更新 2015.05.07(作成 2015.05.07)
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第7章 新生 59.力量
平田は、今やっている自分の仕事が楽しくてしょうがなかった。新田の要求に応え、それを関係者と交渉して解決していくことにやりがいと十分な手応えを感じていた。自分の存在意義を実感できる瞬間である。いい人事にしたいと渇求していた自分の信条とも一致する。
新田からはあちこちの金融機関に打診してみろと言われていたが、他行には一度打診しただけでそれ以上は要求しなかった。むやみやたらと闇雲な鉄砲を打っても自分のエネルギーが分散するだけで可能性は低くなるばかりだからだ。それに10億の資金を分散するより一行にまとめたほうが相手に与えるインパクトは強い。何と言ってもF信託銀行は幹事会社だ。他行よりは何がしかの絆やよしみも働くだろう。まずここを立ててやることが筋だろう。どうせ逃げ腰の他銀行を追うよりここに一点集中したほうが効果的だ。
「おーい。ちょっと来いよ」
新田からまた呼び出しがかかった。制度も大詰めを迎え呼び出しも頻繁になった。
「どうだ。上手くいっとるか」
「はい。まだわかりませんが少し脅しを効かせて無理やり捻じ込んでおきました」
「おー、いいぞ。思い切りやれ」
「持ち帰って検討させてくれということになっています」
「うん。それでだな、辞めていく者への支援は他には何かないのか」
「はい、そうですね。考えられるのは転職支援業者を付けてやるかです」
「うん。どんなことをするんだ」
「まあ、業者によって多少違いはあるのですが、まずは再就職先の情報提供とか斡旋、履歴書を書くときの自分のスキルの書き方、模擬面接訓練とかのようです」
「役に立つのか」
「そうですね。たぶん私たちだったらあまり関係ないでしょうが、現場の人たちにはそれなりに参考になる部分はあるのじゃないでしょうか。あまり外部との接触のない人たちですから。まず手を上げるに際しては多少の安心感はあるように思います。今このご時世になって流行っております」
「どれくらい掛かる」
「交渉次第ですが、おおざっぱに1人100万円弱でしょうか」
「やらないのか」
「いえ、やっていいのであれば是非やってあげたいです。うちの社員はこういうことに慣れてないですし、情報もないでしょうから。それにこの不景気でしょ。出来ることはやってあげたいです」
「よし、やれ。できることはやれ。全員としたらプラス3千万円だな。予算取りしろ」
「ありがとうございます」
自立したり農業を継いだりする人もいるし、希望者だけとしたら恐らく半分あれば十分だと算用した。
「それからだな、引継ぎが必要な部署もあるだろう。異動は1月1日だから辞めてしまわれたら引継ぎが上手くいかんところも出てくるぞ。普通の異動は社内にいるからいつでも聞けるし、必要とあれば本人を呼ぶこともできるが、今度はそうはいかんぞ。どうする」
「そうですね。それじゃセカンドライフ支援制度に一項入れましょう」
「うん」
「業務の引継ぎのため会社が必要と認めた者は、最長1カ月を限度として臨時雇用をする場合がある、と入れましょう。これを飲めない場合は適用を取り消すこともあると。これで、辞めるから後は知らんということはなくなると思います。引継ぎも真剣にやってくれるでしょう」
「うん。そうしよう。それからだな」
平田は少し緊張した。新田が「それからだな」という時は必ず何かもっと難しい要求が降ってくる。
「はい、なんでしょうか」
「うん。俺たちはもう知恵を出し切っているかな。もう辞めていく人に何かしてやることは他にないか」
「と仰いますと」
「いや、他に何かないかなと思ってな。例えば銀行さんのケツをもう少し叩けないかな」
「はい。この前何がしかのプレミアムを出させよということでしたから大口定期預金の金利を適用してくれるように頼んでいますが」
「おう、それはいい。10億黙って入るのだからな」
「はい。そう思って頼んでいるのですが、これも本社に持ち帰って検討だそうです。銀行にとって今回のシステム全部が初めてのことで支店の裁量を超えているようです。本社の商品企画部署との折衝が難航しているようです」
「そりゃ、そうだろうな。だからやりがいがある」
「しかし、その分私たちの熱が遠くなりますから、なかなか了解しにくいようです」
「うん。しかしな、俺に言わせればそれくらい当たり前だよ。一つのファンドと考えれば10億あるんだから大口定期は当然の適用だ。よくやった」
「いえ、まだ承認されたわけじゃありません」
「うん。がむしゃらにプッシュしたらいい。ただ、俺はそれじゃ満足せんぞ。そこまでは五分五分の取引だ。もう一歩上の何かが欲しい」
「まだ行きますか」
「当たり前だ。俺たち貧乏会社はギリギリの厳しい取引の中にこそ生きていく道がある。鷹揚な殿様商売なんかしていてはだめだ。むしろ相手にこそそんな商売をさせなくちゃだめだ」
「なるほど。それはそうですね」
「うん。ここからがお前の力量だ。やってみろ」
「わかりました」
平田は、F信託銀行という日本4大メガバンクの1行の、それも本社機構の生え抜きを向こうに回した難しい交渉を背負うことになった。
月割りシステム、大口定期預金金利の適用もまだ了解が得られていないのに、更にその上の条件交渉を背負ってしまった。