会社は一つ、全てを一本に統合する」と言った一言が頼りだ。
平田はその一点に希望をつないだ。
“それがいつになるのかが問題なだけだ。彼をその気にさせるには俺みたいな制度のシンボリックパーソンはいないほうがいいのだ。俺がいるために嫌でも中国食品の制度を意識させてしまい対立軸が際立つ。彼らの面子を立ててやることが統合への早道だ”
平田はかって丸山から「お前も依怙地だのう」と言われたように、自分が意地っ張りで拘りの強いことは重々承知している。
とにかく、システムは早くに統合しなければ両社の社員間に決定的確執が生まれ、両社員の融合は永遠に遠のいてしまう。それは双方の社員にとって不幸だ。
平田はここに辞める決心をした。そのほうが会社のため社員のためであると確信した。
そして自分自身のことは、
“まだ自分のためだけに働くには少し早いが、お国のため、会社のため、社員のためと言って、社員の自主性を削ぎ、主体的活動を全く認めないような専制的会社に媚び諂って働くのは嫌だ。仕事はどこでもあるさ”
と、わりと安易に考えていた。自信はなかったが、どうにかなるという確信はあった。
“だが、俺が辞めた後仕事はどうなる”
それが一番の気がかりだった。
平田は辞めた後を想像してみた。
“制度の精神、ポリシーは?相手の理念に乗っかるだけだ。それなら俺がいないほうが上手くいく。労働条件の削減阻止は?実務の島田や柴田がいる。その後ろには組合がいる。労働組合との交渉経験のない近畿フーズの役員に、組合を向こうに回しても一方的な労働条件の削減を仕掛けてくるようなことはしないだろう。それは怖いはずだ”
組合がある以上それは阻止できる。平田は辞めても問題がないことを確認した。
“大丈夫だ、島田も育ってきたし、柴田もいる。それに近畿フーズに飲み込まれるということは、かえって俺のような我の強い人間より柔軟性のある島田や柴田のような人間のほうが上手くいく。社員のためにはそのほうがいい”
島田は人事の仕組みをルールに従って運営している若い係長で、柴田は人事課長だ。
平田の迷いは確信に変わった。
“後は、どうやって辞める準備をするかだ”
事前に了解を得なくてはいけない人が何人かいる。
まず、奥さんだ。
「辞めようかと思う」
「辞めてどうするの」
「うん。どこか他の会社に勤めるよ。ただ給料は確実に下がる。それでやれるかどうかを聞きたい」
「どれくらい下がるかにもよるけど、それはなんとか大丈夫じゃない。だけど人間関係なら意味がないよ」
「いや、そうじゃない。今度の会社が嫌になった。奴隷になるのは嫌だ」
「そう。いいわよ。だけど今まで積み上げて来たものは捨ててもいいの」
「そんなもの、どうせいつかなくなるものよ。それよりも自分らしく生きるほうがどれだけ充実するか」
「そうね。あなたがそう考えるのならいいわよ」
ボソボソとしたそんな会話で了承してくれた。
しかし、会社のほうが難しそうだ。
了解とまではいかなくても事前に話だけは通しておかないといけない人が何人かいる。
話がしやすい人も、しにくい人もいる。この人に話すにはあの人の了解を得ていたほうが上手くいく人、順番としてこの人は先と言う人、などいろいろ手順が思われる。
人間、「辞める」というその一点に精神を集中し、神経を研ぎ澄ますと隠れていたものまでが見えてくる。
一人ひとりどうやって話そうかと考えていくうち、この人は簡単にOKが出るな、この人は難色を示すだろう、この人は絶対認めてくれないだろう、この人は難色を示すが俺がいなくても別の対処方策を考えてくれるだろう、と人の心が透けて見えてきた。それは取りも直さず平田との距離感であり、本人と新田との関係性である。
簡単にOKをくれる人はそれほど俺の存在に重きを置いていない人で、いてもいなくてもいいと思っている証しである。或いは、仮に業務的にいたほうが会社のためだと思っていても、自分の権力争いの中で俺の存在を邪魔だと思っている人である。役員間の権力争いの中でライバル(たちまち一番のターゲットは新田か)の片腕となる人間はいないほうがいい。そう思っている人である。「敵の友達は敵」の延長線の上にある。
そう考えてくると本当に筋を通さなければならない人はほんの数人だけになってくる。しかし、どうせ俺の退職に反対がないのなら仁義だけは通しておこう。それで損はない。
しかし、平田はその前にN社の藤井にだけは相談してみようと考えた。こんなとき一番頼りになる存在だ。世間も広く知っているし客観的に判断してくれそうだ。
「今度広島にはいつ来ますか。忘年会をやりましょう」
平田は早速コンタクトをとった。
「合併のほうはいいんですか」
「どうせ開店休業ですから放っときますよ」
「わかりました」
藤井との約束が出来、2人が会ったのはクリスマスも近い12月の中旬だった。

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