ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.7-66

生きている意味

更新 2015.07.15(作成 2015.07.15)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第7章 新生 66.生きている意味

平田は気が引き締まる思いで応対した。
「そうですね。私がどうこう言えませんが、もし会社にいるとしたら何がしたいですか」
「特になにもありません。昔は所長になりたいとか夢もありましたが、今はもうそんな野心はなくなりました」
「それじゃ収入のためだけですか」
「うん。会社にいたらそうなるかね。平穏無事に定年まで勤めて、定年後はなにか趣味でも見つけようかなとも思うんだが、何だかそれも淋しくてね」
相手は、しみじみとした語り口で胸の内を打ち明けた。
「そうですねー。そりゃあ、人間生きていかなければなりませんから、収入のために働くのは基本です。決して悪いことじゃありません。そこでやりがいや楽しみ、喜びを見つけられれば一番いいんですけどね」
「子供が結婚するまでは名の通った会社にいたほうが信用があるかなと思ってここまで頑張ってきたんですが、それも去年片付きましたから後は自分のために働きたいんです。じゃが、このままでは毎日毎日、予算必達ばかりで飽き飽きしてなんの感動も湧かないんですよ」
会社は「経営理念の実現」や「MBOを通じた会社目標の共有化」を経営の重要な方針に掲げ、自立した社員が自身の人生ばかりに関心を持つのではなく、会社理念の実現や、経営目標達成への参画を促すことで社員を糾合する政策を取ってきた。そんな中でも自らの道を歩もうとする社員が出ることは、本当の意味の自立が出来ているのかもしれない。
子供が結婚するまでは、名の通った会社にいたいとする人は多い。子供の結婚に箔を付けてあげようと、親は自分を殺して生きているのだ。
自分の欲望のために子供を捨てたり殺したりするご時世にあって、これが本当の親心だ。でなければ何のために子供を作る。自分を捨ててでも子供の幸せのために尽くすのが人の親である。子を作るからにはその覚悟がなくてはならない。

つい最近、たまたま小生の家の車庫にツバメが巣を掛けた。雄雌交代で抱卵していたがそれをカラスが見つけ巣を荒らしに来た。ツバメは小さな体で勇敢にもカラスめがけて何度も代わる代わる突進を繰り返した。最初は私が見つけ棒切れでなんとか追い払ったが、翌日には巣は壊されていた。それでもツバメはまた、何度も巣の修復を試みて忙しそうに出入りを繰り返した。この小さな命さえ体を張って子を守ろうとしているのだ。人間は、もっと謙虚に見習うべきではないか。動物界にあって同種族や血の繋がった同族を殺すのは人間だけだ。

