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別れ

更新 2015.11.05(作成 2015.11.05)

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第7章 新生 77.別れ

「それじゃ、来年の採用はどうするんですか。私どもではもう内定を済ませています。彼らは無垢の状態で新しい会社に希望で胸を膨らませて入ってくるのです。それがいきなり広島と大阪で処遇がまちまちなんておかしいでしょう。彼らを乗せる新しい処遇のテーブルを用意してあげないといけないのと違いますか」
「そりゃあそうですが、しょうがないでしょう」
「それじゃ社会保険はどうするんですか。1企業1制度が原則ですよね。厚生年金、健康保険、2制度のままでいいんですか」
「でもまあ、統一できないんですからしょうがないでしょう」
彼らは、法を踏みにじることも平気のようだ。
“この会社は狂っている。こんな会社で働くのは嫌だ”
平田はつくづく辞めたいと思い始めた。

そんなときである。かって組合の役員をしていた時に一緒に副委員長を務めた豊岡が突然倒れた。
豊岡もまた合併準備委員会の営業システム部門の委員をしていたが同じように動かない相手に辛苦していた。劣後した仕組みを押し付けているわけではない。相手より優れているからこそ推奨しているだけなのだ。
中国食品の現行営業システムは、全営業マンが携帯のタブレットを持ち画面を見ながら提案営業ができたり、データを即座に本社に送りリアルタイムに処理される便利なものだった。
ところが近畿フーズは手書きのスリップを帰所後に営業所で打ち込み、その夜にバッチ処理する旧式のシステムである。どう見ても中国食品のシステムのほうが数段進んでおり、豊岡らはそのシステムでの統合を勧めていた。ところが彼らは認めたがらなかった。認めれば自分たちの怠勤が明るみになる。ここでもだんまりが横行した。
もう一つ彼らの言い分があった。それは「システムを変更するには多大なシステム投資が掛かる。そうすれば業績が下がり配分が減る」というのである。
しかし、彼らとてITを使って業務改革は進めなければいけないとわかっているはずだがそれを口に出すことができない社風であり、それを支えてきたのが社員会であり業績配分制度なのだ。その不作為が会社のイノベーションをも大きく阻害している。
彼らに言わせると、「まして全営業マンがタブレットを持ち歩くなんてとんでもない話である。そんなタブレットを誰が責任を持って管理するんだ。無くしたり壊したり、もしかすると情報が外部に筒抜けになるかもしれないではないか」ということになる。
社員を信じていないのだ。この時代にタイムレコーダーがあるような会社なのだ。
そんな会社との業務プロセスの統合協議に豊岡はぐったりと疲れた。この日も遅くまで協議をやってきて、やっと広島まで帰り着いたところだった。なぜだか体が無性にだるかったが神経だけが妙に冴えていた。
“一杯やって帰るか”
新幹線を降り長いホームを歩きながらどうするか迷っていた。
腕に目をやるともう11時であるが、まだ開いている行きつけもある。
“こんな日は真っすぐ家に帰っても眠れるわけがない。一杯やらなきゃやるせないじゃないか”そう自分と相談した。
他のメンバーは帰る方向が逆でわざわざ流川まで出張るのが億劫なようで、「もう遅いから」と真っすぐ帰宅した。
豊岡は独りタクシーのドライバーに流川の行きつけの店が入っているビルを指示した。流川は豊岡のマンションに帰るちょうど途中だ。さきほどから鉄の塊を担いでいるかのようなズッシリと肩の重いのを感じていたが、空しい仕事のやるせなさとその日は週末というシチュエーションが流川を指示させた。
ドライバーが豊岡の様子に「お疲れ様です」と声を掛けたが、豊岡はそれに答えるのも面倒なくらい体が重かった。
ビルの2階にある馴染みの小さなクラブに通じる階段を重い足を引きずるように上り、中に入るとカウンター席の隅に腰を落とした。
フーッと大きな息を吐いたその時である。気が緩んだからかガックリと体が崩れ落ちた。店の娘が慌てて救急車を呼んだがそれっきり意識は戻らず不帰の人となった。
過労とストレスによる心臓への過度の負担が原因との診たてだった。
豊岡は毎回、最終新幹線まで粘って協議を続けてきたがどうにもならず、その心労が祟ったのだ。
平田らが組閣した組合三役の4人のうち既に2人が去っている。
委員長の吉田優作は、独立し出身地の長門に帰って飲食店をやっているし、書記長をやっていた作田耕平は、数年前に突然の病で鬼籍に入っている。
そして豊岡である。残るは平田一人となった。
吉田優作が会社を去るとき、現委員長の坂本がそっと平田に囁いた。
「平田さん。改革を本気で進めた者で最後まで残った者はいませんからね。歴史が証明しています」
現実味を帯びてきた。
過労死ということもあり労災認定も検討されたが倒れた場所が場所だけに難しかった。
「皆さんが温かく見送ってくださったことで本人も満足でしょう」
と遺族もそんなことは望んでいなかった。
本人の人柄の良さと現役社員ということもあり、葬儀には大勢の関係者が参列した。本気で男泣きをする者が何人もいた。
平田はそうした光景を見ながら“これがわが社の素晴らしいところだ。全てを銭で片づけるどこかの殺伐とした会社とは違う”と再認識した。
“しかし、もうその気質は崩壊寸前だ。人数は倍以上いるのだ。純粋な中国食品の社員はきっと飲み込まれてしまい、近畿フーズの風土に埋没してしまうだろう”
平田は将来を大いに危惧した。
“俺もそんな会社は嫌だ”
豊岡の死を契機に平田の気持ちは辞職へと大きく振れた。

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