更新 2015.10.15(作成 2015.10.15)
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第7章 新生 75.弊害
「ヒーさん、いいかね。俺たちは労働組合の活動資金として数億の資金を貯めているんです。近畿フーズの社員会には何にもないやろ。それを一気に統合することはできんよ」
労組委員長の坂本が人事部にやってきて平田に告げた。
会社と逆である。こちらの組合員は近畿フーズの言い方を借りれば金持ちなのである。しかも会社と違って株式の持ち分比率で調整するような手だてがない。
会社にしても社員にしてもどちらかが寛大に受け入れるか、その穴を埋める資金を社員が出すかしない限り統合は難しい。
この2つの組織が人事システム統合の最大のネックになった。
そんな困難な課題を抱えて合併準備委員会の人事労務部会は、制度の統一を目指すかあくまでも別々で行くかの議論を続けた。
一気に統合は難しいとしても、そこを諦めたら統合は永久に遠のいてしまう。統合後も別制度の後遺症が長く尾を引く。今ここで、そこを目指してできることを積み上げていかないと2制度のままというのは必ず将来に禍根を残す。まず、人が融合できない。できるところからでも統合していこうというのが中国食品側の考えだ。
合併による統合で難しいのは「文化・風土」の融合で、次いで「業務プロセス」「経営戦略」「人事制度」ということは先にも言った。
中国食品と近畿フーズも同じ壁に直面した。合併という同床で異夢を見ていたのだ。合併とはなんと困難な事業であろうか。
融合できない場合の弊害は一般的に次のように言われている。
(1)合併ビジョンの社員への浸透が進まない、(2)経営トップのリーダーシップが発揮できない、(3)社員の既得権争いの激化、(4)合併作業遅延に伴う優秀社員の流出……などだ。
(1)合併ビジョンは、トップの意思と経営コンサルタントのレクチャーを受けて企画室あたりが理念高く崇高に作り上げた。ただ秘密裡に作られ、合併発表と同時に打ち出されたものだから浸透という点では自分たちで作ったという実感に乏しく身近に受け入れられず、業務のベクトルがそろわないから業績は上がらない。社員の関心は他人事のビジョンより目前の業務だ。
(2)経営トップのリーダーシップは、お互いの社員が相手側のトップを斜に構えて見てしまい距離は縮まらない。会長と社長が経営分野を分担し合い、その分野だけ旧会社を引きずって主導権を発揮するようなことになり社内の勢力争いがいつまでも続くことになる。トップ自身も相手側の幹部社員を引き寄せるに遠慮が働き手を出しづらく、リーダーシップを発揮できない。一つの会社の唯一の経営トップとして真のヘゲモニーを確立しなければ強力なリーダーシップは発揮できない。経営の意思決定は大幅に遅れ、政策のベクトルは揃わず、社内の混乱は続くことになる。
(3)社員の既得権争いは、どちらかの労働条件が突出しておりその部分を削って水準を揃えなければならないときだが、労働条件は制度や仕組みによって担保されているものであり簡単に変更できない。しかもすべての労働条件が労働組合との協定事項でありこれは法律で裏打ちされたものである。ただ、労働組合の場合、同意があれば例え改悪の内容でも一定のルールの中で変更することができる。それは労組が自主独立の組織であり、自己責任のもと結果に対して自己完結できるからである。
しかし、社員会の場合はそうはいかない。もちろん理論的には労組と同じで可能だが、ガバナンスとして困難な面がある。これまでシナリオも内容も結果も広報もすべて会社に頼ってきた社員会が、結果をもって社員と向き合うようなことはないから責任の取りようがない。社員会の場合、会社が意思決定者だから会社が決断すればいいのだが、そこは会社も「会社に任せておけば悪いようにはならない」と牽強付会に社員を懐柔してきた経緯から、今更会社主導の改悪はメンツが許さない。
労組と社員会というそれぞれの特殊な事情が頑固に存在を主張し合っていては人事システムの統合は叶わない。
(4)合併作業遅延に伴う優秀社員の流出は、統合の遅れだけが要因ではなく、そうした会社の風土体質に嫌気がさし、諦めが社員を逃がすことになるのだ。
ちょうど1年前の8月。第一勧業銀行と富士銀行、日本興業銀行が持ち株会社方式による経営統合を発表し、2000年(今年)9月『みずほホールディングス』を設立している。
その第一勧業銀行は1971年、第一銀行と日本勧業銀行が合併してできた銀行である。しかし、企業文化、風土の違いから融合できず、いわゆる襷掛け人事やポストの順送りなどがなされたが、20有余年も融合できないまま『みずほホールディングス』へなだれ込むことになった。人事部も旧第一、旧勧銀で別々に置かれていた。
その『みずほホールディングス』もうまくいかない。その後のシステムの混乱ぶりはマスコミ等で随分叩かれた。これらも自分たちのシステムへの拘りからきたものだ。全ては哲学、文化、風土の違いに根差しているから捨てきれない。
吸収合併の場合は、有無を言わさず存続会社へ呑み込まれていくから慣れない事への戸惑いだけで混乱のしようもないが、対等合併の場合でうまくいった事例を聞いたことがない。人というものが一番厄介なものだ。