この係長も子のために今日まで我慢したのだ。立派である。
「そうですか。それは辛いですね。でも辞めて何をしますか」
「はい。知り合いが事業をやっていて、手伝ってくれって言われているんですよ」
「そこでは、やりがいが見つけられるんですか」
「うん。営業部門を任せるから、我社(うち)で培った営業ノウハウを会社に生かしてほしいということなんよ。個人経営の会社だけどね」
「それはいいじゃないですか。一番いい転職パターンですよ。自分の力が認められてそれが活かせるのですから」
「じゃが、やっぱり年収がグッと落ちるからね。それに小さな会社だから倒産の危険もあるしね。そんなこんなが心配なんよ。セカンドライフ支援制度はどれくらいもらえるんですか」
「3000万円です。年金方式にしたら△△さんだったら3000万円÷9年間で、年間330万円以上の保障になります。そちらの会社からどれくらいもらえるのか確認してみたらどうですか。お金の件だけでしたら、支援金も入れるとそんなに遜色ないと思いますよ。そちらの会社の給料次第ではむしろ有利になるんじゃないですかね」
「そうですか」
「それに、何と言っても生きがいを感じられずに向こう何年間も無為に過ごすことのほうが一番もったいないと思います。勧めるわけじゃありませんが、それだけの条件があれば私だったら迷いませんね。自分の人生、生きる手応えをなくしたら生きている意味がなくなります。多少の年収差なら生きがいを取るほうが幸せだと思います」
「うーん。やっぱりそう思いますか。わかりました。ありがとうございました。吹っ切れました。それじゃ手続きお願いします」
「そんなに急がなくても、明日までもう一度じっくり考えてからでいいのではないですか」
「いえ。もう大丈夫です。お願いします」
「そうですか。それじゃ、キャンセルもできますからね」
そうして手続きを済ませた。
相手は、平田の応対に、数字的にも、生き方にも確信を持てたのだろう。自信を持って申し込みを済ませた。
この日平田は、家族にも誰にも言えない仕事を終えずっしりとした重い疲れを感じた。緊張からだけではない。人生の岐路に立つ人々を見つめ人生とは何か、生きがいとは何かを改めて考えさせられたからだ。齢も50になると守るべきものも大きい。それを越えなければ、或いは越えられるだけの裏付けがなければ第2の人生なんて考えられないではないか。平田自身も55才(旧定年)までは会社や家族のために働こう。55を過ぎたら後は自分のためにやりたいことをして働きたい。今でも十分やりがいはある。他の誰よりも恵まれているだろう。だが、自分のためかとなると違うような気がする。もっと何か自分の好きなこと、やりたいことがあるように思う。平田はそう考えていた。
「自立した生き方、働き方」、という人事制度のコンセプトはそうした自分自身のポリシーから出ているものでもあった。
最終的にセカンドライフ支援制度の申し込み者は35名になった。内訳は管理職が2名。1名は説明会でごねた例の所長である。係長が2名、主任が3名、残りは一般職である。本社からも2名が応募した。
全員が認められた。たかが5名のオーバーと言うだけで、当該者の人生の選択を縛っていいものか。事業の継続が危ぶまれるほどの支障があるとは思われない。むしろ積極的に支援するのが制度の精神だ。報告書とともに形式的に稟議を切り5名オーバーを認めてもらった。1億5千万円も予算をオーバーするのだ。口をつぐんでいるわけにはいかなかった。
この応募者の9割が、支援金の年金受け取りを申し出た。平田はF信託銀行に無理を押し付けていたのでちょっと気になっていた。ただ全員が満額年金化するわけではない。ローンの支払いや旅行などの多少の楽しみのため少しは一時金で受け取りたいとする者もいる。資金的には結局7億5千万円のファンドが残った。平田の胸算用では5億と思っていたので驚きである。新田のアイデアは皆に喜ばれた。
平田はすぐに梶原に電話を入れた。
「結局7億5千万円集まったよ。ありがとう。あなたたちの頑張りのおかげです」
「エッ、本当ですか。ありがとうございました。早速、支店長と堤さんに報告しておきます」
それから30分もしないうちに梶原は飛んできた。
「正直そんなに集まらないと思っていたんですよ」
梶原も、この支援金は生活費であったり事業資金であったりするお金でそれ程残らないだろうと思っていた。支店内でも東京の本社に対しても、もし2、3億しか残らなかったら腹切りものだと内心ハラハラしていたのだが、蓋を開けてみると7億5千万円の申し込みがあったと言うのだ。梶原はホッとすると同時に嬉しかった。
梶原が飛んできたことから、よほど嬉しかっただろうことがうかがい知れる。同時に余程心配していたのだろう。
「うん。俺も正直ここまでいくとは思っていなかったんだが、あなたたちがいい仕組みにしてくれたおかげだよ」
結果として7億5千万円の預金を獲得したことになり、梶原の成績は預金獲得部門でトップに躍り出た。
クライアント企業の難題を逃げることなく真正面から受け止め、社内の頑固者を体を張って説き伏せ、見事にやり抜いた仕事への情熱が認められたことと、結果として7億5千万円の預金を獲得し成績もトップになったことで、梶原はこの年の社長賞を受けた。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.